『でこぴぃ快進撃!!』Episode Final(アイドルマスター SS)

2012年1月2日
拙作(アイドルマスター)

活動終了後の伊織を書いてみたアイマスSSです。(設定は初作合わせです。)
例によってオーディションの描写とかアイドルランクの概念とかは捏造設定や妄想設定のオンパレード……w
(全5話の最終話になります。)


アイドルマスター SS
でこぴぃ快進撃!! Episode Final

 人を外見で判断してはならないとよく言われるが、実際のところ、外見が与える印象というのは非常に大きい。特に人の記憶に残りやすいのはやはり、顔かたち——特に髪型である。
 普段は前髪をアップにしている伊織だが、家にいるときは普通に下ろしていることが多い。そして最近はとある事情から、平日であっても外出時は前髪を下ろして出掛けることが多くなっていた。これに加えて帽子を深めにかぶると、よほど親しい者でない限り、彼女が伊織であるとはとても思わない。現役時代に髪を下ろした姿をファンの前で殆ど見せなかったことに加え、前髪を上げることで目立っている額と、上げている髪を止めているリボンが、あまりにも印象的だったのだろう。
 現にこうして町を歩いていても、誰も声をかけてきたりはしない。視線が全く向けられないところを見ると、「変装」は完璧に成功しているようだ。彼女自身にしてみれば、大した工夫を凝らしているつもりもないのだが。

 とある事情——それは伊織自身の過去と現在に密接すること。

 以前ほどの知名度はないとは言え、一時期は一世を風靡したトップアイドルだった伊織。そんな彼女が、週末や休日の繁華街を何の気なしに歩いていれば、声をかけてくる人間も稀にだが現れることもある。
 テレビなどで見知った顔だからと気軽に声をかけてくるのなら良いのだが、アイドルマニアや芸能記者などが事務所の情報を聞き出そうと接触してくることもあり、そういった輩の対応には非常に手を焼かされる。特に後者は厄介極まりなく、やよいのプロデュースを補助していることが知れ渡っているため、やよいに関する特ダネを引きだそうとしつこく付きまとってくる手合いも少なくない。
 以前ならプロデューサーが追い払ってくれたり、事務所から抗議を入れてもらったりもしてたのだが、名目上活動を停止している現在は、自分の身は自分で守るしかないわけである。

「あら……?」
 ふと通りがかったCDショップの店頭に目を向ける。そこにはよく知る可愛らしい笑顔が、こちらへ手を振って見せていた。ただし画面の中から、であるが。
……まだPV流してるなんて……ああ、新バージョンね。」
 最初に映った画面には一人しか映し出されていなかったが、カメラが引いて現れた背景では、多くの子供たちが一緒に踊っていた。
「ふふ……でも一番楽しそうなのはあんたねぇ。」
 画面の中のその人物に語りかける。それはたまたま周囲に誰もいなかったゆえの行動。無意識に浮かんできた言葉を、気まぐれに発してみただけ。
「私の見立ては間違ってなかった……か。」
 それはPVはライブのような体を取っていた。恐らくはどこかの子供番組の1コーナーを抜き出してきたのだろう。或いはその番組の関連商品か。中央で踊る世話好きな少女は、きっと撮影の合間に子供たちの相手をしたりしていたに違いない。

 5人姉弟の長女で、面倒見が良くて、みんなの前で歌うのが大好きな、元気だけがとりえだった少女。しかし今、彼女は老若男女を問わず慕われる、国民的な大スターの1人となっていた。

 誰もが憧れる存在として、遙かなる高みからその輝きで人々を魅了していた伊織は、例えるならば「星」。

 しかしこの少女は、どこまで大きくなっても常に皆と共にある——そんな暖かさと包容力、何よりエネルギーに溢れている。それはまるで太陽、いや、彼女の愛する言葉を借りるなら「おひさま」である。

「ちゃんとここまで来てくれたのね……やよい。」

 765プロのアイドル、高槻やよいがトップへの道を一気に掛け上がる契機となった、3rdシングル『おはよう! 朝ごはん』のメガヒット。やよいの可愛らしい庶民的なイメージと合致したこのナンバーは、またたく間に幼い子供を持つ主婦層を中心に大人気を博し、その歌詞の内容から各種食品メーカーがタイアップを展開、果ては「食べよう朝ご飯キャンペーン」を掲げる農林水産省までその人気にあやかろうと動き出し、まさに国すら巻き込む社会現象となったのであった。
 現在も「同事務所の別アイドルが歌ったパロディバージョンと人気焼肉チェーン店がタイアップ」などの幅広い展開が行われており、一般に「3ヶ月強が寿命」と言われるアイドルソングに属するにも関わらず、異例のロングヒットを続けている。

 まさにやよいの運命を変えたとも言える『おはよう! 朝ご飯』のリリースから、もうすぐ半年が経とうとしていた。

 元々やよいのレッスン指導者という立場であった伊織は、やよいがアイドルとしての完成形に近付くに連れて、徐々に仕事に割かれる時間が減っていた。プロデューサーの助手という名目で仕事に同行することも可能だったのだろうが、事実上の部外者があまり現場に顔を見せれば、つまらない詮索をされるのは目に見えている。それは事務所にとってあまり好ましいことではなく、伊織にとっては煩わしく、何よりやよいのために余計な噂の種は蒔きなくなかった。

 今日もやよいは撮影の打ち合わせがあったので、伊織は学校の友人と町へ繰り出す約束をしていた。しかし——
「まぁ、季節の変わり目ってやつだものねぇ……
 その友人が昨日登校していなかった時点で予感はあったのだが、案の定、熱が下がらなかったため約束は取り消しに。だからといって暇をもてあましているのも益体ない気がしたので、一人でふらりと繁華街へ出てきたのである。衣料品店を軽く回ってウィンドウショッピングでもしていこうかと思っていた矢先に、やよいの出演するPVが目に留まったのだった。
「町一色、高槻やよいと『朝ご飯』づくしか……
 伊織の人気がブレイクした時には、ファッションブランドや宝飾店とのタイアップが多く、どちらかというと若者の町に特化した展開が中心だった。しかしやよいの場合、タイアップ相手がかなりの家庭密着型であるため、スーパーや商店街と言った生活感溢れる場所でよく広告が見られる。こういった繁華街ではなかなか見られないが、一歩生活圏に近付けば、どこかしらにやよいの姿や歌声が確認出きるのだ。
「まさに『みんなのアイドル』ってとこかしら。」

——何だろ、この感じ……

 寂寥感と不満感が入り交じったような、ポジティブとは言い難い得体の知れない感情。ただ、その対象はやよいではないし、もちろんプロデューサーでもない。そう、この感情が向けられているのは、人間相手ではないのだ。
……事務所、行こうかしら。」
 そろそろやよいの打ち合わせも終わった頃だろう。つまらない考えを振り払うように、伊織は勢い良く踵を返す。やよいやプロデューサーに会えるかどうかはわからないが、とにかく事務所に立ち寄りたい気分だった。

 最近はここに来る機会もだいぶ減っていた。方程式のお勉強をしていた頃が、一番よく通っていたかもしれない。
「あら、伊織ちゃん。」
 そんな伊織を出迎えたのは、765プロに勤める事務員の一人、音無小鳥だった。事務員にしては妙に歌唱力が高く、過去に何か秘密があるのではという噂もあるが、今のところはただのインターネット好きの事務員という以上の情報はない。
「けっこう久しぶりね、小鳥。」
「最近来てなかったわよね。風邪?」
「まさか。やよいが一人立ちしたから暇になってきただけよ。」
「そっか……もっと気軽に遊びに来たっていいと思うのだけど。」
 厳密には765プロ所属でなくなったわけではないので、小鳥の言うように、事務所を訪れることに深い理由も必要ないだろう。だがやはり活動を止めている身であることを鑑みると、それなりの理由もなしに顔を出すのは気が引けた。もっとも今日はそれを撤回して、こうして「遊びに来ている」のだが。
……あら、それ『歌いながら踊ってみたシリーズ』ってやつ?」
 あまり深く掘り下げたくなかったので、伊織は小鳥が眺めているパソコンのディスプレーに話題を逸らした。
「あ、ええ……ここでもすごいのよ、『朝ご飯』の人気。小さなおともだちから大きなお友達まで、まさに老若男女を問わずみんなノリノリなんだもの。」
 画面に映されているのは、インターネットの動画共有サイト。そこでは『おはよう!朝ご飯』に合わせて若い男が踊っていた。公衆の面前で顔を晒すのが恥ずかしいのか、馬の頭を模したマスクをかぶっている。馬の表情は動かないが、「朝ご飯」を歌う野太い男の声だけは流れているという異様な光景。あまりにも珍妙な仕上がりではあるが、これもまたファン活動のうちなのだろう。
「ウチの子たちの歌は振り付けが良いから、結構このシリーズで人気になるのよね~。前にも……って、あ、えっと、」
 熱心に語り続けていた小鳥だったが、伊織が呆れ気味に苦笑しているのを見て、自ら墓穴を掘ったことに気付いたらしい。現在は立派な就業時間中、動画サイトが画面に映っていること自体が不自然なのである。 
「いや、違うのよ、これは所属アイドルの人気リサーチの一環で、立派な仕事なのよ、うん。」
 あまり追及するのも無粋なので、笑って誤魔化されておくことにした。実際、小鳥の仕事が遅れて問題が発生したという話は聞いたことがない。これでガス抜きをして問題なく業務を進めてくれているから、社長や律子も何も言わないのだろう。
「で、本物のやよいはまだいるかしら?」
「ああ、やよいちゃんなら打ち合わせが終わって、今はプロデューサーさんとお話し中よ。」
 小鳥が小会議室を指すのにつられて視線を向けると、ドアの小窓からプロデューサーの姿が見えた。
「え……?」
 その表情が、いつもと何か違っていた。呑気と表現してすら不足を感じる、あのマイペースの極みのような気の抜けた薄ら笑いはそこには無い。だからと言って、怒りや悲しみのような負の感情をあらわにしているわけでもなく、強い意志のようなものを瞳に宿し、一点——恐らくはやよい——を見つめている。

