『いまわの際に』(東京鬼祓師SS)

2012年1月5日
拙作(東京鬼祓師)

一度は書いてみたかった、鍵×主人公のSSです。
例によって拡大解釈と憶測から来る捏造設定満載(汗)。
そこまで直接的表現は含まれておりませんが、
割とストレートにやおいなノリなので、苦手な方はご注意下さい。


東京鬼祓師SS
いまわの際に

 その日も、何でもない一日になるはずだった。少なくとも学校にいる間は、何が起きることもなく放課後を迎えられていた。友人たちはいずれも多忙で、特に自分自身の用事もなかったので、まっすぐ鴉羽神社に帰ることにしたが、これも特に珍しいことではない。

 だが、帰宅の直後から何かがおかしくなり始めた。

 鴉羽神社を守る神使の片割れ、狛犬の化身である少女が、境内でおろおろしながら右往左往している。いつもなら帰宅した途端に喜んで駆けつけてくる彼女が、こちらの気配に気付きもせずに何かを探して歩き回っている。
(すず)……どうしたの?」
 ただならぬ雰囲気に異常を感じた彼——七代千馗(しちだいかずき)は、少女に声をかけることにした。困っているようではあるが、話しかけてほしくないと言った風では無い。むしろ彼女に関して言えば、相談相手がおらずに困ることの方が圧倒的に多いのだ。
「あっ……ぬしさま!!」
 名を鈴というこの少女、神格の化身であるゆえか、常人の目にはその姿が映らない。視覚的な要素に限らず、声も聞こえなければ触れることも出来ない。千馗は「秘法眼」と呼ばれる特殊な視覚を持つゆえか、彼女の姿を認識し、その声を聞くことも出来る。

 しかし妙である。いつもなら、この境内にそういった存在がもう一人いるはずなのだが。

「大変なのです……(けん)さんが見当たらないのです。」
「え、どういうこと?」
「すずにもよくわからないのですが……どこにもいないのです。神社の中だけじゃなくて、この町のどこからも、鍵さんの存在が感じられないのです……。」
 鍵というのはこの鴉羽神社を守る狐像の化身である神使で、鈴が神使となる前からこの神社に存在している、いわば鈴の先輩と言える存在である。
「こんなこと初めてで……すずはどうしたら良いか……はううう……
 途方に暮れる鈴の様子から見るに、恐らく今まで自分の力を全て注ぎ込んで鍵の捜索に当たっていたのだろう。たまにケンカもするものの、やはりいちばん身近な家族に等しい存在なのだ。身を切られるような思いに違いない。
「わかった、僕も協力する。鞄を置いたら町を回ってみるよ。」
「ほ、ほんとうなのですか……?」
「もちろん。鍵さんにはいつもお世話になってるし……それに——」

——僕が探さないで、誰が探すんだよ。

 特別だと思い込んでいる自分の痛々しさを自覚して、思わず口元が歪みそうになる。もちろん、そんな顔を見せたら鈴が心配するだろうから、背を見せるまでは無表情を装っていたが。

 清司郎もまだ帰っていないようで、千馗は誰に何を告げることもなく自室へ向かう。鞄を下ろして机の上にふと目を移すと、友人が先日喜々として渡してきた一枚のチラシが目に入る。それは新しく開店するという飲食店の広告。中央に大きく「オープニング割引!」と書かれているが、あとは店の場所を示す地図といくつかの目玉商品が書き並べられているだけ。

 それだけなのに、何かが気にかかる。

「もしかして……いや、でも……

 秘法眼を持つ者と言えど、通常の状態では——神使のような特別な存在が見えるものの——常人と同じ光景が映し出されている。が、「切り替え」を行うことで、通常では決して見ることの出来ぬものを見ることが出来るようになる。「力」の流れを察知したり、壁であるかのように存在レベルでカモフラージュされている扉を発見したり、姿を消して襲ってくる怪異を察知したりと、その用途は非常に広い。
「こ、これって……!?」
 チラシの隅、地図の中の或る一点に、薄らぼんやりと光る靄のような極小の球体が貼り付いていた。間違いない、妖術の類によって纏められた霊的な力の塊だ。
 秘法眼が見せる「もう一つの視界」では、そういった霊的な力の流れが黒い霧のように映し出され、まるで白黒が反転したような色調の歪みが発生する。通常の物質を視認しずらくなるだけでなく、この状態を維持すると精神力を消耗するということもあって、普段からこの視界を使い続けることはできない。
 ゆえに、「力の塊」などというものを見慣れているはずもなく、視界に入ってくれば否が応でもその存在に目を奪われることとなる。
……負の性質を持ったものじゃない。おまけにかなり長い間固着してる……。」
 少なくとも千馗が部屋に戻ってから五分弱。これだけの長い時間にわたって、触媒も無しに存在し続けるなど、普通は考えられない。千馗もカミフダの力を道具に宿らせたり、結界を生み出す力として扱うことは出来るが、それにしたって札や道具といった触媒が必要だ。
 このような離れ業は、人外の者にしか為し得ない。つまり、友人たちの中にも少なからず存在する、陰陽師や封札師などではない。そして力の性質からして、隠人のような怪異の類ともまた違う。そうすると思い当たるのは、札の番人か、或いは——

