『13個目の目覚まし時計』(東京鬼祓師SS)

2012年1月5日
拙作(東京鬼祓師)

朝子×白というたぶん異色カップリングのSS。
内容はあさまおがいちゃこらしてるだけ……(笑)。
朝子先生がだいぶ壊れているのは完全に趣味です、はい。


東京鬼祓師SS
13個目の目覚まし時計

 四名の住人で構成された羽鳥家の朝は、基本的には静かに始まる。まずは家主が起床し、朝食の支度をしている間に二人の居候が起き出してくる。若い方と幼い方のどちらが先に現れるかは日によるが、いずれにせよ、残る一名が先に現れることはない。
「お前らがいつもより早いってことは……あいつがまだ寝てるのは言うまでもないか。」
 あからさまな呆れの感情を込めた口調でぼやきながら、目玉焼きの乗った皿を置く壮年の男。この家の主にして鴉羽神社の神主である、羽鳥(はとり)清司郎(せいしろう)だ。
「うむ、いつも通りじゃな。むしろこんな時間におったら逆に心配になるわ。」
 白拍子の如き装束に身を包んだ少女——(まお)は、扇を口元に当てながら愉快そうに笑ってみせた。ちゃっかりと食卓の上座に陣取り、待ち遠しそうに清司郎が食事を運ぶ様を目で追っている。
「まぁ、先に朝餉にしようではないか。ぼやいたところで、あやつの寝坊癖が直るわけでもあるまい。のう、七代(しちだい)?」
 その隣りに座る青年が、返事の代わりに微笑を浮かべて頷く。不必要に言葉を発さないが、だからと言って感情の起伏に乏しいわけでもない。この不思議な人当たりが、またたく間に多くの友を得た理由なのかもしれないと、白はよく考えさせられる。
 七代から視線を戻すついでに、白は時計をちらりと見る。こまめに確認はしておきたかった。
……ふむ、まだ大丈夫かのう……
「ん、何か言ったか?」
……いや、何でもないわ。」
 考えてることが声に漏れてしまったが、幸いにして誰にも聞かれなかったらしい。音としてのみ認識したらしい清司郎もさして気にかけることもなく、七代に至っては固焼きの目玉焼きを上機嫌でつついていた。ん、目玉焼き?
「むぅ、いつのまに揃ったのじゃ!?」
「お前さんがそっぽ向いてる間にだよ……。」
 清司郎もすでに食卓についており、気づけば食事に箸をつけていないのは白だけになっていた。
「せめて一声かけぬか。冷たいのう。」
「二回も声かけただろうが。なぁ七代。」
「ぬ……?」
 同意を求められた七代も、漬け物を口に運びながらうんうんと頷いている。これはさすがにこちらの分が悪い。
……うむ。冷める前にいただくとするかの。」
 だからと言って負けを認めるのも癪なので、何も無かったことにして箸を手に取る。もたもたしている暇はないのだ。目の前の美味なる難関を片付け、為すべきことがあるのだから。
……すっかり更正されちまったもんだな、しかし。」
「む? 妾は白札じゃ、書き直すものなどないぞよ。」
「校正じゃねぇよ。朝っぱらから駄菓子食べてた悪餓鬼が、きっちり朝飯を食うようになったって話だ。」
 普段はへの字に結ばれていがちな清司郎の口元、それがほんの少しだが緩んでいることに気付き、白は眉をひそめて視線を逸らす。
……単なる心変わりじゃ。」
「まぁ、そういうことにしといてやるか。」
「まったく……
 きっと七代も似たような反応だろう。こっちは共にいる時間が清司郎よりも遙かに長いので、見ずとも想像はついた。
……ぬぅ。」
 早とちりだったら恥の上塗りだと、念のために確認してみるも、七代の表情は白の予想を少しも裏切らないものだった。何とも言えない敗北感に苛まれながら、白は朝食をさっさと始末することにした。ここでこんなことをしていたら、「時間」に間に合わなくなってしまう。もちろんあまり形振り構わず早食いをすれば、また怒られてしまうのだろうが——

——いや、怒る奴はまだここにおらんではないか……

 悔しいが清司郎の言うとおりだ。すっかり躾られてしまっている。これでは鴉というより忠犬だ。駄犬であるよりは幾分かマシではあるが。いや、決してこの神社の狛犬のことを言っているわけではない。出来は悪いがあれこそ忠犬だろう。むしろ忠義という意味ではあちらの方が上手か。おのれ、ひよっこ神使の分際で——

——ちょっと待て、妾は何を考えておる!?