——あの顔……見たことある、私。

 だが、いつ見たのか思い出せない。思い出さなければならないことだという確信があるのに、その内容だけが浮かんでこない。

 不安感に煽られるように、伊織は無意識に小会議室の扉へ小走りに近付いていく。外の気配に気付いていないのだろう、やよいとプロデューサーの会話は途切れない。
……でも、伊織ちゃん怒るかも……
……大丈夫だと思うんだけどねぇ……
 勢い良く扉を開く——ことはしなかった。すんでのところで踏みとどまった、というのが正しいか。いくら得体の知れない不安感があるとは言え、ミーティング中にノックもせず突入するなどという不躾な真似はしたくない。深呼吸を一つして、伊織は会議室のドアを適度な強さで叩く。
……どうぞ。」
 伊織が扉の前にいるのを最初からわかっていたのか、小窓ごしに見て初めて認識したのか、それはわからない。ただ、プロデューサーの入室を許可する声は、伊織に話しかける時の声色だった。
「久しぶり、でもないか。元気でやってる?」
 以前はレッスンのたびに顔を合わせていた間柄だ。その頃に比べれば、二週間半ぶりの対面というのは十分に「久しぶり」だろう。
「うん、大丈夫だよ。伊織ちゃんも風邪とかひいてない? 風邪流行ってるでしょ?」
「平気。もっとも、友達が風邪ひいたおかげで今ここにいるんだけどね。」
 ここに至る経緯を掻い摘んで話す。もちろん、CDショップ前での物思いに関してはしっかりと割愛したが。
……ねぇ、伊織ちゃん。」
 プロデューサーに呼ばれて、視線の向きを変える。彼女は大人にしてはやや滑舌が悪いところがあるので、三人でいる時には、たまにどちらに呼ばれているかわからなくなることがあった。せめて呼び方を意識して変えてくれると助かるのだが。

——でも呼び捨ては……いえ、ありと言えばありかしら……

「伊織ちゃん?」
 やよいやプロデューサーの口調を頭の中で想像して、注意が散漫になっていたらしい。というか、返事すらしていなかった。
「あ、ごめん、なに?」
 これで「うるさいわね、聞いてるわよ!」とか言うのもさすがに傍若無人がすぎるので、ここはおとなしく謝罪しておく。
「聞いてた?」
「今は聞いてるわよ。」
「そうじゃなくて……さっきの話。」
「ああ、そっちね……大丈夫よ、ほとんど聞こえてないから。」
 さらりと流したのは、プロデューサーの雰囲気がいつも通りの飄々としたものだったから。彼女はたぶんわかってている。伊織が話の肝を何も聞いていなかったということを。
「あ、でも……私が怒りそう、だとか聞き捨てならないこと言ってたわよね?」
「はわうっ!?」
 いきなり槍玉に上げられたやよいが、奇声を発して大げさにのけぞった。本人にしてみれば何気ない発言だったのだろうが、伊織にしてみれば唯一の有効なキーセンテンスなのだ。
「あらら、それ聞かれちゃってたか。じゃあ観念するしかないわねぇ……
「ふぇっ!? だ、だめじゃないんですかプロデューサー!?」
 あまりにもあっさりと投降するプロデューサーに、真相を知っているのであろうやよいが制止に入る。
「まぁまぁ、私とやよいちゃんと伊織ちゃんの仲じゃないの。」
「あうう、それはそうですけどぉ……
 観念する手番がやよいに移った。元々、隠し事などを好まない正直な子だから、あのように言われてしまえば何も言い返すことは出来ないのだ。
「珍しく、ずいぶんと素直じゃないの。」
「あら、いつも素直で元気でいい子でしょ?」
「やよいじゃなくてあんたのことよ!!」
 わかってやってるのは承知の上だが、ツッコミを入れないと落ち着かない。以前からこの呼吸でやってきたのだ。そう、現役でアイドルをやっていたあの頃から、ずっと。
「いや、伊織ちゃんがね……
「私が?」
 わざとらしい間を急かすことなく、伊織は続く言葉を黙して待つ。
……『好き』って素直に言えないよね、って。」
……はあ!?」
「伊織ちゃんそうじゃないの。やよいちゃんにも私にも、愛溢れる言動行動盛りだくさんなのに、好き?って聞いたら絶対に正直に答えてくれないんだもの。私たちだけじゃないわ。好きなものの話になるとだいたいそう、そんなの興味ないわーなんてツーンとしちゃって、でもそういうところがまたチャーミングなんだけど——」
 有無を言わさず頭を使って阻害。言葉で遮るのは困難な相手だし、これが一番手っとり早く確実だ。まれに避けられてしまうのが玉に傷だが。
「いたた……伊織ちゃんってば刺激的ねぇ。」
 通常なら数秒は口も聞けなくなるほどの威力があるが、今日は垂らした前髪が衝撃を和らげているらしい。プロデューサーは赤くなった額をさすりながら、すぐに起きあがってきた。
……バカなこと言ってるからよ。はぐらかすにしたって、もうちょっとネタを選びなさいよ!」
 視線をずらして非難する伊織を、プロデューサーはただ微笑を浮かべて見つめているだけだった。
……ふふっ。」
 そして、思わぬところから優しく微笑む声。黙って成り行きを見守っていたやよいが、楽しそうに——否、幸せそうにとすら言える満面の笑顔を見せていた。
「伊織ちゃん。プロデューサーの言ってること、ホントだよ……半分ぐらいだけど。」
「え……!?」
 やよいの意外な発言に、伊織は思わず困惑の声を上げてしまった。その「半分ぐらい」とはどの辺りを指してのことなのか。それがやよいが好きだというところだとして、それをやよいがホントだと言っていて嫌がっていないのは解釈としてはつまり——
「たまにはすなおになってね、伊織ちゃん?」
 混乱する伊織の顔を、微笑みを絶やすことなく覗き込んでくるやよい。滅多に見せることのないちょっと勝ち気なその表情に、伊織はたちどころに魅入られてしまった。頭から蒸気が吹き出すような感覚。傍から見れば、まさに火を通したタコかエビかといった惨状だろう。
「わ、わ、わかってるわよっ。」
 自分でも明らかに「それは違う」と確信できる珍回答を口にして、伊織はやよいから視線を逸らした。もちろん、「やっとの思いで」という修飾が適切となるほどに、強い意志を必要としたわけだが。
……なによ?」
 しかしその逸らした視線の先に、今度はプロデューサーーのにやけた顔があったというのだから、どうにも始末に負えない。
「ん~? いや別に何でもないわ。伊織ちゃん可愛いなぁって。」
「なッ……!?」
 たちまち、両頬が再加熱されていた。いつもだったら鼻で笑い飛ばすか頭でねじ伏せるか、その二択しかありえない軽口に対して、こうも照れるなんてどうかしている。
「こ、こ、この、なにニヤけてんのよ、バカ!!」
 どうにか出てきた悪態には何の趣向も工夫もなく、とても抑止力にはなりそうもない。
「うう……。」
 やよいはにこにこ、プロデューサーはにやにや、種別の違う笑顔に挟まれ、もはや為す術も無し——ならば取るべき手は一つ。
……用事あるから帰る!」
 慌てて踵を返す伊織。意表を突かれた二人は、それぞれに驚愕の声を上げているが聞こえないフリ。実際、嘘はついていないのだ。この後、向かうべき場所があるのは事実だった。ただし、少し時間が早いのだが。
 とは言え、この場にとどまるのは絶対に得策ではない。攻守で表現するなら、今は完全にプロデューサーの攻撃手番。さらにそこにやよいが加勢していると来たものだ。このまま勢いに任せて何をされるかわかったものではない。特にプロデューサーは危ないことこの上ないし、やよいも変な影響を受けて万が一ということもありうるだろう。もしもそんなことになってしまったら——

——……けっこう……いいかも……

「って何考えてんのよぉぉぉぉっ!!」
 突然、伊織が叫び声を上げたので、プロデューサーとやよいだけでなく、事務所にいたスタッフが全員一斉にこちらに視線を集中させた。
「あ……えーと、いや、なんでもないわよ? にひひひ……
 今さら取り繕っても仕方ないが、とりあえず笑って誤魔化しておく。
「じゃあ行くわね……また明日にでも顔出すわ。」
 大声を出したら混乱も収まった。今度は落ち着いて、別れの言葉を残すことが出来た。
……伊織ちゃんっ。」
 去ろうとする伊織を呼び止めたのは、やよいの力のこもった呼びかけだった。
「なぁに?」
 さほど急ぎでもなかったので、伊織は足を止めて振り返る。こちらを見つめるやよいの顔には、不安の色がありありと浮かんでいた。
……やよい?」
……あ、ええと……またあしたね!!」
 今さらな別れの挨拶。何か言いたいことがあったのは明らかだが、とてもじゃないが追及する気にはならなかった。やよいはその誠実な性格がゆえ、嘘を上手く吐けない——そんな彼女から、無理矢理にでも本音を引き出すなどという暴挙に及ぶなど、まともな良心を少しでも持っていれば出来るはずがない。
「ええ、また明日。」
 笑顔で手を振って見せる。やよいは上手く誤魔化せたと思ったようで、満面の笑みを浮かべながら手をぶんぶんと振り返してきた。その傍らで、プロデューサーが苦笑を浮かべている。何を言わんとしているのかは、長年の付き合いゆえかすぐにわかった。