——状況から考えれば、一人しかいない……よね。

 神域を守る者、神使。
 そして鈴のような未熟な神使では、ここまで強い力の凝縮は出来ない。

——呼んでるの……

 愚問だった。小難しいことを考えるまでも無く、この力の気配は「彼」のものなのだ。間違えるわけがない。
「鍵さん……
 この地図の上に示されている場所で、あの人は待っている。

 それはかつて仲間と共に幾度も足を運んだ、「冬の洞」と呼ばれる洞穴。八汎学院の敷地内に存在するため、鴉乃杜学園に籍を置く千馗が無断で足を踏み入れることは出来ない場所である。
「きゃァん! 七代きゅんのお・ね・が・い、断れるワケないじゃなぁい☆」
「待ちや蒲生。あんさんが即決することやおまへんやろ。」
 可愛い子ぶりっ子した野太い声に顔をしかめたのは、その声の主の隣りに立つ長い黒髪の女生徒。
「ンもう、もったいぶるのカナめんの悪いクセよォ? どうせ断るわけないんだからァ、スパっと通してあげましょうよォ。」
「そう思うんやったら少しおだまり。すまんどすな、七代はん……来て早々暑苦しゅうて。」
 二人ともかつて千馗と共に強大な敵と戦ってくれた、大事な友人である。この黒髪の女生徒が冬の洞を管理する役目を負っているので、あらかじめ連絡を取っておいたのだ。
「ううん、とんでもない。結構久しぶりだから、本当はゆっくり話をしたいところなんだけど……。」
「でもでもォ、大ピンチ☆なんでしょ? 顔色良くないもの……ホントは一人で行かせるのもイヤなのにィ。」
「その点はうちも蒲生に同意や。せやけど……一度決めはったら、絶対に曲げんのが七代はんやからなぁ。」
 洞の入口である茶室まで先導してきてくれた二人は、さながらそれぞれが門扉であるかのように、千尋に道を開けて見せた。
「せめて、無事に帰ってきておくれやす。あんさんなら大丈夫やろうけどな。」
「カナめんとミカみゅんとの約束よん?」
「うん、ありがとね二人とも。」
 もしも「何か」が起きるのなら、二人の助力は非常に心強いに違いない。しかしこの一件に関しては、何が起きようとも、千馗自身の手で、千馗だけの力で片を付けたかった。だから会って早々に彼女らに告げたのだ。「冬の洞へは一人で入る」と。

 茶室の畳は既に上げられており、地下へ通じる道が現れていた。千馗から連絡を受けた時点で、こうなることを予見していたのだろう。この下に冬の洞がある。カミフダの力によって生み出された怪異が蠢く魔窟で、力無き者が迂闊に足を踏み入れれば生命の危機に繋がる。ゆえに監視者が必要なのだ。

