『本気を出す理由』(東京鬼祓師SS)

2012年1月5日
拙作(東京鬼祓師)

これまた一度書いてみたかった、バトル描写主体のお話です。
こんな内容ですが、自分の中では千馗×鍵のつもり。
むしろ全力でそれを表現しようとしたらこんな形に……何故だ(汗)。


東京鬼祓師SS
本気を出す理由

 たかが半年、されど半年。足掛けのはずだった鴉羽神社での居候生活だが、こうやって別の町に移ってみると、思った以上に居心地が良かったのだと実感が沸いてくる。
「まったく、こんなもの送ってこられたらホームシックになっちゃうよ。」
 口では抗議の意を示すものの、荷物の中身を見ていると表情が緩んでくる。神社の主が作ったらしき、漬物と干物の詰め合わせ。「余ったから送る」と本人からの手紙が添えられているが、その娘から事前に「わざわざ用意していた」という情報がメールで送られてきていた。相変わらず変なところで悪びれたがる人である。
「みんな元気にしてるみたいだし、僕も頑張らないとね。」

 高校を卒業した七代千馗にOXAS本部からの辞令が出され、新宿を離れることになったのが春先のこと。多忙な日々に追われるうち、雨降りが続く季節が間もなく過ぎようとしている。離れたと言っても同じ都内であり、その気になれば気軽に顔を出せる距離なのだが、不思議と怪異の多い場所ゆえ、任務は多忙を極めていた。それに加えて上司の意向で大学にも通わせてもらっているため、学生と封札師の二束のわらじで心休まる暇もない。任務のためにプライベートを犠牲にしている封札師もいることを考えれば、ありがたい話ではあるのだが。
 たかだか公共交通機関で1時間もかからぬ距離なのだから、住まいを変える必要などないのではと、同級生たちには散々言われた。しかし現実問題として、怪現象や隠人の目撃情報が入った場合に、徒歩で駆けつけられる距離に居を構えている有効性は高いのである。

「まさかあんな厄介なのがいるとは思わなかったなぁ……
 忙しい理由の大半は、現在対処している相手にあった。力の弱い隠人が大量発生したので、その駆除をするというのが、この町に来て最初に与えられた任務。既に行方不明者も出始めており、早急に掃討を進めて欲しいとのことだった。
 しかしよくよく調査をしてみたところ、それを生み出している大元の隠人の存在が判明してしまったのである。構造としては、呪言花札の洞とそこに現れた隠人の関係に近いものがある。そのボス隠人とも言える相手と初めて遭遇したのが、今日のことだったのだが——