——「悪いわね、気を使わせちゃって。」

 言葉にする代わりに、伊織はプロデューサーにも手を小さく振って見せた。

——「気にしないでいいわ。」

 以心伝心とは言ったもの。2年弱の付き合いはやはり伊達ではない。そんなことをしんみり考えながら、伊織は今度こそ事務所を後にしたのだった。

 無理を承知で早めに訪問してみたら、融通を利かせてもらってしまった。顔馴染みということを考慮に入れても、事実上は冷やかしも同然の伊織に便宜を図ってくれたことには、頭の上がらない思いであった。せめてものお返しというわけでもないが、今日は比較的「上手く行った」と思う。
「まぁ、上手く行ったから何だってこともないんだけどね……
 まさに「実のない話」である。以前であれば恩恵は計り知れなかっただろうが、今の自分が結果を出したところで、それに対して生じる利益など何もありはしない。
……そのうち、何かの役に立つかもしれないか。」
 世の中、無関係に見える経験が思わぬ方向に生きるものである。現役時代にはそれまでに身につけてきた雑事がいろいろと活きたし、活動を止めてからは逆に現役時代に習得した知識が活きたりもしている。あまりネガティブに考えても仕方ないだろう。「順調」であることを素直に喜んでおこう。
「しっかし、この時間だと結構人がいるものねぇ。」
 迎えの車を待つ伊織の視界に映し出されているのは、駅前のロータリーだった。地方からの私鉄線がいくつも乗り入れている主要駅であり、まだ時間が早いこともあって、周囲には人影も少なくなかった。地元の人間だけでなく、遠方から訪れてきたと思われる、いわゆる「おのぼりさん」の姿も見られる。
「あら……?」
 そんな中で、非常に小さな一つの人影が、行き交う雑踏に翻弄されていた。その小ささたるや、身近な「小柄」の好例であるやよいの比ではない、恐らくは小学校低学年が良いところ。こんな場所に一人でいるのは、どことなく不自然だった。
……迷子かしら?」
 基本的に面倒事は御免被りたいところだが、さすがにこれを見過ごすほどドライには出来ていないのも事実だ。周囲を通過する大人たちは何をしているのかと呆れる前に、体が勝手に動いていた。
「どうしたの? 誰かとはぐれちゃった?」
「え……?」
 その少女は誰かを探すように人混みを見回していたので、迷子だという可能性もあった。ゆえに、放っておけなかったのだ。いつのまにかやよいの世話焼きが移ってしまったらしい。
……おとうさん、おむかえにきたの。」
「あら……そうだったの。」
 しかし伊織の推測とは裏腹に、少女は明確な目的を持ってこの場に立っていた。
「おにいちゃん……えっと、いとこのおにいちゃんのおうちにあそびにきてるの。でも、おとうさんおしごとであとから来るから、むかえにきたの。」
 年齢の割にはずいぶんとしっかりとした子である。とは言え、こんな幼い子供がこのような雑踏の中で一人でいるのも、やはり不用心と言えよう。近頃は物騒な話も少なくないのだし。
「一人だと退屈でしょ。お姉ちゃんもいっしょに待ってててあげようか?」
……うん。」
 よくよく考えれば、今の自分がまさに不審人物であるような気もしたが、害意がないことは他でもない自分自身がよくわかっている。
……あれ……
 人見知りするところがあるのか、しばらく神妙な表情をしていた少女だったが、何か気になることがあるらしく、伊織の顔をじっと見つめ始めた。
「ん? どうしたの?」
……あの……えっと……
 何か言いたそうだが、はにかんでなかなか言葉にしてこない。引っ込み思案というわけではなさそうだが、伊織のよく知るあの双子ほど天真爛漫でもないのだろう。もっとも、奴らは天真爛漫を通り越して破天荒の領域に至っている気もするが。
「大丈夫よ。言ってみて?」
 うかつな発言で粗相がないように、子供なりに気を使っている——何となくそんな気がした。この少女から、やよいと同じ「良い子の資質」が感じられたのだ。根拠などないが、やよいとの付き合いで身に付いたこの勘には自信があった。
「うん……
 伊織に言われて一度は頷いた少女だったが、まだ言って良いのか確信が持てないのか、しばらく沈黙を保っていた。少しの間をおいて、やっと意を決したように口を開く。
「サイン……ちょうだい!!」
「えっ……?」
 思いもしなかった言葉。あまりにも突然で、何を言われたのかすぐには理解できなかった。
……いおりちゃん……みなせ、いおりちゃん、だよね?」
 続く言葉に、やっと得心が行った。いつの段階で気付かれたのかはわからないが、この少女には自分の正体がバレているらしい。
「ええ……そうよ。でもよくわかったわね?」
「ファッションショーのときの髪がた……かっこよかったから……
 全盛期にはファッション関係の仕事は山ほどあったので、前提条件が0だったら、この子の言う「ファッションショー」がどれを指すのかはわからなかっただろう。しかし、彼女は大ヒントを出してくれていた。
 この髪型をテレビで見せたことは殆どない。更に具体的に言うならば、全国ネットで披露したことは一度もないのである。

 まだ駆け出しの頃、地方ローカル局の企画でファッションショーもどきをやらされたことがあったのだ。デザイナーを目指している地元のある高校生のために、ファッションショーを開こうという企画だった。見物に集まったのは保護者やお年寄り、そして近所の子供ばかりで、お世辞にも立派なショーとは言えない内容だったが、それでもそれなりに盛り上がっていたし、デザインのセンス自体は決して悪くなかった。そのため、良い意味で伊織の記憶にも強く残っている。この少女は恐らく、あの番組を放映していた地域に住んでいるのだろう。
「そっか……あの番組、見ててくれたの。」
 あの時、或る一着だけ、アップの前髪がどうしてもしっくり来なかったのだ。それで、そこだけは例外的にリボンを外して撮影していた。それは時間にしてほんの数秒。この子はそれを覚えていてくれた。
「いおりちゃん、かっこよかったよ!!」
「あら……あ、ありがとう。」
 子供というのは正直で力強い。ここまでストレートな賛辞には、さすがの伊織も照れを隠しきれなかった。
……どうしたの? だいじょうぶ?」
 視線を逸らして苦笑いする伊織を、少女は心配そうに覗き込んでくる。
「あ、ごめんね、なんでもないの。」
 拙い言葉だが、その声色には優しさを感じる。本当に優等生である。爪の垢を煎じてあの双子に飲ませてやりたいところだ。
「ほんと?」
「ええ。おねえちゃん、かわいいって言われなれてるけど、かっこいいってあまり言われないから恥ずかしくて。」
「いわれなれてる?」
「あ、えっと。」
 つい気分が乗って、子供相手にいつもの軽口が出てしまった。ファン以上に言葉に気を付けなければならない相手だというのに。
「ほら、みんな優しいから、おねえちゃんが喜ぶように、かわいいかわいいって言ってくれるのよ。」
 とりあえずこれで誤魔化せたはず。そう思った伊織だったが、この少女は伊織の予測を上回る「良い子」だった。
「ううん、そんなことない。いおりちゃんかわいいもん!」
 伊織もその尊大な態度からか「輝いている」とよく揶揄されるのだが、いま目の前にいるこの子は純粋に眩しかった。その慈悲の光は、どれだけの世界を遍く照らすのだろう。思わず抱きしめて連れて帰りたくなったが、それでは自分がここまで一緒にいた意味が逆さまにひっくり返ってしまう。わなわなと震えているのを隠すよう、膝の上で両手を重ねて、意味の特に無い微笑を浮かべてみせる。
……サイン、してあげないとね。」
「あ、うん!!」
 女の子は可愛らしいピンク色のリュックサックから自由帳を取り出すと、サインペンといっしょにそれを手渡してくる。
「このページでいいのね。ちょっと待ってて……
 嬉しそうに頷く少女に見えないよう、伊織はこっそりと自分のメモ帳を取り出し、自由帳の影で白紙のページを開いた。そこに二、三度、自分のサインを試し書きしてみる。大丈夫、体は忘れてない。

——もうずいぶん書いてなかったのにねぇ……

 むしろよほどのことがない限り、金輪際書くことはないだろうと思っていた。名目上がどうであれ、今の伊織は——
「ねえ、いおりちゃん。」
 自由帳への清書が終わり、出来栄えを改めて確認する伊織に、少女は無邪気に呼びかけてくる。
「なあに?」

 そう、子供には悪意も他意もない。

 だから、

「アイドルのおやすみっていつまで?」

 続く言葉がどうであっても、不思議は全く無かった。

「えっ……
「おにいちゃんがね、いってたの。いおりちゃんアイドルやめちゃうの?って聞いたら、おやすみするだけだよーって。」
 それは伊織自身も、忘れかけていた——正確には、忘れようとしていた事実。
「あ、ええと……
 下手なことは言えない。少女の夢を壊してしまうかもしれないし、なにより——

——私は……どうしたいの……

 活動停止という名目とは言え、実質は引退したも同然の身。再び芸能界に戻るとなれば、超えるべき障壁は多く、また復帰後もまた1からやり直し。それなりの覚悟がなければ、再起など出来ないのだ。
「私は……
 戻れない——それは「戻りたくない」も兼ねた言葉なのか、それとも。
 自問自答で時間を費やせば、それだけ少女を心配させてしまう。