 冬の洞に入るとすぐに、人が幾十も集まれそうな大きな空間が広がっている。ここから更に、奥の層へ向かう道が三つに分かれる。

 が、今回はその領域へ赴く必要はないようだ。
 何故なら、ここに目当ての人物が存在しているからである。

 ちょうど広間の中心にあたる位置、そこに立つ青年こそが、千馗が探していた——否、千馗をここへ誘った張本人。
「鍵……さん……
 着流しを纏った長身の男。煙管を揺らしながらこちらに体を向けているところを見ると、千馗が洞へやってきたことには気付いていたようだ。
「お早いお着きで、坊。」
 一見して若い人間の男のようであるが、長い髪から覗く狐の耳がそれを否定する。狐像の化身、鍵——鴉羽神社を守るもう一人の神使である。
「何で……こんなところに。」
 聞きたいことは他にもあったが、これが最も大きな疑問だった。千馗を呼び出すだけならば、ここでなくても構わないはずだ。鈴から身を隠す程度は造作もないことだろうし、新宿という地に長く居ついている彼ならば、封札師などの邪魔が入らない場所を他にも知っていそうなものである。
「ここは……懐かしいんですよ。」
 しかし鍵が発した回答は、千馗の期待していた内容とは違っていた。
「あの神社に落ち着くまで、あたしは勝手放題やって生きてきた。方々を転々として、あちらで騒ぎを起こしては、こちらで秩序を乱して……自由気ままと言やァ聴こえは良いが、それはもう、やんちゃしてやしてねぇ。」
 まるで千馗の質問をきっかけに、独白を始めたかのようだった。
「この洞には、あたしがちょうど悪ガキだった頃の『時代』が作られている……まぁ、ちょっとした郷愁ってぇやつです。」
……じゃあ聞き方を変える。どうして僕をここに呼んだの?」
 この人は何でも煙に巻こうとする悪い癖がある。話を先に進めたかったら、はっきり質問しないと駄目なのだ。なお誤魔化されてしまうことも少なくないが、時と場合ぐらいは考えてくれると信じたい。
「都合が良いから、ってところですよ。洞だったら、ここで無くても良かったんですがね。」
 つまり先程の話と繋がるわけか。冬の洞を選んだのは自らの郷愁からと。
「都合ってどういう……
「考えたことはありやすか、坊?」
 さらに追究しようとした千馗の言葉を遮って、鍵は逆に質問を投げかけてきた。
「あの呪言花札の一件の際、あたしと仔犬ちゃんが洞に入らなかったのは何故なのか……?」
 かつて千馗が仲間たちと共に洞を探索した折には、神使たちはサポートに徹すると言って、洞まで同行してくることはなかった。もっとも、離れていても様々な感知能力は働くようで、様々な助言で千馗を幾度も助けてくれた。
……隠人と戦うのは危ないから、じゃないの?」
 少なくとも鈴はそんなことを言っていた気がする。状況を把握する能力には長けているが、直接戦う能力は無いのだと。
「順当に考えればそうなりやすね。だが……完璧な解答じゃァない。」
「でも鈴が……
「あたしが仔犬ちゃんにそう教えたんですよ。決して洞に立ち入らせないためにね。」
 つまり、それは真実ではないということか。相変わらず飄々と立ち居振る舞う鍵からは、まったく真意を汲み取ることが出来ない。
「あたしらはね……空気みたいなもんなんです。」
 それは鍵がよく鈴をからかう時に使う言葉だ。「仔犬ちゃんがそこいらを漂う空気だった頃」——神格としての個を持つに至る以前の、概念的な状態を指しているのだろう。そして鍵はたった今、現在も概念的な存在であると口にした。
「あなたがた人間と違ってね、あたしらは非常に“染まりやすい”。あたしだって元々は特に聖性を持った代物じゃァ無かったんですよ。それが今ではすっかり神使が板に付いちまいやしてねぇ……
 直感的に千馗は悟った。鍵は何か恐ろしいことを言っている。言わんとしていることを正確に把握せねばならない。取るべき行動を間違えてはならない。さもなくば——取り返しの付かないことになる。
「ねぇ鍵さん……話の続きは外でしない……?」
「ほぉ、さすがは坊だ。察しがよろしいようで……
 結論はこれしかなかった。何が起こるかがはっきりわかるわけではない。しかし、このまま留まれば間違いなく何かが起こる。
「だが……ちぃとばっかし遅かった。」
 いつもと変わらぬ調子で、いつもと変わらぬ口調で、しかしその声色は力強く、暗く重い、一度として聞いたことのないような声だった。
「鍵さん……っ!?」
 見た目には何も変化はない。そう、「いま見えている世界」においては、鍵の様子に変化はない。

 そう、全くないのだ。これだけの不吉な空気が流れているのに、概念体であるはずの鍵に全く変化がない。否、正確には——変化がないように「映っている」。

——しまった……なんで気が付かなかった……!?