 誇り高き札の番人が、たかが生まれて数十年程度の神使に嫉妬するなど、無様にも程がある。
……まったく……あやつのせいで調子が狂いっぱなしじゃ……
「また何か言ったか?」
「な、なんでもないわ!!」
「ふん……独り言が増えるのはボケの始まりだぞ。気をつけろよ。」
 普段は子供扱いするくせに、こういう時ばかり年寄り相手のような揶揄をしてくる。癪ではあるが、この男相手にまともに取り合っても勝ち目は薄い。ここは口を閉ざして籠城策と行こう。否、口を閉ざしては食事が出来ない。つまり食事に集中すれば良いわけだ。
……む。」
 再度、時計に目をやると、既に刻限は迫りつつあった。というか、そろそろ「始まる」頃だ。行儀を疎かにするつもりはないが、だからと言ってこのままのんびり構えているわけにはいかない。白は急いで食事をかき込み、一気に水で流し込む。七代の悪友が、学校の屋上でよくこんなことをしているのだ。彼の場合はパンと牛乳だったが、応用は十分に効く。白なりの「裏技」の一つであった。
「ふん、やっぱり餓鬼は餓鬼だな……。」
 言葉こそ悪いが、清司郎の表情に負の感情は浮かんでいなかった。先程と同じように、どこか愉快そうな微笑。相変わらずマイペースに副食を始末している七代も、横目に見る瞳の目尻は下がっていた。
「馳走になった……しばし妾は席を外すぞよ。」
 毅然とした物言いとは裏腹に、白は慌てて立ち上がり、早足に廊下へと出ていった。行き先を告げはしなかったが、残された男二人にはお見通しである。
「まったく……随分となつかれたもんだな、あいつも。」
 苦笑する清司郎に、七代は箸を置きながら、目を細めて頷いてみせる。ごちそうさま、という言葉を待たずに、清司郎は急須を取りに台所へ戻っていった。

 その場所に近づくに連れ、徐々に耳への刺激は強まっていく。笛の音に鐘の音、琴の音に太鼓の音、いかなる楽器にも当てはまらぬ人工的な音や、果ては動物の鳴き声まで。白の目的地からは、様々な音が騒々しく鳴り響いていた。

