『原っぱの少女』(ソルフェージュSS)

2012年1月4日
拙作(ソルフェージュ)

ソルフェージュでどうしても書きたかったテーマを
わりとなりふり構わず書きたいように書いてみました。
禁じ手はいつものことですが、今回は輪をかけてひどい気も……(汗笑)。


ソルフェージュSS
原っぱの少女

 その日は、奇跡が起こるとよく言われる日。

 数々の奇跡を起こしたと言い伝えられる御方が、降誕したとされる日だから、らしい。
 それを信じているかどうかはともかくとして——

 ちょっとした奇跡が、彼女の身に起きたのである。

「じゃあね、ちほちゃん。」
「さらば友よ、また会う日まで!!」
「大袈裟だなぁ……年明けたらすぐに始業式だよ。」
「あたしにとっては永遠にも等しい時間なのよぉ……なんちゃって。」
 もはや日課となりつつある、親友とのちょっとした漫才。それを繰り広げるのも、しばらくはお休みである。二学期は今日で終了。年末年始は外国にいる両親の元で過ごすことになっているので、明日にも日本を発つ予定なのだ。
「あはは……かぐら、気をつけて行ってきなよ? おじさんとおばさんによろしくね。」
「うん。ちほちゃんもご両親のツアーの付き添いだよね? 気をつけてね。」
「おう、お互い生きて再会しようじゃないか!」
「だから大袈裟だってば……。」
 幼なじみの軽口に苦笑を浮かべながら手を振り、宮藤かぐらは足早に昇降口を後にする。お互い長旅の準備に追われる身である。名残は惜しいが、もたもたしていると思わぬミスをしかねない。国内旅行ならまだ荷物の取り寄せも簡単に出来るが、あいにく行き先は外国である。日用品などは案外、現地で買った方が早かったりもするのだが、持って帰ってきても仕方ないので、結局無駄が生じてしまう。ベストなのはやはり、忘れ物をしないことに決まっている。
「急いで帰ろうっと。」
 ここ数日、雑事が重なってバタバタしていたので、旅の支度があまり進んでいなかった。夜通し準備せねば間に合わないというほどの量ではないが、慌てて準備するのは精神衛生上よろしくない。

 そう思っていたかぐらだったが——

……あれ?」

 学苑を出て間もなく、「それ」がかぐらの目の前に現れた。
「こんなところに道なんかあったっけ……。」
 何度も通っている通学路なので、当然ながら風景は見慣れている。しかし、ずっと気付かずに素通りしてたとしても不思議はないほどの、目立たない路地なのだ。それが今は不自然なほどに、かぐらの注意を引きつけて離さない。まるで——

——誘われてる……

……私、いま何て?」
 無意識から浮かび上がった自らの思考に、まるで他人事のように驚愕する。何故そんなことを考えたのか、自分でも全くわからない。しかし、既に心は決まってしまった。
……ちょっとだけ、ちょっとだけ……
 まだ日も高いし、人通りの少ない場所ではない。もしも何らかの危険があったとしても、助けを求めれば誰かしら駆けつけてくれるだろう。

 もちろんそんなのは、自分に対する言い訳にすぎない。要は、この得体の知れない好奇心に負けたのだ。この奥に何があるのか、知りたくて仕方がない。

 それは不思議な道だった。建物の間にあるはずなのに、閉塞感を感じない。どこに通じているかもわからないのに、不思議と足は止まらない。歩みをどこまで進めても、路地を抜ける気配はなかった。

 ふいに、突風が吹きぬける。

 反射的に顔をかばうように片腕をかざし、かぐらは目を硬く閉じる。全てを吹き飛ばしてしまうのではないかとすら思える強風だったが、幸いにもすぐに収まり、かぐらの身体は自由を取り戻す。まだ見ぬ道の先を視界に収めようと、ゆっくりと目を開けたかぐらだったが——

「え……っ!?」

 道が、無かった。

 正確には、何も無い。

 先ほどまで両脇に存在していた建物も、後方に続いていた別の建物も、道の先にある建物も、電柱も、電線も、何もかもが消えてしまった。まるで、今の突風に吹き飛ばされてしまったかのように。