 追いつめられた伊織を救ったのは、思わぬ助け船であった。

「あ……
 少女は何かに注意を奪われると、ベンチからおもむろ
に立ち上がる。
「おとうさん!!」
 そのまま小走りに、父親とおぼしき男性の元へ駆けていく。伊織が見ているから安心と思ったのか、父親と合流できて気が抜けたのか、鞄をベンチに置きっぱなしである。父親の方もそれにすぐ気付いたようで、娘の手を引いてこちらに歩いてきた。
「悪ぃなお嬢さん。娘の話し相手になってくれてたんだって?」
 少女の父親だというその人は、やや無精な風貌とくたびれた雰囲気から、一見して「中年」という印象を持ってしまうが、よくよく見れば実際にはそこまでの歳でもないようだった。
「いいえ……私もちょうど人を待っていましたので。」
 これは謙遜などではなく本当の話。家に迎えを頼んだものの、珍しく執事の新堂がなかなか現れないのだ。男性に会釈をしてから、伊織は手に提げた鞄を少女の前に差し出す。
「はい、ちゃんと持ってなきゃだめよ?」
「あ……
「自由帳も戻しておいてあげたから。」
「ありがとう、いおりちゃん!!」
 少女は満面の笑みで礼の言葉を発する。こういうときはだいたい親に「ありがとうは?」などと言われがちなものだが、本当にしっかりした子である。
……じゃあ行くか。あんまりあいつを待たせても悪ぃしな。」
「おにいちゃん、ばんごはん作ってくれるっていってたよ!」
「おう、そりゃ楽しみだ。あいつの飯も久々だしな。」
 ごく短い会話だが、この二人の親子仲の良さがよくわかる。伊織も決して父親と不仲ということはないが、こういうやりとりはあまりなかった気がする。
「それじゃあなお嬢さん。ありがとうよ。」
「どういたしまして……お気をつけて。」
 知らない大人相手によそ行きの言葉使いが出てくるのは、もはや演技ではなく癖の域に達している。もちろん、身について損をする特質でもないので、改める気も全くないが。
「ばいばい、いおりちゃん。」
「ええ、バイバイ。サイン、大事にしてね?」
「うん!!」
 少女は何度も振り返っては、こちらに元気良く手を振って見せる。そのたびに伊織も手を振り返していたから、なかなかこの場を離れられなかった。元国営の大手路線の改札に親子が入っていき、その姿が見えなくなったところで、伊織は誰にともなく声をかける。
「待たせちゃって悪いわね。」
「お気付きでしたか。」
 背後には、いつの間にか初老の男性が立っていた。水瀬家に仕える執事、新堂である。
「エンジン音の殆どない車も、気配も立てずに後ろに現れる執事も、余所では殆ど見られないからね。」
 最寄りの車道には、既に水瀬家の送迎用私用車が止められていた。このターミナルにはタクシーやら路線バスやら一般の乗用車やらがひしめいているので、黒塗りの高級車はやや目立っていた。
「人目もあるし、私たちもとっとと行きましょうか。」
 踵を返し、車へと歩き出す伊織。
「かしこまりました。」
 新堂が一歩前を行き、スムーズな動作で車の後部ドアを開く。

——あ、名前書いてあげるの忘れちゃったな……

 そもそもに名前を聞くことすら忘れてしまっていた。現役時代は、サイン会でなければ「~~ちゃんへ」などとなるべく書くようにしていたのに、やはりブランクというのは調子を狂わせるものである。
「ブランク、か……
 音もなく動き出した車内で、伊織はぽつりと呟いて目を閉じ、過去の出来事に思いを馳せた。もう1年以上経つというのに、未だに昨日のことのように思い出せる。

 トップアイドルとして一世を風靡し、様々な社会現象を巻き起こした水瀬伊織。情報の循環サイクルがあまりにも速いこの国では、そんな彼女も既に過去の人物とされてしまっている。しかし、その当時においては、彼女の人気はまさに絶大の一言に尽きた。
 商業シーンでは伊織のタイアップ商品が日ごと登場し、有線放送は彼女の歌を競うように重点的に流し、テレビ番組やライブなどのイベントにその姿が登場しない日は無いと言っても過言ではなかった。
 そんな中で、突然出された活動休止の宣言。様々な憶測が飛び交ったが、真相はわからぬまま、ただ公式には「更なるステップアップのための充電期間」とだけ発表されただけだった。ドーム球場を利用した「お別れコンサート」は大成功を納め、伊織の名は伝説として刻まれることとなった。
 しかし伝説とされた存在が、「現在を生きるもの」であり続けるのは難しい。芸能愛好家やアイドルマニア、歌を愛する者たちの記憶には残り続けても、一般的な知名度は急降下していった。かつて存在した、やはり「伝説」となったアイドルグループの言葉を借りるならば、伊織は「普通の女の子」に戻ったのであった。

 そんな彼女が普通の女の子に戻る前、現役時代の「最後」に起きた出来事——誰も知らない伊織の活動休止の真の理由。

 伊織の意識は、より深く過去の世界へ没入していた。

 活動開始から丸1年以上が経ち、仕事に追われる毎日が続いていた。いくつかの幸運も味方し、数々のオーディションを制覇してきた結果、もはや伊織と並ぶアイドルは殆どいないという状況にまで至っている。駆け出しの頃のちょっとした失敗で、無敗の称号は得られていないものの、トップアイドルの最先鋒であることに変わりはないのだ。現に、ファンの規模で言えば無敗の英傑たちにも引けはとっていない。
……まったく、エレベーターの数増やしてくれないかしら。」
 事務所ビルの階段を上りながら、伊織は忌々しげに呟いた。駆け出しの頃に765プロが間借りをしていた雑居ビルとは違い、それなりに立派で階数も多く、通常はエレベーターで楽々移動が出来る。ただし、このエレベーターが故障した場合には、もれなく階段移動という自主トレーニングを強要されることとなる。幸い、765プロが入っているフロアはさほど高い位置にはないため、苦行というほどの負担はかからないのだが。
「結構鍛えられてるしねぇ。」
 日頃のダンスレッスンの賜物か、このぐらいは運動のうちにも入らない。ボイスレッスンで肺活量も鍛えられているし、そんじょそこらの中学生よりは基礎体力は高いはずである。

——だからこのぐらい平気なはずなんだけど……ね。

 現実には、たった十数段登るだけのことが非常に困難な行動に感じられていた。足が痛いとか息が上がるとかそういう次元の問題ではなく、単純に体がなかなか言うことを聞いてくれない。一歩一歩を踏み出すのに、意識して足を上げる必要すらあった。
……この……程度で……っ!!」
 伊織は生まれついての負けず嫌いだ。その相手が何であろうと、敗北は何にも変え難い屈辱だった。

——下僕どもが……待ってんのよ!!

 本音を隠さぬ場面では、ファンを「下僕」と呼ぶ伊織だが、その言葉に軽蔑の想いは決して混ざらない。身を粉にして主を立てるのが下僕の役割だが、それに応えて褒美を与えるのは主の役割だ。自分を支える動力源——下僕たちがいるから、彼らが、彼女らが喜んでくれるから、どんなハードスケジュールだってこなすことが出来る。バカばかりで、発言がド変態じみた奴も多くて、頭おかしいんじゃないのかと心配になるようなファンレターもよく届くけど、それでも皆、伊織を支える「かけがえのない下僕たち」なのだ。
「こんなところで止まってらんない……
 前進を拒否する足を無理矢理動かし、階段を踏破してやった。地面が平らになれば、後は気力でどうにでもなる。

 この当時、度重なる激務により、伊織の肉体的限界は確実に近付いていた。

 いくら容姿端麗で、頭脳明晰で、歌も歌えて踊りも踊れて演技までこなす、彼女自身が公言する通りのスーパーアイドルだとしても、身体的にはまだ中学生——子供と表現しても差し支えないほどに幼い。生活リズムの崩れは確実にその体を蝕み、日に日に疲労は蓄積している。

 だが悲愴な表情も、足を引きずるのも、この扉をくぐるまで。伊織は直前までの様子など嘘のような平然とした表情で、事務所の奥へと歩みを進めていく。
「おはよう、プロデューサー。」
「おはよう伊織ちゃん。立ち話もなんだし、とりあえず座りましょ?」
 いつも通りの朝、いつも通りの事務所、いつもの会議机にプロデューサーがいて、いつも通りに挨拶をする。
……今日はね、大事なお話があるの。ちょっと聞いてもらっていいかしら?」
 しかし、いつも通りはそこで終わりだった。プロデューサーの様子がどこかおかしい。普段だったらもっと呑気に軽口でも叩いてくるのに、今日の彼女からはそういった悪ふざけの気配が一切感じられない。
「あ、ええ……構わないけど。」
 こちらも平時であれば、多少の軽口を返すことはある。しかしプロデューサーの顔付きがいつもと違うから、そう言ったイレギュラーは一切許されない空気が出来上がっている。負の感情を伴っているわけでもないようだが、そのまっすぐな視線は、いつになく真剣な印象を受けた。

 プロデューサーにしても大事件なのだろう。
 数回深呼吸をしてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