 しかしその「不吉な空気」には、実体が確かにあったのだ。ただ、千馗の目に映っていなかっただけ。

 正確には、通常の状態における千馗の視界には。

「あ…………あああぁぁぁぁ……っ!!」

 咄嗟に視界の「チャンネル」を切り替えた千馗の目に、その姿がはっきり映し出される。それは五指では数え切れぬ多尾を有した、人の身の丈を悠に凌駕する巨大な妖狐。洞の瘴気がその身に流れ込み、更に新たな尾を生み出そうとしている。
『これが答えですよ。この洞はあたしに馴染む……カミフダの残滓に取り憑かれた程度でも、簡単に情報が書き変わっちまう。』
 見えないものが見えるようになった千馗の視界の中で、ほんの小さな切れ端程度の、カミフダの力の欠片が確かに確認できた。ここで拾ったものなのか、どこかから持ち込んだものなのかはわからないが、それが巨大な怪異の中心部に組み込まれているのは確かだった。それを媒介として、洞の禍々しい力が鍵の存在そのものに注がれているのだろう。
「やめて……やめてよ鍵さん!! 何でこんなことするの!?」
 このままでは、遠くないうちに鍵はカミフダの力に存在を完全に書き換えられ、禍々しき怪異——隠人と化す。
『そんな悠長なことを言っていていいんですかい?』
 鍵はそのことを間違いなく理解している。回答にならないその言葉が全てを物語っていた。
『今のうちなら……「簡単」ですよ。』
 簡単に「何をできるのか」——それがわかるからこそ、その意味を考えたくない。
「答えてよ!! 僕は……僕は嫌だよこんなの!!」
 受け入れられるわけがない。その意図するところもわからないのに、何を納得しろというのか。
……思い立ったが吉日、ですよ。』
「吉日って……
 もちろん言葉のあやだろう。このような恐ろしい事態を、吉と表す理由はない。
『あたしは長く生き過ぎた。多くの人があたしを置いて先に逝っちまった……まぁそれでも、理由も無く自らの手で存在を消そうとまでは思いやせんでしたが。』
 視界には相変わらず、おぞましい妖狐の姿。しかしその言葉は、いつもの鍵と変わらぬ、どこか達観を帯びた、淡々とした口調だった。
『でもね、千さん……貴方が現れてしまった。』
「僕が……?」
『無駄に長生きした年寄り狐が滑稽な話ですよ。貴方と共に過ごすうちに、ガキの頃の感情が蘇ってきちまった。』
 巨大な怪異が目を細める。その禍々しい風貌とは裏腹の、優しく、そして寂しげな表情だった。
『「遺されるのは嫌だ」ってね……
 その言葉をきっかけにしたかのように、禍々しい力の凝縮が激しくなる。
『たまには神使の寄り合いに顔を出してみるもんだ……帰りがけに拾った穢れた欠片が、あたしに悪知恵を吹き込んでくれた。』
 新宿という土地には、多くの怪異が集まる土壌がある。呪言花札と縁のあるカミフダが紛れ込んできても不思議はない。それを早めに押さえられなかったのは、この一帯を監視する封札師である千馗の失策だった。それがまさか、こんな事態を引き起こすなんて。
「鍵さんは……本当にそれでいいの……?」
 遺される辛さ、それはまだ十数年しか生きていない千馗にはとても理解できない感情だ。
『あたしは本望ですよ。貴方の手で、終わらせてほしい。』
 その声色に一切の淀みはない。
『仔犬ちゃんも一人立ちするには良い頃合ですよ。千さんには世話焼かせちまうかもしれやせんがね。』
 鍵はまるで、自分がここで消えるのが自然な流れのように、言葉を紡いでいく。そうなるのが当然であるかのように。