 ただ、存在が確認できたものが二つ。

 遥か後方にそびえる桜立舎学苑の校舎と、そして——

……あなたは?」

 こちらを怪訝そうな表情で見つめる、一人の少女。年の頃は、かぐらとそれほど変わらないようだ。纏っている制服の形状から見るに、桜立舎の生徒であることは間違いないようだが、同学年にこのような子がいたかは定かではない。もっとも、普通科や美術科の生徒であれば、知らない相手でも不思議はないのだが。
「あ、ごめんなさい……えっと……
 少女の射すくめるような視線に、かぐらは失礼と思いつつ軽く身震いをしてしまう。
……いえ、こちらこそ失礼しました。貴女が突然現れたように感じたもので……
 しかしすぐに少女は自らの非を認め、ぺこりと頭を下げてくる。一挙手一投足にどことなく気品があり、育ちの良さを感じさせる。

 そこでやっとかぐらは、周囲の様々な状況を確認するに至る。何故このような事態になったかは未だに定かではないが、足元は気付けば雑草だらけ、そんな原っぱが学苑のすぐ近くまで続いていた。だがそのおかげで、校舎が非常によく見える。

 しかし、より強くかぐらの目を引いたのは、その風景の方ではなかった。

 目の前の少女、誰かに似ている。それが誰なのかは、深く考えずともすぐに導き出された。
……すくね……姉さま……?」
「え?」
「あ、ううん、何でもない!!」
 口をついて出てきたのは、かぐらにとって最愛の人——否、最愛だった人と言うべきか。かつて確かに愛を交わしたはずのその人は、三年の間にかぐらのことを忘れてしまっていた。初めこそ残酷な運命に傷付けられ、打ちのめされもしたが、最終的には改めて良い関係を築くことが出来た。親しい先輩後輩の間柄という、理想とは違う形であっても、だ。

 そしてこの少女。容貌の部位だけを抽出すれば、すくねの生き写しとすら言えるほどによく似ている。

 しかし、すくねであるとは考えにくかった。かぐらのことがわからないとも思えないし、髪型も少し違う。それ以前にすくねはもう卒業したのだから、よほどの事情が無い限り、桜立舎の制服を着ているはずも無い。何より一番の違いは、その纏っている雰囲気にあった。