 どんなカミフダに取り込まれたらこのようになれるのか、というのが正直な第一印象だった。鴉乃杜に現れた秋の洞と同じように、廃校の地下壕に現れた洞——その最奥に、巨大な樹木の如きそれは鎮座していた。これを上回るサイズの隠人を相手にしたこともあるので、初見の衝撃はさほどでもなかったのだが、それにしたって大樹と表現しても差し支えのない大物だ。隠人の例に漏れず、通常の植物に余計な装飾が混ざったような奇妙な外見である。丈のわりに細い幹と枝の垂れ下がり方から見るに、大元は柳だろうか。
「意志は……あるのかな……?」
 もしも生物が取り込まれたものであるならば、意志の疎通が出来るかもしれない。もっともこれほど変異してしまっていては、その意志を知ることが出来ても、まともな会話が可能だという保障はない。
……マタ ニンゲン ガ マヨイ コンデ キタ ノ カ? 』
 しかしこの個体は片言ではあるものの、幸いにも思考は問題なく把握できそうだ。
「この一帯の隠人を生み出しているのは君かな?」
 あとはこちらの言葉が通じるかだ。自分の意志だけを一方的に発信しながら、無差別に破壊活動を行う個体も決して珍しくはない。
『ココハ オレ ノ シマ ダ! ドウ シヨウ ト オレ ノ カッテ ダ!!』
 聞いているのか聞いていないのかよくわからない口調で激高の意思を発した巨大な隠人から、鳥のような形をした小さな隠人が次々と沸き出してくる。こちらの原型は燕だろうか。結果として答えをYESで示された形だが、状況は一気に緊迫してきた。生ある者を捕食対象として認識し、攻撃を仕掛けてくる異形の存在、隠人。ここで彼らの餌食となりうる対象は千馗ただ一人。
「まぁ結局こうなるとは思ってたけど……
 せめてあの巨大な隠人が発生した経緯だけでもわかれば儲け物だったのだが、世の中そんなに上手くはいかないらしい。千馗は懐に手を忍ばせ、ここまでの道中で活躍してきた愛用の武器を構える。
……ソンナ オモチャ デ オレ ト ……やろうッテかァ!?』
 千馗が抗戦の意志を態度で示したのに呼応するかの如く、片言だった隠人の意思が明瞭なものと化した。妖気の流れに異変を感じて大樹の上方に目を向けると、幹のヒビをこじ開けるようにして人間の体が突き出している。見た目にはこの巨大な植物の砦に捕らわれているかのようであったが、どうやらあれを中心にこの隠人が形作られているようだ。
『テメェ、ここに迷イ込ンデ来たわけじゃねぇナ? この俺ヲ殺りに来タノか?』
 距離があるのではっきりとはわからないが、身の丈は非常に高く、髪は綺麗に剃られている。服装は非常にラフなもので、Tシャツの上に柄物のシャツをいいかげんに重ね着し、下は着古した白地のスラックスと、現代の人間らしき格好だ。古い時代に隠人になった類ではないと見られる。
 その吊りあがった双眸が千馗を品定めするように見下ろしており、口元は狂気じみた笑みで歪められていた。
『いい度胸ダ……今マデ喰っテヤった連中と同ジように、弄り殺シにしてヤルよ!』
 その雄叫びのような声に呼応するかのように、周囲を取り巻く燕の隠人が一斉に動き始める。
「この程度なら……
 しかし機先を制したのは千馗の方だった。それらの頭部に照準を合わせ、手に握った得物の引き金を引き絞る。本来であれば微量の水流を放つに過ぎない「それ」から、弾丸の如き大粒の水滴が高速で射出され、燕の頭部を貫いた。
『なにィ!?』
 燕の隠人が光の渦となって消滅するのには目もくれず、千馗は次々と標的を切り替えて撃墜していく。片手では数え切れぬほどの数が存在した小型の隠人たちは、程なくして全てが灰燼と帰していた。
「僕ら封札師にかかれば、水鉄砲だって立派な銃器だよ。」
 物品の秘められた「情報」を読み取れる封札師は、一般人にとっては日用品や玩具に過ぎないものであっても、武器として振るうことが出来る。彼らの手に収まれば、竹刀が真剣を上回る斬れ味を発揮することもあるのだ。
『フン、笑えネェ手品を使いヤガる……だがナァ!!』
 その叫びに合わせて、無数の枝が千馗と隠人の本体の間に垂れ下がってくる。まさに枝垂れ柳そのものだ。
『そのチャチなハジキじゃァ、俺ニハ届かねェ……てめぇが疲レテ動けなクナるまデ、ここで高見ノ見物と行かセテもらうダケダ。クククッ……
 なるほど、この防御は確かに丈夫そうだ。試しに数発撃ち込んでみるが、何層も貫通できぬうちに止められてしまう。水を用いた武器がこの守りに対して効果が薄いというのもあるだろうが、そもそもにこれを打ち抜くにはかなりの破壊力が必要と見られる。それこそ、人智を超えた巨大な「情報」に基づく強い力が。

——でも、花札はなるべく使いたくない……

 かつて千馗の身を幾度も救い、時には逆に命を奪おうともした、四十八枚の呪われた札。現在はその意味を少し書き換えられ、以前ほどの危険性はなくなっているが、それでも強大な力を持っていることに変わりはない。その力を争いに用いることが許されるものではないのだ。
……くっ。」
 この場で悩んでいても答えは出ない。そうなれば取るべき選択は一つ。千馗は襲い掛かる小物を片付けつつ、踵を返して走り出す。
『ハハハッ、賢明じゃネェか!! そうサ、俺の邪魔ヲ出来る奴はモウ誰もいネェ!!』
 勝利を確信しながらも、追撃してくる気配はない。つまり、この隠人はここから動けないのだ。それが確認出来ただけでも大きかった。千馗のそんな考察など知る由もない隠人の本体は、上機嫌で独白のように叫び続けている。
『これでオヤジももう怖くネェ! このシマは俺のモノだ!! どいつモこいつモ喰らイ尽くシテやル……ヒャハハハハッ!!』
 新宿で出会ってきた大物の隠人たちに比べれば何と言うこともない相手だが、置かれた条件はあまり良くはない。思考の堂々巡りをしながら、千馗は洞穴を逆行してきたのだった。

