『春の前に訪れたモノ』(東京鬼祓師SS)

2012年1月5日
拙作(東京鬼祓師)

思い切って書きました、妄想&捏造設定満載の短編。
こういう鍵とこういう鈴を書きたかったというだけで、
深いことは何も考えていません……まさに雰囲気だけ(笑)。(←ひどい)


東京鬼祓師SS
春の前に訪れたモノ

 冬も終わりに近付き、日も長くなってきた夕暮れ、境内には少女の無邪気な手鞠歌がこだましていた。高層建築の多い新宿の町にあって、この鴉羽神社は日当たりも良く周囲は開けており、くぐもりすぎず響きすぎずと言った澄んだ音が広がりやすい。もっとも、それが聞こえるのはこの神社の居候2名とその関係者、そして自分ぐらいのものである。普通の人間にはその声だけでなく、姿だって認識できないのだから。
……いや、ずいぶんと増えたもんですねぇ。」
 煙管をゆらりと揺らしながら、狐像に宿る神使——鍵はぽつりと呟いた。ここ数十年、彼らの存在を認識できる者は殆ど現れなかったのだ。そこで鞠をついて遊んでいる狛犬の少女——鈴はきっと、「見える目を持つ者」がこんなに現れるなど考えもしなかっただろう。まずはお国に遣わされた若い封札師が、そして彼を主と選んだ呪言花札のまとめ役が、さらに封札師の上役やら同僚やらが次々とこの神社を訪ね、そのたびに鈴を驚かせていた。
「考えもしない……ねぇ。」
 自分の頭で考えておいて、鍵は呆れたように苦笑する。そう、確かにあの仔犬は考えもしなかっただろう。彼女は何も知らない。この家に生まれた者の宿命も知らなかったし、執行者の運命も知らなかった。そして——

——自分自身のことすらも、か。

 彼女がこの社を守る神使として形を成す前のこと、それを鍵は「仔犬ちゃんがその辺をただよう空気だった頃」と話してみせる。これはある意味では正しい。確かに神使というのは、社の加護の力が形を与えられたもの。言わば霊性の具現化だ。仮初めとは言え、形を持つものには生じた過程が存在し、時を経れば滅することもある。色即是空、万物流転、諸行無常——それを示す言葉を探せば、枚挙に暇がない。

 そう、神使と言っても原初からこの形を持っていたわけではない。こうなる前は「空気のようなもの」であり、そして——

……らしくありやせんねぇ。」
 鍵は思索を強制的に打ち切った。自分には傍観者が向いている。あれこれと考えるのは若い者に任せておけば良い。
「しかし、嫌な風が出てきた……
 普段は閉じているも同然に細めた瞳を、片方だけ見開いて天を見遣る。象徴的に描かれた狐の姿を映し出してか、開かれた瞳は鋭く吊り上がっていた。

 年末に起きたあの大異変の時とは違う、まさに言葉通り「嫌な感じ」の風。先程までは無風の状態であったのに、いつの間にか木々を揺らすほどに風は強くなっていた。もっとも、現世とはややずれた位相に存在する鍵と鈴は、強風が巻き起ころうが突風が突き抜けようが、その影響を受けることは一切ない。「それが起きている」という事実を認識することは出来るが、ただそれだけ。まさに対岸の火事である。

 だが——

「これは……?」

 いま吹いているこの風は違っていた。鍵の「身体」を強く煽っているのだ。実体のある像の方ではない。本来は現世に存在しないはずのこの体を。
……まさか。」
 これだけの現象を引き起こすことなど、並みの存在には不可能だ。それこそ、高位の霊的存在でも無い限りは。心当たりがないわけではないが、その「心当たり」が解答である確率は限り無く低い。
 否、平時であれば確率はゼロとしか考えられないだろう。しかし、鍵の目に映っているその光景が、ゼロを脱した可能性の数字を急速に引き上げていく。
「まだ早くは……ありゃしませんかね。」
 無邪気に手毬をついていたはずの鈴が、この強い風の中、虚空を見つめて直立している。彼女は風の影響を全く受けていなかった。風が彼女を避けている、というよりはむしろ——