 すくねも気品に溢れ、誰もが憧れる大人の魅力を有していたが、この少女はそれだけでは無い。

 強さと、そして鋭さ。まるで帝王となることを定められたかのような、見る者を怯ませる、凛とした風格。

 その真っ直ぐな視線に吸い込まれるように、かぐらの意識が引き寄せられる。

「あなたは……
「何でしょう?」
……あ、えっと……
 不意に口から飛び出した言葉だったが、後がまったく続かない。
……ここで何してたの?」
 取り繕うように発したのは、月並みだが純粋な疑問。こんな何もない空き地で、いったい何をしているのか。
「ご覧の通り……校舎を眺めておりました。」
 言葉の通り、見たままである。それは言われずともわかっていた。
「何か考え事……?」
 その物憂げな瞳は、心の内にある淀みを映し出しているようだった。だからかぐらは、憶測でそう質問を加えた。
……はい。」
 少女が答えながら浮かべた笑顔は、苦笑というよりは、彼女自身に向けられたとおぼしき嘲笑。しかしその所作にはやはり気品が伴われ、自嘲すらも絵になっていた。少女はしばし目を閉じる。
「少々、身の上話に……お付き合いいただけますか?」
 思索を巡らせていたのだろう、続けて紡がれた言葉は、途切れ途切れだった。まだ急ぐほどの時間でもない。かぐらは無言で頷き、少女が更に言葉を発するのを待った。
「自分の資質に、自信が持てないのです。」
 それは、その只者ならぬ印象にはあまりにもそぐわない、等身大のごく普通の悩み。誰もが突き当たる、ありふれた、だけどすごく高い壁。
「私は進級と共に、この身にあまる大役を引き継ぐことになります。」
 かぐらと同い年だとしたら、彼女は二期生だ。確かに進級すれば、部活であれば部長に、委員会であれば委員長に任命されても不思議は無い。そうでなくとも、最高学年というのはそれだけで気の引き締まるものだ。
……本当にそれをお受けして良いものなのか、私などに勤まるのか、桜立舎の生徒の鑑として立ち居振る舞えるのか……
 先輩がいない立場——それは自分が頂点となる爽快感をもたらすが、同時に「導いてくれる者」が存在しない不安感を伴う。進むべき道は自らが見出し、示さねばならない。
……そんな弱気の虫に心を乱された時には、ここに来ることにしているのです。」
「そうなんだ……。」
 遠方にそびえる桜立舎学苑の校舎を見つめるその目は、慈愛と敬愛が入り混じった、優しいものだった。
「こうやって学び舎を見つめながら風に吹かれているうちに、不思議と心が落ち着いてくる……。」
 それは彼女が、心から桜立舎を愛している証なのだろう。学苑が好きだから、大変なことだって頑張れる。すごくシンプルで、だけど強い想い。
「空元気かもしれませんけど、ね。」
 照れくさそうに苦笑を浮かべているが、きっとそんなことはない。
「ううん、大丈夫だよ!」
 かぐらは反射的に胸の内を声に出していた。
「あなたはすごい人なんだよ! 桜立舎を引っ張っていってくれるだろうし、きっともっともっとすごくなる! 大丈夫だよ、自信持って!!」
 自分でも根拠はよくわからないが、彼女がとにかくすごい人なのだということを、かぐらの直感が告げていた。まるで「それを知っている」かのように。
「は、はい……
 気付くと少女の面食らった顔がすぐ近くにあった。熱が入りすぎたのか、無意識に相手の両肩をがっしり掴んでいる上、相当顔を近づけてしまっている。
「あ、ご、ごめんっ!!」
 反射的に手を離し、大きく一歩飛び退くかぐら。すくねによく似た美少女とあれだけ接近していたと自覚して、耳の先まで熱くなる感覚に襲われる。茹でたタコのように真っ赤になっているであろうことは、鏡を見ずとも予測がついた。
……ありがとうございます。」
 突拍子も無い行動に呆れられるかと思っていたが、返ってきたのは礼の言葉だった。
「え、でも……
 根拠のない保証を口にしただけで、特に実のあることを示したわけでもない。そんなかぐらの考えを汲み取ったのか、少女は首を横に振って満面の笑みを見せる。それまでの含みのあるものとは違う、同じ年頃の少女らしい、可愛らしい笑顔だった。
「私を励ましてくれた、その気持ちが嬉しいのです。こんな見ず知らずの私のために、これだけ親身になってくれたのですから……
「あ、でもほら、それはよく言うでしょ。えーと、袖、振袖……振れない袖も多少は振り得る……じゃなくて、えーと」
 なにやら難しい言い回しがあったはずなのだが、記憶が曖昧で断片的な言葉しか浮かばない。
「袖擦り合うも多生の縁……ですか。」
「そうそうそれ。」
 かすりもしていなかった。少しは良いところを見せたくて難しい言葉を使おうとしたが、逆に学の無さを晒す結果になってしまったようだ。
「こうやって会ってお話してるんだから、ちゃんと相談に乗ってあげるのが普通だよ。」
 笑って誤魔化したが、それが好意的な笑顔に見えたようで、相手もまた嬉しそうな笑みを返してきた。
……本当は、ここに来ても堂々巡りばかりで結論は出ていなかったんです。」
 そしてぽつりぽつりと紡がれる独白。少女はここに来ても自問自答を繰り返すばかりで、自信に繋がる思考はなかなか浮かんでこなかったのだと言う。大きな悩みを抱えている時は、他者に心境を吐露すると精神が安定しやすいというが、まさにそれを実感させられる話だった。
「でも、あなたのおかげで、決心が付きました……私、きちんとお話をお受けして……

 結びの句のように口にしたその言葉が、夢うつつの心地だったかぐらに、大きな衝撃を与えることとなる。

……次の生徒会長に、就任させていただきます。」

「え……?」

 それはおかしいのだ。かぐらは次の生徒会長に就任するであろう人物を知っているし、現在の生徒会長だって知っている。いま目の前にいるこの少女との接点は、少なくとも次期会長には無いはず。
「あら、どうしました?」
 そんなかぐらの胸中などつゆ知らず、少女は絶句するかぐらに首をかしげてみせた。
……あなたは……?」
「ああ、申し訳ございません。私としたことが、名前も告げずに……

 風が吹き始めた。それは、今までかぐらと少女を包んでいた穏やかなそよ風ではなく、

「私の名は——」

 かぐらをこの場所に誘った突風。たまらず目を閉じたかぐらの耳に届いたのは

——葵、と申します。」

 直後、嵐を切り取ったかのような強烈な衝撃。

 物理的な衝撃だけでなく、状況も理解できず、目を閉じたまま立ち尽くすかぐらに、今度は耳慣れた声が語りかけてきた。
……かぐら……どうしたのです、かぐら?」
 ゆっくりと目を開けると、眼前には見慣れた道路が映し出されていた。通学に使ういつもの大通り。建物と建物に隙間にかろうじて桜立舎の校舎が見えるが、先ほどまでのように全貌が見えることはなかった。