 脱出後に上司へ簡易な報告を送り、家に付いた頃には日もすっかり暮れていた。惣菜屋で調達した揚げ物を副菜に夕食をとっているうち、宅配業者が戸を叩いたのが先ほどのこと。そして今に至るというわけだ。
「ごちそうさまでした、っと。明日からご飯が楽しみになるなぁ……さて。」
 空になった食器を台所に運び、洗い桶に浸けていると、再びインターホンが鳴り響いた。
「今日はお客さん多いな……。」
 手の水気を取りながら、小走りに玄関へ向かう。扉を開けたそこにいたのは、先ほどとは別の宅配業者だった。二人がかりで丈が1メートルほどもある巨大な荷物を汗だくで支えている、
「し……七代さんで……
「い……いらっしゃいますか……?」
「は、はい。」
 かなり重いらしく、息も絶え絶えといった様相。
「お、重たいので……
「中まで……運び込んでも……よろしいでしょうか……
「あ、どうぞ……。」
 千馗が肯定の意を示すと、一瞬だけ首を微妙に前傾させる業者の二人。どうやら謝意を示したようだ。馴れた感じの動作で靴を脱ぎ捨てると、慎重かつ足早に家の中へ歩みを進める業者たち。続けて千馗も屋内へ戻る。この部屋は二階にある上、エレベーターが存在しない建物なので、ここまであれを抱えてきたのだろう。自分が指示したわけではないとは言え、難儀な話で申し訳なくもなってくる。
「こ……このあたりで……
「よろしい……でしょうか……?」
「あ、はい、端っこに置いておいてください。」
 それでも階下に迷惑をかけぬよう、震動無く降ろすのがプロの技。一つ大きく息を吐いただけで、あとは何事もなかったように捺印を求め、業者たちは去って行った。これだけの厄介な荷物を任されるぐらいだから、けっこうなベテランなのだろう。
「なんだろうこれ……
 危険物だったら冗談ではないので、とりあえず送り主を確かめるために伝票を手にとったその時——