 清司郎の娘、朝子(あさこ)の部屋である。

 朝子はその名に反して非常に朝に弱く、寝坊が習慣化してしまっている。しかし本人はその状況を受け入れているわけではなく、何とかして朝起きられるようにと知恵を絞っているらしい。
 その一つが、この騒音である。複数の目覚ましを時間差でセットすることにより、無理矢理にでも目を覚まそうと試みているようだが、結論から言えば効果は上がっていない。それでも諦めきれない朝子は、個数を増やすという単純明快な対策強化を繰り返し、現在では合計12個の目覚ましが、羽鳥家の朝の静寂を破壊しているのであった。
「しかし結局、無駄なものは無駄みたいよのう……
 騒音の中で、白は呆れたように呟いた。もちろんそんな呟きは、音となって生じた直後に打ち消されてしまう。まさに音波の氾濫とも言える惨状であるが、それらを純粋な情報として処理することの出来る白にとっては、たいした問題にもならない。淡々と一つずつ、「いつもの通りに」目覚ましを止めていく。
「これは……裏じゃったか。で、これは下部と。まったく、”すいっち”の場所ぐらい統一すれば良いものを。」
 さすがにこれだけ種類があると、1つ2つはスイッチの場所がわからなくなる。やや手間を取らされながらも、ものの3分で12個の目覚まし時計を沈黙させる白。あとは持ち主を残すのみ。こちらは逆に沈黙をやぶらねばならぬのだが。
「あの轟音の中で、よくもまぁそうやって安らかに寝息を立てていられるものじゃ……
 部屋の主——朝子は何事もなかったように、すやすやと眠り続けていた。普段はアップにしてまとめられている髪が、真っ白な敷き布団の上に広がっている。澄んだ漆黒が流麗に広がる様は、まるで星の輝く夜空を切り取ってきたかのようにも見えた。
……口を閉ざしておれば、何とも美しいものよの。」
 誰の耳もないことを前提に、白は率直な感想を漏らす。そそっかしくて喧ましくて、しかし世話焼きで心根の優しい朝子。そんな内面の魅力に隠れて見落とされがちだが、よくよく見れば容姿だってなかなかのものなのだ。
「ふむ、物思いに耽っている場合ではなかったな……
 我に返って、本来の役目を果たそうと行動に移る白。
「ほれ朝子、もう朝じゃぞ、起きるのじゃ。」
 そう、何と言うことはない、目覚ましを用いたところで自力では起きられない朝子を、叩き起こしに来ただけなのである。白が少し強めに体を揺すると、すぐに朝子はうっすらと目を開いた。軽くでも物理的な衝撃を与えれば、すんなりと目を覚ますのだ。音に対する耐性が出来上がってしまっているだけとも考えられるが。
……あら、おはよう白ちゃん……
「おはやくないわ。そろそろ支度せんと遅刻するぞよ。」
「そうね……ありがとう。」
「ふん……礼を言われるようなことなどしておらぬ。」
 すげなく言い放って、顔を逸らす白。今の朝子に微笑を伴う礼などされては、直視出来なくなるのは自明の理。とは言え、頬周りの血色でバレてしまってはいるかもしれない。赤くなってしまった自覚はあるのだ。
「なんか、変わった夢見てた気がするのよ。」
「夢とな……?」
 唐突な切り出しに、白は扇を広げて口元に当ててみせる。物事に興味を抱いた時の彼女の癖だ。
「ええ……殆ど内容は覚えてないのだけど。」
「まぁそんなものよ。境目がなければ、夢現などという言葉は生まれぬ。」
 自身が実像と幻像の境目のような存在であることを考えれば、白がそのような物言いをするのも奇妙な話ではある。それは無意識にでも、人としての自身の存在を想う部分が出てきたからなのか。
「でも言われたことは覚えてるの。」
 朝子は髪に櫛を通しながら、横目に白を見遣る。自身の夢のことを思い出すならば、対象物は必要ないだろうに。
「言われた、ということは、何者かと会うた夢か。」
「ええ。」
 髪をいじる手を止めて、白の方へ振り向く朝子。なぜか嬉しそうに目を細めている。
……何じゃ?」
「白ちゃんに言われたのよ。『そなたは口を閉ざしてさえいれば美しい』って。」
「うっ……!」
 それは夢ではなく現の出来事だった。あの言葉を呟いた時点で、朝子の意識は半分夢の中から帰ってきていたようだ。
「嬉しいわよね。いつも辛口の白ちゃんに、夢の中だけでも誉めてもらえるなんて。」
 夢の中だけでも——その言葉が、白の耳に強く残る。その言葉に、唱えるべき異議があるからだ。
「まぁ結局、私が頭の中で勝手に作った甘口の白ちゃんだし、甘ったれるなって言われちゃうかもしれないけど。」
 そんなことを言って髪をセットする手を再び動かし始める朝子。頭の中に浮かべた辛口の白に「もたもたするな」と叱咤されたのかもしれない。現実の白本人は、朝子の思わぬ言葉に翻弄されっぱなしなのだが。
「むぅ……。」
 やはり納得がいかない。朝子は一人で勝手に話をまとめて満足しているが、事実と異なる点を放置したまま間違った結論を出されるなど、実状を知るこちらにしてみれば、尻切れとんぼも良いところだ。言うなれば、全十帖の絵巻物が九帖で中断されてしまうようなものである。
……朝子。」
「ん? なぁに?」
 しかし、だからと言って無条件に内心をひけらかすのも趣に欠ける。
「これは妾の独り言じゃが……
 あまりに陳腐な気もするが、あまり間を長く取りたくもなかった。
「うん。」
 朝子も白の考えは汲んでくれたのだろう、黙って続きを待ってくれている。
「先程の言葉は現の出来事じゃ……。」
 言ってしまった。もう取り消しは効かない。
……あら、やっぱり。そんな気はしてたんだけど。」
「な……?」
 意を決して白状したというのに、朝子の反応は簡潔だった。そもそもに独り言だと前振りをして、さらにそれに朝子も同意していたはずなのに、その流れは完全に無かったことにされてしまった。
「白ちゃんがあんなに素直だなんて、夢の中だってありえないもの……
「むぅ……失礼な。」
 これだけ手玉に取られてしまうと、やはり取り消しを効かせたくもなってくる。
「でもね、だから嬉しいのよ。」
……どういうことじゃ?」
 朝子の言葉は、たびたび白を困惑させる。全てを純粋な情報として捉え、客観的な処理をしてきた白にとって、感情豊かな朝子の考えは、だいたいが理解を超えたものなのだ。
「口に出さない想いって、それだけ強いんだと思うの。白ちゃんがそう思ってくれていて、でも私に言葉として言ったことはないってことは……ね?」
……ふん。口に出さぬだけではなく、心にも思っておらんかもしれぬぞ。」
「さっき確かに『言った』って自分で言ってたわよ?」
「うぐっ……!」
 間抜けな受け答えをしてしまった。自分でもよくわかる——明らかに平静を失っている。
「ふふ……あら?」
 しどろもどろになる白に微笑を浮かべていた朝子は、ふとある一点に視線を留めた。
「何じゃ?」
 角度から予測するに、恐らくは白の顔を見ている。つまり、大して視点を動かしたわけでもない。ただ、先程よりもより注意が収束されているようにも見えた。
「白ちゃん、顔にお弁当ついてる。」
「弁当とな? 妾の顔にそんなかさばるものは付いておらぬわ。」
「お弁当箱じゃないわ、ごはん粒。」
「ああ、そういうことか……。」
 恐らくは白が封印されている間に生まれた、隠喩の一つなのだろう。随分と大雑把な表現ではあるが。
「どの辺りじゃ?」
「あ、いいわよ、取ってあげる……