……水瀬伊織さん、あなたの活動停止が決まったわ。」

 体が理解することを拒否した。直前に耳から入った言葉を、何とか記憶から打ち消そうと脳がフル回転しているようにも思えた。
……もう1度言ってくれる?」
「活動停止よ。後はあなたがOKしてくれれば、イベントのキャンセルも含めて大規模なスケジュール調整が始まるわ。」
「ちょ、ちょっと、なに勝手に話進めてるのよ! どうして急に活動停止なんて……
 今にも噛み付きそうな勢いでつっかかってくる伊織に、プロデューサーは言葉を選んで話しているようだった。
……この辺が一区切りにはちょうどいいかなって。」
「区切りですって……?」
「ええ……何か関係がぬるくなってきてると思うのよ、最近ね。」
 1年もいっしょにいればわかる。この言葉は本心じゃない。抗議の念をこめて、無言で睨みつけてやる。あちらはあちらでこっちの言わんとしていることはわかるようで、参ったと言わんばかりに頭を振ってみせた。
「ま、もちろんそんなのは建前なんだけどねぇ……
 やっとプロデューサーがいつもの調子に戻った。要はダミー情報を提供するため、自分自身すら騙していたということか。
「それじゃ本題。質問に答えてもらうだけでいいわ。」
……ええ。」

 どんなジョーク交じりの質問が飛び出すのかと気を抜いていたから、続く一言には不意打ち的な強い衝撃が加わってしまった。

「今日、階段登りきるのにどれだけかかったの?」

 感嘆符すら発することが出来なかった。それでいて、表情を取り繕うことも出来ない。きっと誰が見ても、もっとも痛いところを突かれたと言わんばかりの苦い表情をしているのだろう。
……普通よ。すんなり登ってきたけど?」
 それでも、認めるわけにはいかない。一度立ち止まってしまえば、二度と立ち上がれない気がしたから。
「普通、か。」
 プロデューサーの表情から、緩みがまた消えていた。その視線は痛いまでにどこまでもまっすぐで、目を合わせているだけでも精神力を削がれてしまう。
「ええ、普通。」
 もはや虚勢にしかなっていないのは、自分でもわかっていた。プロデューサーはいつだって、伊織のわがままを上手くかわしてきたのだ。
……8分30秒。」
「えっ……?」
「私がビルに入る伊織ちゃんを見つけてから、ここに来るまでに8分半ぐらいかかったのよ。」
「うそ……
 確かに階段を登るのに相当手こずったが、それにしたって5分までかかってないと思っていた。
「10分待って来なかったら、探しに行くつもりだったの。無事に着いてくれて安心してる。」
 もはや何も返す言葉は無かった。全てを見破られ、それでもなお抵抗を続ける伊織に、気遣いすら見せてくる——そんな相手に、勝てるわけがない。
「伊織ちゃんが頑張ろうとしてくれているのは、本当に嬉しいの。」
 意固地になって無茶を続けてきたのに、それでもプロデューサーは優しかった。
「でもね、あなたの体にはもう限界が来ているの……これ以上無茶を続けたら、どうなってしまうかわからない。」
 それはもちろん自覚はしていた。階段を登るだけでもあれだけの負担がかかる状態なのだ。いつ倒れたっておかしくはない。
「あなたは爆発的な勢いでファンを増やして行ったけど、それに伴って仕事量も急激に増加してしまった。」
 人気が上がってくれば、伊織に頼る企業や番組も増加の一途を辿る。当然、このようなブームは一過性のものであることも多く、いずれは落ち着くのだろうが、それにはまだまだ時間が必要そうだった。
「私も社長も見積もりが甘すぎたの……伊織ちゃんはまだこんなハードスケジュールに耐えられるほど育っていないのに、人気だけが過熱しすぎて完全に後手に回ってしまっていた……
 プロデューサーのこんなに悲痛な表情を見たことは一度としてなかった。どんな困難が目の前に発生しても、飄々とした態度でスマートに切り抜けていたのに。相対する伊織まで胸が痛くなってくる。
「もう、スケジュールの調整程度ではあなたの負担を減らす……いえ、はっきり言ってしまえば、あなたを『守る』ことは出来ないの……。」
 今にも泣き出してしまいそうなプロデューサーの様子を見るのがつらくて、伊織は俯いて視線を落とす。彼女は優しいから、自らや事務所の責任ばかりを取り上げて話すが、伊織にだって問題はあったのだ。もっと早く、過密スケジュールで体がつらいと正直に告げていれば——
……えっ……?」
 突然、何者かが背後から覆いかぶさってくる。視線を再び上げると、対面にプロデューサーの姿はない。つまり、いま伊織を背中から抱きしめているのは——
……ごめんね……もっと私がしっかりしていれば……ごめん…………っ!!」
 プロデューサーはこれ以上、自分の表情を見せたくなかったのだろう。大人としての意地だったのかもしれない。背中越しに、押さえきれていない嗚咽も聞こえるけど、それに触れることなんか絶対に出来ない。
……バカね……あんただけが背負い込むこと……ないじゃない……
 伊織が苦しんできたことも、道が途切れたのも、プロデューサーだけのせいではないのに。彼女はその責任を全て自らに課して、こうして伊織に懺悔を繰り返している。
……でも……
 何を言ってもああ言えばこう言うでかわしてきたくせに、今に限っては論理的な反撃を全然返して来ない。伊織が弱っているのと同様に、プロデューサーだってボロボロだったのだ。それを気遣ってあげられなかったのだから、伊織にだって謝る理由はあった。ただ、今はお互いに謝り合っていたって仕方ない。回されているプロデューサーの手に自らの手を重ねて、伊織は背後の女性にその体を預ける。
「私は大丈夫だから……いま持ってるものを全部ぶっ壊したって、またいつか、もっと高いものを積み上げてみせる。」
「伊織ちゃん……
 もちろん根拠など全く無い。でも、この根拠の無い強気の姿勢でここまでやってきたのだ。そしてこれからも、この考えを改める気はない。

 「私なら出来る」という前提が初めに存在し、それを現実のものにするべく動く。それが、水瀬伊織の戦い方なのだ。

「ほら、いつまでも湿っぽくなってるんじゃないわよ!」
……ええ、らしくなかったわね。」
 そんなことを言って体を離そうとするのを、重ねた手に力を込めて引き止める伊織。もう少しこのままでいたかったが、言葉に出すのは何か抵抗があったのだ。器用にも体を回り込ませて伊織の顔を覗きこんできたプロデューサーが、すっかり元通りの呑気な微笑みを見せてきたが、そっぽを向いて返してやる。
……伊織ちゃん。」
 名を呼ばれて反射的に顔を向きなおすと、プロデューサーの顔が近かった。それも至近距離。いつもと違って一瞬だけ唇を重ね、今度こそプロデューサーはその体を伊織から離した。
「ささやかだけど、お礼。伊織ちゃんを励ますのが私の仕事なのに、すごく元気もらっちゃったから、ね。」
……バカ。」

 そして、プロデューサーがちゃっかり用意しておいた「特大の仕掛け」であるお別れコンサート——それも大盛況のうちに終了し、伊織は惜しまれつつも芸能界から一度身を引いたのだった。もっとも、そのコンサートまでにまた一悶着あったのだが、終わってみれば全て良い思い出だ。
……キス魔は生まれつきなのかしらね、あいつ。」
 左右の景色だけが高速で流れていく静寂の中で、伊織は指で唇を軽く撫でる。
「ま、今はそんなことより……
 過去の出来事を振り返っていたのは、何も思い出に浸りたかったからじゃない。どうしても気になることがあって、その証明に必要な材料を探すためだったのだ。
「改めて思い出してみなきゃ、結構気付かないものなのね……

 夕方に事務所を訪ねて行った時、やよいと話すプロデューサーが見せていた表情。確かに見た記憶があった、彼女にしては珍しいその真剣な表情を、いつ、どんな状況で見たのか——やっと話が繋がった。
「間違いないわ……活動停止の話をしてきた、あの時と同じ……。」
 無表情を装っているが、要はアイドルの将来を左右するような重要な話に対するプレッシャー、それを抑えつけている時の顔なのだろう。そしてそんな表情をやよい相手に見せていたということは、その話の内容は容易に想像が付く。

——ちょっと解せない部分はあるんだけど……

 確かに最近のやよいはかなり忙しくしているが、それでもあの頃の伊織ほどの過密スケジュールではないのだ。もっとも、プロデューサーや事務所がそういった決断をするに至る理由は他にもいろいろとあるのだろうから、考えたってきっと答えは出ない。重要なのは、そのような選択肢をプロデューサーが選び、やよいがそれを受け入れようとしていることだ。
 これはやよい自身の問題であり、本来なら伊織が口を挟むことではない。それは伊織自身も重々承知している。1年前のあの時、部外者が介入してきたところで、受け入れはしなかっただろう。
 だが今この状況で、伊織だからこそ出来ることがある。それを決行することで、やっと1年前の決断に意味を持たせることが出来るのではないか——そんな気がしてならなかった。
 明日あたり、プロデューサーと話をしに行こうか。そんなことを考えた矢先のことだった。バッグの中から電子音のメロディが鳴り響き、車内の静寂を打ち破った。
「携帯が……メール?」
 画面を見ると、一通のメール着信がアナウンスされていた。
……面白いじゃない。」
 差出人の名を見て、伊織は運命の悪戯を感じずにはいられなかった。あまりにもタイミングが良すぎる。どこまでがあの呑気な女の狙い通りなのかはわからないが、どちらにしても明日、全ての決着が付けられそうだ。