——そんなのって……

 無意識に、千馗の足が前に出る。既に部屋の半分近くを覆うほどに肥大化した、禍々しき妖狐に向けて。
『千さん……?』
 何が正しいのか、何が間違っているのか、どうすれば良いのか、どうしてはいけないのか、何もかもが全くまとまっていない。だけど止まらない。否、止まっていられない。こうしているうちにも、鍵の存在がは隠人に近付いていく。だから千馗は、歩みを進めるのをやめなかった。
「それが鍵さんの我侭なら……
 千馗は秘法眼の視界を敢えて閉ざした。話したいのはこんなおぞましい怪異ではなく、千馗がよく知っている鍵なのだから。
「僕は絶対、聞いてあげないよ。」
 存在を変化させている間、鍵は体の自由が効かないらしい。接近してくる千馗を拒むこともせず、だからと言って距離を取ることもしない。
「僕だって、遺されるのは嫌だよ……。」
 千馗は鍵の懐へ身体を預ける。いつもなら朧ろげな存在感しかないその仮初めの姿は、今は妖気を集めているからか、しっかりとした質感を備えていた。
「鍵さんが遺されるのが嫌だって言うなら……一緒に行ってよ。」
……なっ!?』
 今まで一切の感情の乱れを見せなかった鍵が、初めてその語気を荒げた。
「僕はもうここから動かないよ。鍵さんが隠人になって自我を失くせば、きっとすぐに僕は死ぬ。」
 まるで眠りに付こうとしている子供のように安らかな表情で、千馗は凄惨な行く末を淡々と語っていく。
『何を……何を言い出すんです!?』
「大丈夫だよ。僕以外にも強い封札師はたくさんいるし、僕の仲間だって頼りになる。妖狐の一匹ぐらいは、簡単に始末してくれるよ。」
 千馗は焦りを浮かべる鍵の双眸を上目遣いに覗き込み、屈託の無い笑みを浮かべてみせた。
「これで鍵さんは遺されないし、僕も遺されない。どうかな?」
 その表情には、一切の迷いが無かった。千馗は本気だ。
……あたしに……貴方を殺させるおつもりですか……?』
「嫌かな?」
『嫌に……決まってるじゃないですか。』
「はい、そういうこと。」
 ぽん、と鍵の胸のあたりを軽く叩いて、千馗は身を離した。その顔に浮かべた優しい笑みには、ほんの少し拗ねたような陰りが含まれている。
「僕も……鍵さんを封札するのなんて、絶対に嫌だよ。」
……千さん。』
……好きな人を手にかけるなんて、出来ないから。」
 照れ混じりのどさくさ紛れ。千馗が視線を逸らして頬を染める様に、鍵は状況に似合わぬ笑い声を上げてしまった。
『ふ……はははっ、千さんにゃかないやせんな……。』
「わ、笑わないでよ……
 その原因を作った本人が言っていては世話がない。自分がどれだけ突拍子もないことをしたのか、どうやら自覚がないようだ。今まさに自分を殺めんとしている相手に秘めた想いを告げるなど、よほどの豪傑か愚者でなければ、思い付きもしないだろう。
『あたしの負けです……おとなしくお縄に付きやすか。』
 お手上げと言わんばかりに両手を挙げながら、鍵は千馗の背後、洞の入口へ視線を向けている。
「え……?」
 そこには——

「話はついたようじゃの……まったく、つまらん悪戯で妾の手を煩わせおって。」

——純白の鴉が一羽。それは呪言花札の番人。鍵に投げかけられた呆れたような言葉は、本来なら言葉を発するはずのないその生物から発せられたものだった。
『お願いできやすか?』
「ふん、その程度の欠片なら造作もないわ。」
 つまらなそうに吐き捨てると、白鴉は千馗の手元へその身を飛び込ませ、一枚の札に姿を変えた。
『久々じゃが、問題はなかろうて?』
「あ、う、うん!!」
 カミフダに憑かれた者に対して、この札をどう扱うのか。それは千馗自身が誰よりもよく知っている。秘法眼の力を解放し、再び巨大な妖狐を視界に映し出す。先程よりもさらに巨大となったそれは、九本にまで増えた尾を蠢かせながら、千馗を無表情に見下ろしていた。

 その身体のちょうど中心にあたる位置に、黒く鈍い光を放つ物体。それが、狙うべき「核」だった。

「お願い、(まお)!!」
 特殊な技術は必要ない。狙いを定めてそこへ飛ぶように念ずるだけ。あとは札が自ずからそれを貫く。核を捉える瞬間、札は白い鴉へと一瞬だけ姿を戻し、獲物であるその禍々しい物体を嘴の隙間に収める。大きな弧を描いて千馗の手の中に札が戻ってきたその瞬間、妖狐を形作っていた邪気が勢い良く拡散を始める。
「ふん……依代を失って、早速飛散を始めおったか。」
 淡々と状況を語っている声の主は、白拍子の装束を纏った小柄な少女だった。千馗の傍らに現れ、つまらなそうに扇で口元を覆っている。
「白……助かったよ、ありがとう。」
 呪言花札の番人、白札の化身である少女、白。千馗と共に幾多の苦難を乗り越え、呪言花札の忌まわしき宿命に打ち勝った盟友である。
「まったく、封札師であるお主がカミフダに出し抜かれるなど、ふがいないにもほどがあるわ。」
「うっ、ごめん……これって一体何なの?」
 白が貫いた物体は、現在は千馗の手の中にある。それは小さな紙切れ。ぱっと見にはゴミにしか見えなかった。
「呪言花札を真似て作られた模造品……その切れ端じゃろう。だから妾の力で抜き取ることが出来たのじゃ。」
 確かに言われて見ると、花札の一部のようではある。なるほど、あくまで白は呪言花札の番人。まったく別種のカミフダが相手だったら、取り憑いた札だけを抜き出すなどという芸当は出来なかったということか。
「なるほどねぇ、そいつぁ運が良かったってことですな。」
 いつの間にか、千馗のすぐ背後に鍵が移動していた。カミフダが切り離されたことで、身体の自由が戻ったのだろう。
「鍵さん! 大丈夫なの……?」
「ええ、坊と白殿のおかげでね。」
 煙管を揺らしながら、飄々とした態度に薄ら笑い。すっかりいつもの鍵に戻っているようだ。
「ふん、な~にが『運が良かった』じゃ。どうせうぬのことじゃ、呪言花札に縁のあるものだとわかった上での悪戯だったんじゃろうに。」
「さぁて、それはどうでしょうねぇ?」
「え……えっ?」
 悪態をつく白とかぶりを振ってみせる鍵の間で、ただ一人状況が飲み込めない千馗。
「まったく、狛犬の小娘が騒がしいから急いで来てやったというのに……