「四の五の言わずに開ければ良かろうに、まどろっこしいのう。」
「うわっ!?」

 突然、背後からかけられた声に度肝を抜かれ、伝票を取り落としてしまった。非常に聞き覚えのある、幼い声色とは裏腹に高圧的な口調。
……なんじゃ、人を幽霊みたいに。」
……どこから入ってきたの?」
「そこの勝手口からじゃ。」
「それはベランダっていうんだよ……。」
 わざわざ姿を見ずとも誰だかはすぐにわかったが、背中越しに会話をするのも居心地が悪い。振り返ったそこにいたのは、白拍子の衣装を身に纏い、扇で口元を隠す、見た目には十代半ばほどの少女。
「仕方なかろう、お主がなにやら客人と話し合うてたゆえな、気を使ってやったのじゃ。」
「お気遣いどーも……ずいぶん急に来たね、白。」
 先人が遺したカミフダの中でも、最も強く、忌まわしい力を持った「呪言花札」。その番人が、この白である。
「うぬが困っていると伊佐地のやつに聞いての。」
「先生に?」
 伊佐地は千馗の上司にあたる、OXASの幹部職員である。実際に師弟の関係にあったことは殆ど無いが、とある成り行きで「先生」と呼んでいる。
「先ほど“めぇる”を送ったであろう? 彼奴は今宵、鴉羽神社に来ておってな。」
 そういえば伊佐地は呪言花札の一件を機に、鴉羽神社の宮司である清司郎と交流を持つようになったのだった。清司郎は元々OXASの協力者だったので全くの無関係というわけでも無かったらしいが、最近は非番の日でもたまに顔を出すことがあるのだとか。
「うぬの出会った隠人の話を小耳に挟んだゆえ、妾がこうして飛んできてやったのじゃ。」
「どういうこと?」
「呪言花札がすべての花札の源流である、という話は前にしたであろう?」
「うん。」
 遊戯用のカードとして誰もが知っている花札、その大元を辿れば呪言花札に行き当たるという話だ。それは呪言花札の本来の意味を隠すためのカモフラージュだったという説もあるほどで、封札師である千馗もまた、実際に呪言花札の存在に触れるまでは、まったく知識を有していなかった。
「たいていのものは、その姿を模したに過ぎぬ。じゃが、中には『カミフダとしての呪言花札』を模倣しようとしたものも存在したのじゃ。」
「それってつまり……
「無論、その力は起源たる呪言花札には到底及ばぬ。それでも生者を喰らい、その身を取り込めば……
「隠人が生まれる……!!」
 つまりこの一帯を騒がせているあの巨大な隠人は、呪言花札の模造品に取り込まれたということか。
「隠人の様相を聞いてすぐにわかったわ。そやつに憑いておるのは『柳に燕』じゃ。」
「柳に燕って……穂坂さんに憑いてた……?」
 クラスメートの少女が憑かれ、危ういところで白によって分離された札、それが確か「柳に燕」だった。彼女にもたらされたのは治癒の力だったが、憑かれる者が違うとこうも変わるものなのか。
「札がその者の『在り方』を書き換えるわけじゃからの。元が違わば現れる力も変わるのじゃが……
 そこで言葉を切り、白は口元を覆っていた扇をぱちんと閉じる。
……もっとも、あの小娘の方が筋は良いはずなのじゃがのう。」
 にやりと笑みを浮かべ、閉じた扇で千馗の肩をぽんと叩く白。
「そのような小物に、手をこまねくようなうぬではあるまい?」
「うっ。」
 痛いところを突かれた。そう、かつて新宿で戦っていた相手に比べるなら、今の相手は格下も良いところなのだ。だが結果として千馗は、いったん退却することを余儀なくされた。
「なぜ使わぬ。」
 何を、かは聞くまでもない。
「使わずに済むならそれにこしたことは無いよ。あれはやっぱり危険すぎる。」
 よほどの大物で無い限り、それこそOXASや関連組織から支援を送ってもらうことで、通常の装備でも倒せる相手のはずなのだ。
……怖いんだよね。あれに頼りすぎると、いつか力に溺れちゃうんじゃないかって。」
 以前ほどの強力さが無くなったとは言え、並大抵のカミフダに比べれば、その秘められた力は異常なまでに高い。
「ふん、相変わらず腑抜けたことを言う男よの……
 口では罵倒しているが、その表情にはさほどの嫌悪感は浮かんでいなかった。呆れられてはいるかもしれないが。
……そんなうぬを焚き付けるであろう、面白い報せがある。」
「え?」
 白は閉じたままの扇で、先ほど千馗が落とした伝票を指してみせる。
「その包みが何であるのか、よく見てみるが良い。」
 言われるがままに伝票を拾い、とりあえずは送り主を見てみる。住所は鴉羽神社、依頼人は——羽鳥朝子。清司郎の娘であり、七代が鴉之杜学園に在学してた頃の担任教師でもある人。
「朝子先生、さっきの荷物の他に何を…………えっ」
 朝子は抜けているところもあるが、基本的には几帳面な性格である。それゆえ、荷物の中身も非常に正確に書いてあった。その意味するところが何であるか、考えるまでもなくわかるほどに。固まっている千馗の背中を突付く感覚。
「朝子の奴がな、あの件を境にして目を見張るほどに力を増しておってのう。妾も住もうておるゆえ、ひよっこの仔犬でも鴉羽の神使は勤まりそうでな。」
 その事実がどんな結論を示すのか、そこまでは白は口に出さなかった。他でもない、千馗が最もよくわかっているからだ。
「しかし、このあたりには何やら結界のようなものが張られておる。恐らくはその隠人の放つ妖気が、結界として作用しておるのじゃろう。」
 話があまりに出来すぎている。出来すぎているが、事実なのだから仕方がない。千馗の中で結論が出かけているのは承知の上なのだろうが、それでも白は煽る言葉を紡ぎ続けている。
「妾のように元より現し身があれば事無きを得るが、そうでない者が仮染めの姿を結ぶには、いささか難儀な話だと申しておった。」
 背後にいるので表情は見えないが、どことなく白の声色は明るい。理由はわかっている。彼女はこの状況を楽しんでいるのだ。
「さて、どうする七代よ? あまりもたもたしていると、妖気に晒された『それ』から霊性が失われてしまうやもしれんぞよ? さすれば次の機会はいつになるやら……
……やるよ。」
 むしろこのタイミングでこの荷物が送られてきたのは、そうしろと背中を押されているということなのだろう。とりあえず荷物の封は解いておく。状況が整った時に、こんな中に「閉じ込められている」のではあまりに可哀想だ。置いたままでも開けられるように工夫して梱包されているようで、開封にはさほど苦労はしなかった。