 この風は、鈴を中心に吹き荒れている。

 つまりこれは、風というよりは衝撃波。天然自然の力が猛威を振るうと、現し世の存在ではない神使でも若干の影響を受けるわけだが、それとまったく逆の話なのだ。霊的存在が強烈な力を発しているため、現し身を持つ木々や建築物が、その身を揺らされている。そして鈴と同種の存在である鍵が、その余波を最も強く受けているわけである。
……うっ……!?」
 この力の波は、きっと「その存在」が現れることによる残響。最も強い衝撃が来る直前、頭の中を直接揺さぶられるような悪寒が鍵を襲った。続けて、強烈な衝撃波が周囲に拡散する。木々を揺らし、ようやく茂り始めた葉を雨のように散らすその圧倒的な力に、平時は飄々と振る舞う鍵も、さすがに構えの体勢を取らざるを得なかった。
 今、自分がどのような表情をしているのか、想像するのもおぞましい。神社の住人たちが留守にしていてくれて良かったと心から思う。こんな無様な顔、あの封札師の青年や白札の姫君になど、とても見せられたものではない。
 嵐が去った後の海には凪が訪れるというが、まさにそんな現況だった。直前まで発生していた天変地異とも呼べる荒天は完全に消え去り、神社は先程までの静寂に包まれていた。枝より落ちた無数の木の葉が、夢ではないことを物語っている。何より、手毬歌の幼い歌声が聞こえない。

 虚空を見つめて立ち尽くしていた鈴が、ゆっくりと鍵の方へ向き直る。その瞳の色——鍵が忘れたくても忘れられないその色——は、来ることを恐れていた、しかし待ち焦がれていた、その時がやってきた証。

 無表情だった鈴の口元が緩められた。
 否、歪められたと言った方が正しいか。

 勝気とも高圧的とも取れる笑みと共に、幼い声色はそのままに、普段の鈴からは発せられることは無いであろう大人びた口調で、「第一声」が紡がれる。

「久しぶり、ね……子狐さん。」

 全身が痙攣し、一切の身動きが取れなくなった。術をかけられているわけではない。鍵自身が、あらゆる行動の選択肢を放棄したのだ。振る舞いこそ煙管を揺らしながら斜に構えたものだが、その顔には焦燥と恐慌の色が浮かんでいる。現し世の生物と違って息をせずとも死にはしない神使である彼が、息苦しさを覚えるというのもおかしな話だが、浮かべた苦悶はそれに近いものを感じさせた。
……どうして……
 それだけが、やっと絞り出せた言葉だった。言いたいことはたくさんあったはずなのに。
「私にもわからない。ただ、力が一時的に満ちたのよ。」
 それには鍵の方が心当たりがあった。あの一件には浅からぬ関わりを持っていたから、その余波が鈴の存在に異変をもたらしてしまったのかもしれない。
「ふふ、嫌そうな顔しちゃって……大丈夫よ、遠くないうちにまた消えてなくなるから。」
 その存在は、鈴の姿で振る舞い鈴の声で語る。否、こうして相対してみれば、「あの頃」と全く同じだ。違うのは、鍵の持つ仮初めの姿だけ。
……その短い時間があれば、あたしのことなどどうにでもできるでしょうに。」
「いやね、まだそんなこと言ってるの? 私はあの時言ったじゃない、気に病まないでって——」
「受け入れられるとでも……!!」
 他者の前では絶対に見せない、強い感情を剥き出しにした険しい表情。「彼女」の前だから、晒け出せるのだ。
「許さないと言えば良い、償えと言えば良い、なぜ貴女は何も言ってくれない!?」
 自分が未熟だったから、防ぐことの出来なかった悲劇。脳裏に浮かぶのは、炎に包まれる町並みと激しく欠損した狛犬。それは今の鈴の依代によく似た、しかし別の石像だった。優しい笑顔を浮かべているのは、鈴とよく似た、しかしずっと大人びた姿の神使。彼女と過ごした日々が脳裏をぐるぐると回る。さながら走馬燈のように。
「あなただってわかっているでしょう。答えは簡単——」
 感情的になる鍵とは裏腹に、鈴の口を借りるそれは淡々と言葉を紡ぐ。
「あなたを『欠けさせる』ことを、私が望まなかったから。」
 優しい笑みが紡ぐ、感情を帯びぬ言葉。彼女が人智を超えた存在であることの証だった。
「鴉羽神社には新たな神使が必要だったわ。古くから居る神使が『やり直す』ことで力を蘇らせるにしても、莫大な時間を必要としていた……
 それは、かつてこの都市がまだ「帝都」と呼ばれていた頃のこと。空飛ぶ鉄の鳥たちが海の向こうから飛来しては、無数の炎の卵を産み落としていった。神域である鴉羽神社を守るため、神使たちはその炎の雨を止め続けた。来る日も、来る日も——そして、その時は突然訪れた。