 メールの差出人はプロデューサー、本文は簡潔にまとめられていた。

『明日の朝10時、事務所に来られる? やよいちゃんと一緒に聞いてほしい話があるの……。』

 オフのつもりは全然なかったから、いつも通りにリボンをつけて、前髪はアップにしてきた。お気に入りのゴシック調のワンピースを着て、うさちゃんの同伴も忘れずに。準備万端、今日は自分の持ち得る全力を尽くして、納得の行く結論を勝ち取ってみせる。
……おはよう。」
「おはよう伊織ちゃん。」
 だがしかし、いざ対戦相手を目の前にしてみると、たちまち緊張で体が強張ってくる。あの時はお互いに傷を舐めあう立場だったが、今回は少し立ち位置が違う。場合によっては、プロデューサーと意見を戦わせる必要もあるのだ。
「どうしたの? 怖い顔しちゃって。」
「な、何でもないわよ!!」
 だからって、議論が始まる前から睨みつけていても仕方ない。そもそもに、今日の議題も伊織の予測通りとは限らないのだ。なかなか現れないやよいの到着が待ち遠しかった。
「すいません、遅くなりましたっ!!」
 そこにタイミング良くやよいが駆け込んで来た。全力疾走でもしてきたのか、肩で息をしながらこちらにフラフラと寄ってくる。いつもは進められるまで座らないやよいだが、今日はさすがに立っているのがつらいようで、プロデューサーの隣りに早々に腰を落としていた。
「珍しいわね、やよいが遅れるなんて。」
「ご、ごめんね、エレベーターがせいびちゅうで……
 息を切らせながらのやよいの説明によると、やよいは「整備中」という言葉をちょっとした片付けと勘違いしていたらしく、ずっとエレベーターの前でその「整備」が終わるのを待っていたらしい。通りがかった清掃員のおばさんが向こう30分は来ないと教えてくれて、慌てて階段を駆け上ってきた結果、今のような惨状になっているとのことだった。

——つまり、階段を登るのもやっとって状況じゃないわけよね……

 元々やよいの方が体力があるということを考慮に入れても、まだそれほどの負担はかかっていないと見て良いだろう。もちろん、それが議論の材料になるのかどうか、それ以前に議論そのものが発生するのかも不確定な状態だが。
「さて、それじゃ……始めましょうか。」
 場の空気が変わった——伊織はそんな錯覚すら覚えた。原因は言うまでもない、プロデューサーの表情と声色が一変したからだ。
「やよいちゃんには昨日話をしたんだけど、伊織ちゃんにも言っておいた方が良いと思ってね。」
 淡々と進めていくプロデューサー。感情の無い目はプレッシャーと戦っている証拠。やはり話題は伊織の見積もり通りだ。
「高槻やよいさんの活動……このままの状態で続けていて良いものか考えているの。」
 あれだけばっちり予測をし、しっかり覚悟をしていても、やはり実際に言われるとかなりの重圧がのしかかる。心のどこかで、取り越し苦労であって欲しいと思っている側面もあったのだろう。そんな弱気な願いは、あっさりと打ち砕かれたわけだが。
「それってあの時と同じ……ぬるくなってきてるってこと?」
 あえて、伊織はダミーの方の事情を口にする。とりあえず、相手の出方をうかがいたかった。
「そうは言わないわ。ただ続けるだけがやよいちゃんにとって良いことなのかな、って思ってね。」
「でも、やよいのスケジュールはまだオーバーワークというほどの激務には至っていないわ。今のうちに予防線を張っておけば、最悪の事態は避けられるんじゃない?」
 先手をとって、言わんとしていそうなことを潰しておく。続けていくことでやよいの人気が爆発を繰り返せば、1年前の伊織と同じ状態に陥らないとも限らないのは確かだ。しかし、あの時の教訓を持っているという意味では、完全に同じ結果にはならないと考えるのが自然だろう。
「なるほど……それは一理あるわね。」
「でしょう? だから……
「でもね、話はそれだけじゃないのよ。」
「え……
 有利と思われた状況は軽く覆された。ここから先は、伊織が全く予測していなかった世界。ぶっつけ本番で戦っていくしかない。
「やよいちゃんの格付け……今はどこにあるか、知ってるかしら?」
……Aランクよね。」
 大手アイドル情報誌が毎週発表している、アイドルの格付けランキング。基本的にファン人数を基準に、その他の細かな要素を加味して付与されるアイドルランクは、まさにそのアイドルの「格」を示す指標として、芸能関係者の間でも重視されている。
「そう。そしてここから先はないということでもある……。」
「どうしてよ? やよいほどの力があれば、最上級のSランクにだって……
 本当に選ばれた者だけが得ることが出来る、Sランクの称号。それは単純なファンの人数だけでなく、通過が困難とされる大手オーディションを全て制覇していることが求められる。
……そんな、まさか。」
 それは、伊織自身もぶつかった壁だった。活動後期、そのファン総数は優にSランクの指標を軽く上回っていた伊織が、Sランクの称号を得ることが出来なかった要因。戦績についたほんの小さな傷が、蟻の一穴となったのだ。
「そう……やよいちゃんもね、落選してしまっているのよ。あのオーディションを受ける前にね。」
 SランクがAランクと一線を画している最大の要因、それはSランク要件とされるオーディションの1つにあった。応募条件に定められた条項が「オーディションで不合格となった経験の無いユニット」。つまり、このオーディションを受ける前に一度でも落選の経験があれば、受験することすら許されず、もしも運良くこのオーディションを受けることができたとしても、ここで負けてしまえばやはり出場権は失われる。
「つまり、ここで打ち止めってわけ……!?」
「残念だけど、そういうことになるわ。これ以上このまま続けるかはやよいちゃん次第。時間を取られる芸能活動を続けるか、普通の学生生活に戻るか……
 この口ぶりだと、昨日の時点でやよいは恐らく後者を選んでいる。ここで伊織が首を縦に振れば、全てが終わってしまう。だったら、やるべきことはただ一つ。それこそが、今日この場にやってきた唯一最大の理由——

「ねぇ、プロデューサー……やよいも、ちょっと聞いてもらっていいかしら?」

 突然の話題の切り替えに目を丸くして見せた二人だったが、いずれも無言で頷いて、続く伊織の言葉を待った。伝わるかはわからない。でも、話してみなければ何が起こるかもわからないのだ。
「私、1年前に活動をいったん止めたじゃない? あれってプロデューサーと社長が私の体を気遣ってくれてのことで、おかげですっかり元気になったから、本当に感謝してる。ただ、その後の自分自身のことをね、振り返ってみたのよ。」
 長い戦いの疲れを癒やすために海外まで旅行に行き、戻ってきたところでやよいと出会った。それからはずっと、プロデューサーの助手として雑務をこなし、気付けば1年が経っていた。「停止」しているだけのアイドルとしての活動を、再開する選択肢すら忘れて過ごしてきた1年間。
 初めは指導者の立場も楽しかった。教える身になってみないと、わからないことは沢山あった。プロデューサーの視点に立ってみて初めて、見えてくることは決して少なくなかった。
 そのたびに、アイドルとしての自分が表に出ようとしてきた。押さえきれない衝動を誤魔化すために、プロデューサーややよいに内緒でレッスンに通ったりもしていた。衰えていた力はすぐに元に戻り、今では現役時代とさほど変わらぬ域にまで戻っている気がする。
 それでも活動を再開すると言い出せなかったのは、「一度は去った世界に戻る」ということに対する不安感が原因に他ならなかった。戻った自分が受け入れられるのか、一からやり直して前と同じ域まで本当に辿り着けるのか。何より、以前の自分を越えることが出来るのか——様々な仮定が浮かんでは消えて、伊織に二の足を踏ませるのだ。
「一度、活動を止めてしまうと、再開するのは想像以上に難しいわ……お願いプロデューサー。今ならまだ間に合うから、やよいのこと何とか考え直してあげて……Sランクにはなれないかもしれないけど、この子を慕うファンは沢山いるんだから……
 そう、自分の復帰を待ち望んでいたあの小さな少女のように——

「ねえ、伊織ちゃん。」

 ふいに、プロデューサーが言葉を挟んできた。黙って話を聞いていることの多い彼女にしては珍しく、割り込むようなタイミングだった。
……なに?」
 不快とは思わなかったが、どこか不思議な感じだった。まるでこのタイミングを待っていたかのように、スムーズに切り出してきたからだ。
「後悔、してる?」
……してないわ、活動を止めたことはね。でも、もう少し上手いピリオドの打ち方があったんじゃないかなって思うときはあるわ。」
「そう……じゃあ、もう1つだけ……。」
 プロデューサーは、また無表情になっていた。いや、よく見れば少しだけど唇が震えている。それはその「もう1つ」が、伊織とプロデューサーにとって、非常に重大な意味を持った質問なのだろう。二人の視線が交錯したまま時だけが進み、会議スペースを静寂が支配する。やよいは相変わらず口を開かず、黙して状況を見守っていた。

 そして、プロデューサーは重々しく言葉を紡ぐ。

「アイドルの仕事……好きかしら?」
「ええ、もちろんよ。今になってみれば、何でやめちゃったのかってぐらいにね。」

 即答だった。考える前に言葉を発してしまっていた。たぶんこれが、この場で本当に最も主張したかったことなのだろう。何と言うことはない、伊織はアイドルの仕事に大きな未練があったのだ。やよいの仕事ぶりを見て、それに対して羨望を向ける自分を自覚した時に、何となく気付いてはいた。
「まぁ、今さら言っても仕方ないこと……やよい?」
 ふとやよいに視線を向けると、体を縮めるようにうずくまって、ふるふると震えていた。具合でも悪いのかと思ったが、それにしては顔色は悪くないような、むしろ徐々に笑顔に変わって——