 そう言った朝子が浮かべた微笑は、いつもの慈悲に溢れた優しいものではなく、普段の彼女からは考えられないような艶のある——

…………?」

 朝子は白の唇のすぐ側にくっついたご飯粒を、自らの口に含むことで取り除いた。朝子の唇の感触が白の頬——というよりほぼ唇——に残される。
「な…………なっ……!?」
 朝子の様子の変化に呆気にとられている間の、ほんの数秒の隙を突かれてしまった。
「はい、きれいになりました……うふふ。」
 細められた朝子の瞳は、ほんの少し潤みを帯びていた。その視線に魅入られて、白の思考は鈍り続ける。
……この……痴れ者め……
 瞳からは目を離せないが、朝子の顔を直視することもできない。結果として白はうつむいたまま、上目使いに朝子と視線を交錯させるかたちとなっている。もちろん言われるまでもなく自覚しているが——きっと、顔は真っ赤になっている。
「でも白ちゃん、お弁当ついてるなんて珍しいわね?」
 突然、素に戻った朝子のその一言に、白はびくりと体を震わせる。別の意味で、朝子の顔を直視できなくなってしまった。
「な、なんのことかえ?」
……白ちゃん、またご飯を慌ててかきこんだわね?」
「いやまぁ待て、それにはきちんとした理由があってじゃな……
「言い訳しないの。お行儀良く食べなきゃ駄目っていつも言ってるでしょう?」
「ぬぅ……
 すっかり元の朝子に戻ってしまった。こうなると彼女の説教はしばらく続く。これも白の教育と思ってのことなのだろうから、ありがたいと考えることも出来るのだが。
「もう、仕方ないわね……
 しかし、朝子の様子がいつもと違う。早々に話を切ったは良いが、何か変な構えを取っている。まるで、目の前にいる相手を両手で捕まえようとしているような——
……そういう悪い子は……えいっ!」
 案の定、両肩をがっしりと掴まれ、呆気に取られているうちに敷き布団の上に引き倒される。
……ひゃっ!?」
 慌てて体を起こそうとした白だったが、仰向けにされた視界に天井以外のものが映りこみ、その動作を止めてしまう。
「だーめ。悪い子にはおしおきしないと……ね。」
 完全に組み敷かれた形になっていた。体重こそかけられていないものの、朝子の両手は白の両脇に置かれ、実質は逃げ道が無い。
「な、なにを考えておる、なにをする気じゃ……!?」
 返事をする代わりに、朝子は白の耳元に顔を寄せてきた。その呼吸が頬を刺激し、その熱が伝わってくる。
……何してほしい?」
 吐息に混じって生じた朝子の囁き。それはどんな確定情報よりも魅力的な、不明確極まりない情報。その情報の価値が、意味が、白の返答一つでどうとでも変わる。だが——
……好きにせい……。」
 選ぶことを放棄したわけではない。朝子の意志に身を委ねることが最良だと判断したまでのこと。白には情報が多すぎて、どう答えるのが正解なのかわからなかったのだ。
「そう……
 そのことには特に抗議をすることもなく、白の視界の隅で朝子は目を細めて見せた。それは愛おしげな、しかし少しだけ嗜虐的な色の織り混ざった、理性の領域から外れかねない妖しい笑み。