 背後には、ただブロック塀が並んでいるだけ。道など、どこにもない。

 そして——

「道端でぼうっとしていると危険ですよ。体調が悪いのですか?」

——傍らに立っていたのは、かぐらが下宿している家の主であり、かぐらにとっては叔祖母にあたる人物、高屋葵だった。
「葵……さま?」
「何ですか、人を幽霊みたいに。」
「い、いえ、どうしてここにいらっしゃるのかと……
 他にも理由はあったのだが、とりあえず当然と思われる疑問から先に口にする。かつては高屋家の当主として飛び回っていたと言うが、隠居の身である現在は買い物以外でそれほど外出する人でもない。外で出会うこと自体が珍しいのだ。
「ああ、少し学苑に用事がありましてね。」
 桜立舎のOGである葵は、たまに学苑のえらい人からと相談を受けるらしい。今回もその帰りなのだと言う。
「そうしたら帰り道に貴女がいるものだから……。」
 誰か友達を待っているのかと思ったが、それにしてはかぐらの様子がおかしいことに気付いたのだと言う。
「まるで心ここにあらずという感じでしたよ。」
 もしかすると、本当にここに無かったのかもしれない。見たこともない原っぱの真ん中に立つ、すくねによく似た少女を思い出す。
「すみません、ご心配おかけして……
「体が何とも無いのなら良いのですよ。明日には日本を発つのだから、体調は万全でいたいでしょう?」
「はい、ありがとうございます。」
 厳格そうな口調から誤解されることもあるが、葵は優しい人だ。たまにかぐらがやんちゃをしすぎて怒られることもあるが、それもかぐらが桜立舎の生徒として恥をかかないようにという気遣いからなのだ。
「では参りましょうか。まだまだ支度も残っているのでしょう?」
「はい。」
 まさに葵の言うとおり、こんなところでぼさっとしている場合ではなかった。が、直後に今度はその葵の方が足を止めてしまった。かぐらのようにありえないものを見ているわけではないようだが、塀を見つめたまま明らかに「何か」に想いを馳せていた。
……懐かしいですね。」
「え?」
 それは、思わぬ言葉のはずだったのに、何故かすんなりと受け入れることが出来た。まるで「そのことを知っている」かのように。
「昔はここに家は建っていなくてね……原っぱだったのですよ。」
 葵は目を細めて過去を振り返っている。遠く過ぎ去った日々が浮かんでは消えているのかもしれない。
「悩み事が出来るたびにここに来て、遠方の学び舎を眺めていたものです。」
 振り返って桜立舎の校舎がある方を見やる葵に、先ほどの少女の面影が重なる。この上ない程の一体感を持って。
「そういえば、あれも終業式の日だったわね……。」
……何か、あったんですか?」
 その質問に、かぐらは期待を込める。かぐらの脳裏に浮かんだ、普通であればとても考えられないような仮定が、真実味を帯び始めていた。
「不思議な女の子に会ったのですよ。」
 語りながら再び歩みを進める葵に、かぐらも歩調を合わせる。
「幽霊という感じではなかったけど、妖精というものだったのかしら……風のように現れて、すぐに消えてしまったわ。」
 全てが一致している。逆の視点において。
「彼女とはほんの少しお話しただけ……でもそれがきっかけで私は迷いを振り切り、生徒会長になった。そして自分に自信を持てたから、高屋の当主として生きてくることも出来た。」
 名家である高屋家の当主ともなれば、実力だけでは勤まらないのだろう。精神的な強さもまた必要で、それでも葵は当代の当主にその役目を譲るまで、自らの勤めを果たしてきたのだ。若輩者のかぐらには想像も付かない世界だったが、それがいかに厳しいものであるのかは、ぼんやりとだが理解できる。
「だから、今の私があるのは、彼女のおかげなのかもしれません……笑ってしまう話かもしないけれど。」
 かぐらは首を横に振って答える。笑ったりなんかしない。他の人が聞いたら俄かには信じられないのかもしれないけど、かぐらだけは違うのだ。

 彼女のおかげ。
 その言葉が意味するところがわかったから、すごく嬉しかった。

「あれは……何だったのかしらね……
 葵は懐古の念をもって空を仰いでいた。そう、彼女にとっては遥か過去の出来事なのだ。でも、かぐらにとっては——
「プレゼントかもしれませんよ?」
 かぐらの思わぬ言葉に、一瞬だが足を止めて目を丸くする葵。その顔が、根拠のない力説をするかぐらに驚いたあの少女の顔と重なる。
「サンタクロースの、かしら?」
「ええ、そうです。」
 かぐらは笑顔で即答する。

「なるほど……そういう考え方もあるわね。」

 つられて葵が浮かべたのは、原っぱの少女が浮かべたの全く同じ、可愛らしい笑顔だった。