 中から現れた「それ」は、千馗の記憶にある姿と非常に良く似ていた。さすがに「それそのもの」ではないらしいが、白によると、つまりは別荘のようなものらしい。

「久しぶりだから、上手くやれると良いんだけど。」
 常に肌身離さず持ち歩いていながら、一度として開けることの無かった呪言花札。久々に箱から取り出し、一枚一枚感触を確認する。再び箱に収めて懐に入れると、千馗は部屋の奥の押し入れに手をかけた。
「やるからには、全力でね。」
 開かれたそこに置かれているのは、かつて千馗の手の中で多くの敵を倒してきた愛用の得物。少し埃をかぶっているが、軽く拭けば持ち出すのに問題はなかろう。ちょうど日も暮れ外は夜。「これ」を持ち歩いても不自然ではあるまい。
「では参るとするかの。『剥がす』ぐらいなら今の妾でも難無き事……成すべきことはあの時と変わらぬ。」
 鴉の姿に変じた白が、千馗の肩に止まった。化けた姿であるゆえか、見た目ほどの重みは感じなかった。

 外に出た千馗は、一人の初老の女性とばったり出くわす。
「あら七代さん、おでかけ?」
「あ、こんばんは大家さん。」
 人当たりの良さそうなこの女性は、このアパートの管理人。部屋の貸主でもあるので、だいたいの住人からは大家と呼ばれている。
「あらあら、それって……あなた文系じゃなかったかしら? ご趣味?」
 千馗が背負っているそれを見た彼女が驚くのも無理はない。今までにこれを使うような素振りを見せたことなど無かったのだから。
「ええ、そんなところです。前は結構使ってたんです。」
「あら、あらあら、それは素敵ね~。今日は久しぶりに晴れてるものねぇ……楽しんでいらしてね。」
「はい、ありがとうございます。失礼します。」

 彼女が勘違いをしたのも無理は無い。むしろこれを見て他の用途を思い浮かべる方がおかしいのだ。

 しかし千馗が実際に向かう行き先は——

——残念だけど、空は見えない場所なんだよね。

 一度潜った洞であれば、その構造はだいたい理解できている。隠人は大元を断たぬ限り無限に沸いてくると言っても過言ではないが、今回はその処理も段違いに速い。先ほどの半分の時間もかからずに、最奥の大広間へ突入した千馗。柳のような巨大な隠人は、相変わらず同じ場所から動いていなかった。やはり満足に移動が出来ない固体らしい。
『アァ? オイオイ? モウ モドッテ …… きやガッタのかァ?』
 相変わらず口汚い隠人である。新宿に住んでいた頃にも口汚い友人はいたので、聞きなれない口調というわけでもないのだが、なぜだろう、この隠人には嫌悪感を覚えてしまう。
「ちょっと事情が変わってね。君を早急に倒さないといけなくなった。」
 せっかく意思疎通の可能な相手だ、あまり問答無用と言うのも乱暴だろう。もっとも、どちらにしろ最終的には戦うのだから、さっさと始めてしまうべきなのかもしれないが。それこそあの口汚い友人に揶揄されてしまいそうである。
『随分と調子クレテんじャねェか……テメェの豆鉄砲なんゾ無駄だとワカッてんダロうがァ?』
「うん。だから今度は……本気でやる。」
『ナめタ口利いテんじャネぇよコラァアア!!!』
 激高する声に呼応して、垂れ下がる枝の中から無数の燕が飛び出した。先ほどとは比べ物にならないほどの大群、各個撃破では処理が間に合いそうもない。
『数はチカラなンだヨ!! 押しツブさレろやァァァァァ!!!』
 黒い波となって押し寄せてくる隠人の群れに対し、千馗は焦りの色をかけらも見せず、背負っていたそれを静かに構える。本来ならば、そういう持ち方をするものでは無いにも関わらず。
『あァん? 何の冗談ダ? ホウキ星でも探シに行くッテかァ!? ハハハハハッ!!!』
 もはや勝利を確信しているのだろう、千馗の行動を笑い飛ばす柳の隠人。
「残念だけど……
 そんなことは意に介さず、千馗は手にした「それ」を軽く横へ振り抜いた。まるで野球の素振りでもするかの如く。
……天体観測をする趣味はないよ。」