 力を抜いて顔を倒すと、朝子の瞳が、唇が、白の視界を埋めていた。ご飯粒はもうついていない。彼女の狙いは、的確。もはや全てを朝子に委ねようと、白が瞳を閉ざしたその瞬間——

「おい、いいかげん起きて来ないと遅れるぞ?」

 部屋の外、廊下の更に先から響いた声に、朝子は反射的に体を跳ね上げ、その勢いで一気に立ち上がった。未だに布団に横たわったままの白を尻目に、左右を何度も見回している。
「え……あら……?」
 見るからに「何が起こったのかわからない」と言った風な表情——そう、まるで起き抜けのような顔だった。
「や、やだ、何でこんな時間……っ!?」
 目覚まし時計の一つを見て、頭を抱える朝子。どうやら間違いなさそうだ。彼女の中では今が目覚めの瞬間、つまり——

——寝ぼけておったのか……

 体を起こした白は、嫌でも認めざるを得ぬその壮絶な事実に額を押さえる。そこでやっと、朝子は白の存在に気付いたらしい。
「あ、白ちゃん、起こしに来てくれたの?」
 やはり「初めて気付いた」ような口振りである。よほど寝坊したことに焦っているのか、自分が寝ていたはずの布団に白が座っていることには、特に疑問を感じていないらしい。
……うむ、なかなか起きぬから少し困っていたところじゃ。」
 困っていた理由は大嘘で、少しどころか盛大に困っていたわけだが、事実を教えるのも酷というものだろう。寝ぼけて同居人を押し倒していたなどと知れば、また教育者失格だの何だの悩み込んで、動きを止めるに違いない。ただでも切羽詰まっているというのに。
「ごめんね。悪いんだけど、お父さんに朝ご飯食べてる時間無くなっちゃったって伝えてきてもらえる?」
「まったく……朝飯をしっかり食えと妾をよく叱るのは其方じゃろうに。」
「う……気をつけます……。」
 少しだけ意趣返し。たまにはこちらから説教してやるのも一興だろう。
「ほれ、清司郎のところには行ってきてやるから、とっとと準備せい。」
 あまりいびるのも趣味が悪いだろう。再び慌てふためいている朝子を残して、白は部屋を後にする。目的の人物は恐らく台所だろう。口ではそっけなく振る舞っているが、清司郎の親馬鹿は相当のものだ。恐らくは朝子の朝食時間が取れなくなることを予測して、持ち出し可能な形に詰め直しているに違いない——などと思った矢先。
「どうやら『無事』みてぇだな。」
 思ったよりも近場に清司郎はいた。縁側に腰掛けて庭を見遣っているが、どうやら白を待っていたようだった。 まるで先ほどまでの白の窮状を知っているかのような清司郎の言葉に、白は一抹の不安を覚えて顔をしかめる。
……見ておったのか……?」
「馬鹿言うな。娘とは言え、女の部屋を出歯亀するような真似はしねぇよ。」
 確かにあの時に聞こえた清司郎の声は、近い距離から発せられたものではなかった。
「まぁあまりにも遅いから、きっと朝子がまた『寝ぼけてる』んだと思ってな。」
「やはり、あれは寝ぼけてたのじゃな……
 そして、「また」ということは前科があるわけだ。
「寝起きが悪いからな……たまにひどい寝ぼけ方をすることがあるんだ。餓鬼の頃から、ああなると何をし出すかわからねぇ。前に七代が関節を外されかけたらしい。」
 問題行動は攻撃的な形で現れることもあるのか。今日はマシな方だったと見える。
「まぁいい、今からなら急げば多少は時間が余るだろ。ほらよ。」
 清司郎はぶっきらぼうに、小振りな風呂敷包みを差し出してきた。これを渡すのが目的だったらしい。
「中身は見りゃわかるっつって押しつけてやってくれ。俺よりお前さんからの方が素直に受け取るだろ。」
 受け取った荷物は、重さからしてやはり朝食であろう。大きさから考えて、中身はおにぎりだろうか。
「ほら、とっとと行ってやれ。俺も出かける準備があるんだよ。」
 一方的に白に用事を申しつけると、清司郎は返事を待たずに立ち上がった。照れ隠しもあるのだろう。よほどのことがない限り、自分が子煩悩であることを認めようとはしないぐらいだから。