 自分の張る結界が破れ、炎の塊が襲ってくる。そこに彼女が割って入り——

 今でも、思い出したくはない光景だった。しかしそれでいて、記憶に焼きついて離れない光景でもある。
「貴女は本当にそれで良かったんです……?」
「ええ。子狐さんが立派に神使をやってくれてるから、私は安心して時を待てる。」
 こちらの気も知らずに呑気なものだ。もっとも、昔からこういう人だったのもまた事実。現世に意思を結んだのは半世紀以上ぶりだというのに、少しも変わっていない。
……そろそろ時間だわ。これ以上は、存在の根源ごと歪んでしまいかねない。」
 それは現在の鈴という存在が異常をきたすということ。鴉羽神社にとっても、神使である鍵にとっても、何より彼女自身のためにも避けるべき事態だ。
「ねぇ子狐さん。償いたいって言ってたわよね……じゃあ、こうしましょう。」
 そうは言ったつもりはない。だが、それを否定することが出来ないのもまた事実。鍵は続く言葉を黙して待った。

 そして幼い声で言い放たれたその言葉は、鍵の身に重くのしかかることとなる。

「あなたが自分自身を赦すことが出来たら、私もあなたのことを赦してあげる。」

 その底意地の悪い笑顔は、あどけない顔立ちにはあまりにも似合わない。やはり、まだ戻ってくるには時期尚早だ。
「変わりやせんね……
「お互い様よ、子狐さん。あなただって冷静なフリして変に抱え込むところ、全然治ってないじゃない。」
 まさにその通りなので何も言い返せない。だが、やられっぱなしも愉快では無いので、鍵は別の角度からの切り口を探す。せめて一矢報いてやりたい。
……その『子狐』っての何とかなりゃしませんか……あたしももう立派な大人なんですから。」
「あらそう、つい馴染みの呼び方をしちゃってたんだけど……。」
 思わぬところを突かれたのか、一瞬だが目をぱちくりさせてみせるも、すぐに更にいやらしい笑みが鈴の顔に浮かぶ。
……だったら、こっちにしましょうか……
 その呟きを聞き逃したりはしなかったが、その「こっち」にはいまいち心当たりがない。彼女の言うように、「子狐」と呼ばれていた時期が最も長かったから。
……今のこの体は、未だに不思議な力の影響を受け続けている。きっとまた、こうやってお話出来るわ。」
 本来ならば、神域の霊力をゆっくりと取り込みながら、徐々に記憶や力を取り戻していくはずだった。まさに「神使としての成長のやり直し」——それが彼女の計画だったのだろうが、幸か不幸か、進行は見積もり以上に早いようだ。
「さぁ、今度こそお別れね。」
 鈴の瞳の色が、本来のものに戻りつつあった。彼女を包む強い霊力も、いつの間にか拡散しつつある。こちらを見つめるその笑顔に、どこか名残を惜しむような哀惜を感じるのは気のせいか——

「また会いましょう……坊や。」

 最後に用意されていたのは、とっておきの不意打ちだった。大きく心を揺さぶられた鍵の視界の中で、一瞬だが「彼女」本来の姿が鈴に重なって見えた。もちろん、鍵の思い込みによる錯覚なのだろう。ただ、その姿をはっきり思い出せたことに、柄にもなく幸福感を覚えてしまっていた。

 しかし、確かに「子狐」はやめてほしいと言ったが、いくらなんでもそんな選択で来るとは。文句を付けようにも、肝心の鈴はきょとんとした表情で周囲をキョロキョロ見回している。
……鍵さん、すずは立ったまま寝てましたか?」
 どうやら記憶が飛んでいる自覚はあるようだ。しかしそれ以上のことは何もわかっていないようで、自らの依代に残る強い力の残滓などにもさっぱり気付いていないらしい。まったく、まだまだ未熟も良いところ。とは言え、本当に「やり直している」のだとしたら、鍵が知りようもない貴重な光景を見られていると考えることもできる。まだこのままの状態がしばらく続くのも悪くない気がした。
「鍵さん?」
 質問に答えることなく黙り込んでしまっている鍵に、鈴が首を捻って見せる。簡単に真相を教えてやるのは面白くない。「彼女」に翻弄された分、仕返しはしっかりしておかなければ。
「ん~、どうでしょうねぇ。」
 にやりと口の端を上げながら、言ってやろうと決めていた言葉を紡ぐ。
「まぁ、仔犬ちゃんには関係の無いことですよ。」
「ええーー、鍵さんひどいのです! 親切じゃないのです!!」
 抗議の声を上げる鈴の姿を見ていると、何となく昔のことを思い出してしまう。

——「姐さん、そりゃひどくはありゃしやせんか……?」
——「子狐さんには関係のないことだわ。」

 いつの間にか、心地良い風が吹き始めていた。春はもう、すぐそこまで来ている。