「やりましたーーーーーーー!! やりましたねプロデューサー!!」

 叫び声と共に勢い良く飛び上がって、やよいは喜びを全身で表現してみせた。要はスプリングが縮まっているのと同じ状態だったわけだ。状況がよくわからない伊織にしてみれば、どう反応して良いものか判断に困ったわけだが。
「ハイ、ターッチ!! ほら、伊織ちゃんもハイターッチ、いえい!!」
 そんな伊織を置き去りに、やよいの歓喜は止まらない。さすがのプロデューサーも、これには苦笑を浮かべるしかないようだった。
「ほら、やよいちゃん、ちょっと落ち着いて? 伊織ちゃんはまだ何も知らないんだから。」
「あ……ごめんなさい、嬉しくてつい……えへへ。」
 やっとクールダウンしたのか、着席して照れ笑いを見せるやよい。いつもの元気な笑顔も可愛いが、はにかんだ表情もこれはこれで非常に可愛い。
「って、そんなこと言ってる場合じゃないわね……プロデューサー、どういうことなの?」
 状況についていけず、内心の声と実際に発している声の区別もイマイチ付かない状態だが、とりあえずは最も大事なことを確認する。いつも通りの薄ら笑いを浮かべているこの女が仕掛け人なのは間違いない。問題はその「仕掛け」の内容だ。
「ごめんね伊織ちゃん。またちょっとだけ嘘ついちゃったのよ……はい、これ。」
 そう言って差し出してきたのは、数枚の紙で綴られた簡素な資料だった。その1枚目、表紙に書かれた文章が視界に入り、伊織は思わず目を見開いた。
「こ、これって……!?」
 伊織の驚愕の表情によほど満足が行ったのか、プロデューサーはにやりと快心の笑みを浮かべていた。
「先にね、あなたの気持ちを知りたかったの……ちょっと回りくどくなっちゃったけど、これで安心して読んでもらうことが出来るわよね?」
 やっと得心が行った。昨日からのプロデューサーの行動、やよいの言葉の意味、そして先程からのやり取り、プロデューサーのやよいに関して言ったことの真意——全ては、伊織が鍵になっていて、その答えが、この資料だったのだ。
「まったく……確かに回りくどいことしてくれたわねぇ。」
 でもストレートに言われていたら、ここまで快い返事は出来なかっただろうし、自分の心の奥にある葛藤を告白する機会もきっとなかった。だからきっと、これで良かったのだ。

 資料に一通り目を通した伊織は、しばし目を閉じて、活動を止めることを決めた日のことを思い出す。あの時もこの会議スペースで、プロデューサーと話をしていたのだったか。全てにピリオドを打ったこの場所で、こんな日を迎えられるなどと、あの時は思わなかった。

 目を開けると、そこにはプロデューサーとやよいの姿。
 こちらの意志を感じ取ってくれたのだろう、それぞれが一度ずつ、伊織に頷いてみせた。

「面白いわね……やってやろうじゃないの!!」

 765プロが居を構えるビルには、予約さえすれば安価で利用できるイベントホールが存在する。大手になっても贅沢はすべからず、という律子のモットーの元、765プロのアイドルに関する記者会見は、たいていそのホールを借りて行うことになっていた。
「はー、集まってますね~……
 出入口からこっそりとホールを覗く人影が1つ。緑を基調とした制服を身に纏ったその人は、765プロの事務員、音無小鳥。そのよく通る美声を買われ、たいていは記者会見の司会を任されている。
「うむ。手前味噌ではあるが、我が事務所からの重大発表という触れ込みで集まってもらったからな。それも内容は当日まで秘密としていれば、注目度も上がるというものだろう。」
 扉の逆サイドからこそこそとホールを覗き込んでいるのは、765プロの代表取締役である高木社長。いい歳して何をしているのかというツッコミは、少なくとも事務所の人間なら誰もしないだろう。こういう人なのである。
「さ、さすがに緊張してきました……私が下手なこと言ってスベらなきゃいいんですけど……
「大丈夫だ小鳥君。君がたまに盛大にスベるのは周知の事実、それで場の空気がおかしくなることはないからね。」
「フォローになってませんよ社長ぉ……
「それに、きっと主役はもっと緊張しているよ。君が援護してくれると大いに助かるのだ……大変だろうが、頑張ってほしい。」
「あ……それもそうですね。弱気なところを見せちゃったら、悪い影響出ちゃうかもしれませんね。わかりました。」
 今日の記者会見のヒロインは、すでに舞台袖でスタンバイをしているはずだ。その花道を作るのが、小鳥に与えられた使命なのである。
「それじゃ、そろそろ時間ですので、行ってきますね。」
「うむ、頼んだぞ小鳥君。」

 いよいよ会見開始も目前に迫り、会場内には様々な憶測が飛び交っていた。
「やっぱりあれか、時期的に考えて高槻やよいが……
「いやそれは勘弁してくれよ……俺、やよいちゃん大プッシュだったのに。」
「もしかすると新人の紹介かもしれんぞ。」
「それでここまでの規模の会見開くかぁ?」
「実はあの事務のおねぇちゃんがCDデビューとか……
「うわ、それここならやりかねないなぁ。むしろ思い切って社長が……
「さすがにそれはありえねぇ!」
 今日の発表内容が綴られているのであろう書き割りには、大きな幕がかけられており、その内容が判別できないのだ。まさにお預けをくらった犬のように、記者たちは落ち着かない様子で語り合いながら、時間の経過をただ待つのみだった。

「皆様、大変長らくお待たせいたしました。」

 小鳥の透き通った声が会場を包み、記者たちのざわめきが静まっていく。大方の雑音が消えたところで、アナウンスの声が続く言葉を紡いだ。
「当社の記者会見にお越しいただき、まことにありがとうございます。本日は皆様に重大なご報告があり、こうしてお集まりいただいた次第でございます。」
 その言葉と共に、会場の照明が一斉に落ちた。完全な暗闇ではないが、隣りの人間の顔がかろうじて見える程度まで明度が落とされている。すぐに左右から一筋ずつの光の筒が伸び、正面上方の幕がかかった書き割りにスポットが当てられた。
「発表内容……それは、こちらですっ!!」
 大袈裟なまでに盛大なドラの音色と共に、幕が勢い良く取り払われる。その下に現れた文字は——

『765プロ新ユニット 水無月マーチ』

 会場内にどよめきが広がる。少なくとも765プロはここ数年、ソロでの活動を中心にプロモーションを行ってきたはずだ。このユニット発表にどんな意図があるというのか。またも憶測が会場内を飛び交う。
「初めに補足しておきますと、こちらは新人ユニットではなく、当社所属アイドルによるデュオユニットとなっております。では、早速メンバーに登場してもらいましょう!」
 照明が元の明度を取り戻すと、すでに壇上には一人の少女が現れていた。その家庭的な雰囲気と元気なキャラクターで世の人々を魅了し、トップアイドルの地位を確かなものにしたその小柄な少女は、紹介をされずともこの場の皆が知っている——
「こんにちわー、高槻やよいです! うっうー、皆さん今日は集まってくれてありがとうございます~!」
 いつどんな時でも、彼女の元気印は変わらない。ファンの間で「やよいちゃんの鳴き声」と称される独特の感嘆符を叫びながら、記者たちに手を振ってみせるやよいの姿には、ファンでなくても癒やされるものは少なくない。というか、記者の間にもやよいのファンは非常に多いのだ。
……あれ?」
 マイクごしに、司会者である小鳥の疑問の声が響き渡る。そう、きっとこの場の誰もが同じ疑問を抱いている。

 デュオだというのなら、もう一名はいったいどこにいるのか。

「ね、ねぇやよいちゃん……あなた一人?」
 司会進行だということを忘れて、小鳥は壇上のやよいに問いかける。見れば、逆サイドで状況を見守っていた社長も何だかうろたえているようだった。全身が影になってて表情はよくわからなかった。少なくとも、これは事務所の予定とは明らかに違う、司会者に知らされていないサプライズという性質のものではない。
 そんな動揺が広がる会場にあって、やよいだけは落ち着いて笑顔を崩していなかった。ざわつく会場に向かって、そのざわめきを上回る大きな声で告げる。
「もうひとりは……そこにいますよー!!」
 やよいが指差して見せたのは、会場の入口の扉。間髪入れずに、照明が再び落とされる。今度は完全な暗闇だ。

 そんな中で、スポットライトを浴びて歩みを進める一人の少女。
 それはかつて、この国中を熱狂させた伝説のアイドル。
 ある日突然、その少女は芸能界を去り、表舞台に出てくることはなかった。

 そんな彼女が、確かに今、目の前に存在している。

 あの頃と変わらぬ毅然とした態度で、一歩一歩、ステージに向かって進んでいる。
 それはまるで、この世界に再来する儀式のようでもあった。

 あらゆるものにその光を見せつけながら、決して手の届かぬ高みで輝く星の如き存在。

「みんな……お久しぶり。私のこと、まさか忘れてないわよね?」

 壇上に上がった少女が、会場に向かって告げる。それはきっと、実況のカメラも回っていることを想定に入れてのことなのだろう。可愛い子ぶりっ子をして見せているが、彼女の行動は常に計算された精密さも持ち合わせている。彼女の声に合わせて会場の明度が回復すると、壇上にはまさに夢の光景があった。

 かつて世を魅了した伝説のアイドルと、今まさに皆を虜にしているトップアイドルが、同じステージに立っている。

 一度は並んで立って見せた二人だったが、すぐにやよいだけが一歩後ろに下がり、主役の座を譲る。
「お待たせしちゃってごめんね? あなたのアイドル、水瀬伊織ちゃんで~す!!」
 言われずともわかっていたのに、改めてその名を告げるのを耳にして、会場中は沸きに沸きあがった。カメラのフラッシュが途絶えることはなく、芸能リポーターたちはそれぞれにマイクへ興奮気味にコメントを吹き込み、記者たちは目まぐるしくメモにペンを走らせる。次から次へと質問が飛び交うのを小鳥が必死で制御するも、会場の興奮は収まりそうも無い。
「みなさぁん。質問は全部答えてあげるからー、ちょっと落ち着いて、ね?」
 しかし伊織が一声かけるだけで、混乱は一気に収束していく。もはやこの場は完全に伊織の支配領域と化していた。相手が記者だろうが、カメラマンだろうが、リポーターだろうが、その立場は全く意に介さない。伊織に一度魅了された時点で、全ての者は彼女の「下僕」なのだから。
 呆気に取られて固まっている小鳥をよそに、伊織の勢いは留まるところを知らない。再起をアピールするには、十分すぎるほどのパフォーマンスとなっていた。
「さあ、さっさと始めましょ? バンバン答えちゃうわよ~!」