 去っていく足どりがやや弾んで見えたのは、白の気のせいではなかったのかもしれない。

 白はちょうど玄関にやってきた朝子を捕まえ、清司郎からの預かり物を渡した。朝子にはその中身がすぐにわかったようで、後で礼を言うよう頼まれてしまった。今朝はつくづく他者の遣いをさせられる流れが来ているらしい。

 せっかくなので境内を出るまでだけでも送っていこうと、白は朝子に随伴して歩いていた。
「しかし……其方の朝の弱さも、本当に手の付けようがないのう。」
「そうね……起こしに来てくれる白ちゃんには本当に悪いと思ってるんだけど。」
 悪いと思う内容を間違えている。そもそもに自力で起きられるのなら、いちいち起こしに行く必要もないし、今朝のような嬉しい——違う、思わぬ誤算が起きることもないのだ。
「妾が赴くことは構わんわ。其方が自力で起きられるようになるまでは、いくらでも付き合うてやろう。」
「あら、本当に?」
「うむ。」
 様々な努力をしているのは、共に暮らしていてわからなくもなかった。それを認めてやらないのも思いやりがない、そんなことを考えて——
「そうじゃな、目覚まし時計をまた増やしてみるというのはどうじゃ?」
——何となく飛び出した言葉だった。

 そう、大した意図もなかったはずなのだが。

「ああ、それはもう大丈夫。」
「何じゃ、いつの間に新たな目覚ましを手に入れたのか?」
「ええ。」
「はて……そのようなものは見当たらなかった気がするが……
 今朝も止めた数は12個で間違いない。未開封の荷物でもあれば目に付きそうなものだが。
「ふふ……そうね、白ちゃんの目には見えてないかも。」
「な……どういうことじゃ?」
 朝子には見えるが白には見えないということは、人ならざる者には不可視の物体ということか。しかし朝子にそのようなものを手に入れる術があるかは疑問だ。
「いったい何なのじゃそれは?」
「あなたよ。」
「は?」
「白ちゃんが起こしに来てくれるから、目覚ましはもう増やさないわ。」
 その意味するところを考えて、白はまたも頬に熱が溜まっていくのを感じた。もっとも目が覚めている朝子には、今日初めて見せるわけだが。
……妾は時計ほどアテにはならぬぞよ。」
「そんなの気にしなくていいわ。私としては、起きて最初に白ちゃんの顔が見られるのが嬉しいし……
 頭から煙が上がった気がする。白を慌てさせようとか、心を惑わせようとか、そういう意図は全くないだろうに、朝子の言葉は白の心の弱いところをぴたりと突いて来ていた。
「ねぇ白ちゃん。さっき言ってたわよね……『起きられるようになるまで』って。」
……う、うむ。」

「じゃあ、起きられるようにならなかったら?」

 そう言って朝子が白に向けたのは、今朝のあの、慈愛の中に少しの嗜虐が隠された微笑み。あの時、本当は朝子は目を覚ましていたのかもしれない——そんなことすら思わされた。
「ふむ。」
 黙ってこの場をやり過ごしたくはない。今しか、この心持ちでしか言えない言葉があるのだ。

「聞くまでもなかろうに……先程言ったとおりじゃ。」
「え……?」

 意表をつかれたのか、朝子はやや呆気に取られているようだった。また白が赤面して沈黙するとでも思っていたのだろうが、そうは問屋が卸さない。こっちは遙かに長い時を生きているのだ。やられっぱなしでいると思ったら大間違いだ。手番を奪った隙をついて、白は伝えるべき言葉を一気に言い切ることにした。

「いつまでも、じゃよ。」

 あいにくと気が利く言葉が浮かんでこなかったが、ならば心の内を飾らぬ言葉で伝えれば良いまでのこと。

「其方が起こしても起こしても起きなくなる、その時までずっと……な。」

 詩歌に乗せずとも、”ぷろぽおず”出来るような時代なのだから。