『大変なのです、ぬしさまが冬の洞で鍵さんが呪言花札で、とにかく大変なのですーー!!』

 という具合だったらしい。
「まぁ良い、妾は先に帰るぞよ……“ちりぽてと”が食べかけなのじゃ。」
 返事を待たずに鴉の姿に変化した白は、勢い良く洞の出口へ羽ばたいていった。憎まれ口は叩いているが、好きなジャンクフードを食べかけにしてでも駆けつけてくれたらしい。後でスナック菓子の一つでも贈らねば義理が立たなそうである。

……ねぇ鍵さん、もう一回聞かせて。何でこんなことしたの?」
 洞からの出口の道程で、千馗は傍らを歩く鍵に尋ねる。答えが返ってこないことをわかっていながら。
「坊の想像にお任せしやすよ。」
 それはあまりにも予想通りの回答だった。
「そっか……まぁいいや。」
 今こうやって鍵といっしょに歩いて、話していられること——それだけで十分だった。
……千さん。」
「なぁに?」
 名前で呼んでくれるのは、少し甘えてくれている時。優しくて、だけど少し憂いの混じった声色は、まるで子狐が懐いてくるような柔らかい響き。
「ご迷惑を、おかけしやしたね。」
「ううん、気にしてないよ。」
 恐らくは、鍵に千馗の気持ちは通じた。それを彼がどう受け止めるかはわからないけど、伝えることが出来ずにいた想いをはっきりと口にすることが出来たのだ。
「ですが……
 それでも鍵は引き下がらない。先程の白とのやりとりでは飄々としていたが、千馗が命までかけようとしていたことに、少なからず負い目を感じているのかもしれない。その気遣いを無碍にするのも、それはそれで気が引けた。
……じゃあ、お願い聞いてくれる?」
 千馗は二、三歩早足に進み、鍵の方へ振り返った。鍵は歩みを止め、黙って千馗の言葉を待っている。これは言うのに少し勇気が必要。一度深呼吸をして、心を落ち着かせる。更に少しの間をおいてから、開くことを躊躇う唇を無理矢理開く。
「僕が死ぬまで……ずっとそばにいて。」
「千さん……
 柔らかくなる鍵の表情の中に、憂いが入り混じっているのはすぐにわかった。だから言葉を止めずに、続けて口を開く。
「もしも僕の死期が近付いたら……また呼び出してよ、今日みたいに。」
「え……
 予想していなかったのだろう、鍵が珍しく呆気に取られた表情を見せた。
「鍵さんが良いのなら……いっしょに行こう。僕だって、鍵さんを遺して行くのは嫌だから。」
 あまりにも馬鹿正直で、愚かな申し出なのだろう。だがそれが、千馗の選んだ答えだった。
「でも今は、一緒に生きることを考えよう? 遺すのは嫌だけど、遺されるのはもっと嫌だもん……。」
 人間と神使では、生きている世界も違っていて、寿命も違うから、考え方も違うのだろう。だけど、愛しい人に願うことは同じのはず。

 求めるのは相手の幸せと、相手と共にある幸せ。

「だから鍵さん……僕と一緒に生きて。」

 言葉にすればあまりに明快だが、それを叶えるには、きっと多くの困難が待ち構えている。しかし千馗はそれでも、回り道を選ばない。正面からぶつかって、乗り越えようとしている。

 だからこそ、鍵はいつも通りに答えることにした。
 煙管をゆらしながら、飄々とした態度で。

「わかりやした……その程度なら、お安い御用だ。」