 大盛況のうちに新ユニット発表会見は終了し、伊織とやよい、そしてプロデューサーは、事務所の会議室に集まっていた。
「しっかし、あんたもよく考えたもんだと思うわ、ホント。」
「さすがに根回しするのも一苦労だったのよねぇ……でも上手くまとまって良かったわ。」

 アイドルランキングは、同じ人物であってもソロ活動とユニット活動では完全に別扱いとなっているため、ユニットを結成すればまた0からやり直しとなる。それは今までのソロ活動での実績が役に立たないということだが、逆に言えば敗北の経験も参考記録にしかならない。つまり、再起を図るにはうってつけの方策だったのだ。
 伊織とやよい、それぞれがAランクで打ち止めなら、デュオユニットとしてリスタートする——プロデューサーがその案を閃いたのは、かなり早い段階のことだったと言う。二人の人間的相性が良さそうなのは、やよいをプロデュースし始めた時にはピンと来ていたのだが、さすがにその時にはデュオを組むというところまでは考えが及んでいなかった。しかし伊織が海外より帰還して、本来ならプロデューサーが携わる分野に興味を示しているのを見て、この計画の骨子が出来上がったらしい。
 やよいが伊織とユニットが組めるだけの実力を身に付けるまで育て、なおかつ伊織には多角的な視点とレッスン指導技術を学ばせ、自らは新規デュオユニットの企画を進める——呑気なフリをして水面下でこれだけのことを考えていたあたり、やはりこのプロデューサーは食わせ者だと思わされる伊織であった。

「準備にはそれなりに時間を取られたけど、おかげでしっかりと計画通りの体制が出来上がったわ。」
 全員で一緒に活動する時の密な連携はもちろん、それぞれが独立部隊でプロモーションを行う実力もあり、自主レッスンも補習のレベルに留まらない十分なものが可能で、プロデューサーとアイドルの意見交換をほぼ対等な立場で行うことも出来る。
「そうね、これだけ適応力の高いユニットもなかなかいないでしょ。悪徳のおっさん程度に何言われたって怖くないわ。」
「ああ、あれは傑作だったわねぇ……さすがは伊織ちゃんって感じで。」
「えーと、ああ、あれですかー。」

 会見中、いつも765プロの粗探しをしているタチの悪い芸能記者が、今回もまた嫌味を投げかけてきたのだ。
「まぁ二人で随分と面白い掛け合いをやってますが、お笑い路線にでも転向するつもりですかねぇ? なかなかお似合いな気もしますが……。」
 やよいは会見中も大ボケを繰り返し、そのたびに伊織がツッコミを入れていたので、それを揶揄して来たのだろう。それで伊織が逆上すれば、盾にとって三流新聞に中傷記事でも書こうと思っていたに違いない。

 しかし、その程度の手に乗っかる伊織ではない。前とは違って、一人ではないのだから。

「ふーん、それも面白いわね。」
「な……?」
「いいんじゃないの? お笑いも出来るアイドル。」
 目つきが変わっているのは自覚していた。むしろ、作り笑いをやめただけだが。あの場に集まっていたのは殆どが熟練の芸能記者、伊織の本性ぐらいとっくに知れ渡っている。ファンだってコアな連中はみんな知っているのだ。今さら勝負どころで取り繕う意味もなかった。
「何も芸人さんたちと勝負するとは言わないけど、歌って踊れて可愛くて笑いまで取れるなんて、完璧すぎて最高じゃないの。」
 やよいの肩に手を回し、胸を張って公言してみせる。
「私、この子といっしょだったら、何でだって天下取れる気がするわ。」

 今になって振り返ると、ややパフォーマンス過剰だった気もするが、別に嘘をついているわけではない。やよいの適応力は本物だし、自分にないものを沢山持っている。とぼけたところもあるので、トークでのスパイスとしても非常に優秀。自分だったら無難にまとめて終わってしまうところを、一回りも二回りも面白くしてくれるだろう。
「えへへ~、伊織ちゃんに褒められちゃったの、嬉しかったなー♪」
 やよいは幸せいっぱいと言った微笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。そんなに嬉しそうにされると、こっちが逆に照れくさくなってしまう。
「私ね、ずっと伊織ちゃんといっしょにいられるように、もっともーっと頑張るからね!!」
 万歳するように両手を高く上げながら、席から跳び上がるやよい。嬉しいことを言ってくれるものである。伊織にしたって、いられるものなら一生だって共にありたいのだから。

「ふむ……やよいちゃん。」

 そんな様を見ていたプロデューサーが、いきなり口を挟んでくる。
「ふぇ?」
 ふいに呼びかけられたやよいは、目をぱちくりさせながらプロデューサーに視線を向ける。つられて顔を向けた伊織の顎に、プロデューサーの指が添えられ——
「この前も言ったでしょ? 伊織ちゃんも相当鈍いから、このぐらいしないと……
 問答無用に唇を塞がれる。一度こうなってしまうと、少なくとも「間合いが離れる」までは為すがままにされてしまうわけで。
……わかんないんだってば——」
 言うまでもなく、額をもって即時瞬殺である。いつもよりも強めに入れたから、しばらくは起き上がってこれないはず。
「子供の目の前で教育に悪いことしてんじゃないわよっ!!」
 自分も未成年であることや、一撃とは言え暴力シーンを繰り広げていることは棚に上げ、伊織は机に突っ伏しているプロデューサーに怒鳴り散らす。まともに聞こえているかは怪しいところだが。
「ふえ~……久しぶりにすごい頭突き……さすが伊織ちゃん。」
 当の「子供」であるやよいは、目の前で繰り広げられた光景に呑気に感心していた。褒められて悪い気はしないが、どうせならもっと違う形で好感を得たいものだ。
「いい、やよい? こういう大人になっちゃ……
……あれは怖いけど……でも……頑張らなきゃ……
「やよい……?」
 何やら俯いて、ぶつぶつと呟きながら考え込んでいる。やよいにしては珍しい光景だが——
……伊織ちゃんっ!!」
「は、はいっ!?」
 突然大声で呼びかけられ、反射的に発した返答の声が裏返ってしまった。そんなことを振り返っている間もなく、やよいが急接近してきて——

 伊織の頬に、ピンポイントで柔らかい感触。

 一瞬、何が起きたかわからなかった。体を離したやよいが、俯き加減にこちらの様子を伺っている。
………………っ?」
 その感触が何を示すのか、頭がなかなか整理してくれない。何が起きたのかはわかっているのだが、それが何を表すかの結論に辿り着けない。何しろ、直前まで伊織の頭にはなかった結論なのだから。
 ただ、何が頬に触れて、つまりやよいがどんな行動を取ったのか、やっと整理することが出来た。瞬間、顔から頭まで急加熱。頭頂から煙が上がっていたとしてもおかしくはない。そんな、やよいがそんなことをしてくれるなんて。
……伊織ちゃん、怒った?」
 まだ不安そうなやよいだったが、伊織はそのショックで上手く口が開けない。何とかその不安を払拭したいところだが。
……怒ってない……
「ホント?」
「ほんと…………嬉しい……もの……
 まともにやよいの顔を見られない。本当は見たくて仕方なかったが、やよいの笑顔など見ようものなら、今度こそ熱が上がりすぎて倒れてしまいかねなかった。
「そっかぁ……えへへ~。」
 はにかむように笑う声がして、伊織の背中に手が回ってくる感覚。抱きつかれたのだ、と気付いたが、意外にも今度は平静だった。ものすごいことをされて、免疫ができてしまったのだろうか。
……まったく、あんたも好みが悪いわ……。」
「えー、そんなことないよ~。伊織ちゃんはいい子だし可愛いもん。」
……バカ言ってんじゃないの。」
 これはプロデューサーの仕込みなのか、すっかりやよいのペースではないか。でもこんなやよいも悪くないなんて——思っていないと言ったら嘘になる。
「伊織ちゃん……大好き!」
……うん。私も。」

・・・・・・

 この子たちはきっと、ずっと一緒にいられる。何かがあって物理的に距離が離れたとしても、その結びつきが消えることは無い。そんな予感がしたし、そうであって欲しいと思う。まだ痛む頭を押さえながら、二人の少女の絆を静かに見守る。二人のプロデューサーとして、伊織の「側室」として、やよいの「同志」として、自分も彼女たちと共に歩んで行ける——何と素敵なことなのだろう。

 一度は終わった、伊織と二人で挑んだ挑戦——それを再びやり直し、新たなステージに踏み出すことを可能としてくれた素朴な少女。彼女と出会えなければ、敗北の呪縛から抜け出すことも出来なかった。

 今、やよいが浮かべている満面の笑顔は、きちんと恩返しが出来た証拠。

 伊織と歩む道を取り戻してくれた恩人であるやよいに、二人のプロデューサーであるその女性は、心の内で語りかけたのだった。

——ほらね、大丈夫だって言ったでしょ?

『でこぴぃ快進撃!!』了