 それが何であるかと問われれば、それが何であるかを知らぬ限り、誰もが同じ答えを口にするであろう。

 天体望遠鏡、と。

 それは、確かに天体望遠鏡だった。
 しかし——

『なン……だトォォォ!?』
 その先端から不可視の刃でも伸びているかの如く、千馗に襲い掛かる燕の群れが薙ぎ払われる。一撃の下にその体を粉々に砕かれ、悲鳴を上げる間もなく消滅していく。第二陣から先も同様に、三度の素振りで全ての小物が千馗の周囲から消え失せていた。先程の何倍もの数の隠人が、先程の三割に満たぬ短時間で。
「言ったでしょう。封札師にかかれば、何だって武器になるって。」
 質量が大きければ強力になるというわけではないが、この望遠鏡は千馗にとって相性が良かった。大振りになってしまうため手数は減ってしまうが、あのような大群を薙ぎ払うのにはちょうど良い。
『グ、だ、ダガ近づケナけレば意味はネェだろ!? ナァ!?』
 相手の声色に明らかな焦りが混ざっている。こちらの力を見誤っていた証拠だ。慌てて枝の盾で自らの本体を隠し、完全に守りを固めている。鳥を放ってこないところを見ると、もはや攻めてくる気はないようだ。千日手に持ち込む、そういう魂胆か。
「そうだね。だから……
 望遠鏡を地面に突き立て、自由になった片手を上着のポケットに差し入れる千馗。その直後——
『ウ、う、うワあアアああアああァああァあァ』
 絶叫とともに柳の枝が無数に分散し、大広間を縦横無尽に薙ぎ払う。突然のことである上に死角の全く存在しない攻撃。避けることなど出来るはずもない。枝の蹂躙に晒された千馗は、全身を何箇所も貫かれ、切り裂かれ、まさに襤褸切れの如き無惨な姿となり、声を発することもなくその場に崩れ落ちた。
……ハァ……ハァ…………クククク……ヒャアハハハハハッ!!』
 暴れていた枝たちが元の姿を取り戻し、隠人の本体は息を切らしながら、狂人じみた笑い声を上げる。
『やッた、ヤっタ、やッテやッた!! オオラァ、食事ノ時間ダァァァァ!!!』
 続けて鳥たちが枝の中から飛び立ち、千馗の骸に群がっていく。我先にと飛びつく鳥たちに取り付かれていくうち、千馗の体は鳥の形作る団子のような状態と化してしまった。
『チッ……思っタヨり産めネェな……こコマで消耗すルトはナ……
 後先を考えぬ猛ラッシュ。あれがこの隠人の奥の手だったのだろう。
『だがコイツを喰エば力も戻ルだロう……これダケの力を持っテルんだ、きット上物だゼぇ……クククッ』
 初めこそ薄ら笑いを浮かべながら、千馗だったそれを見下ろしていた柳の隠人だったが、その表情が徐々に曇っていく。そう、彼が今までに人間を喰らった時と、何かが違うのだ。
『何故ダ……何故帰っテこねェ……!?』
 いつもならば、「食事」を終えた個体から柳の中に帰ってくる鳥たちが、一匹として千馗の近くから離れないのだ。まるで、何かに縛られているかのように。
『な、ナんダ……ひ、光が……
 鳥が群がっているその中心から、つまり千馗の骸があるその場所から、燃えるような赤色の光が漏れ出していく。それは鳥たちを飲み込みながら広がり続け、突如として爆風と化す。天を突くように上がった爆風が為したその形は——
『鳳凰……ッ!?』
 神話に描かれる炎を纏った神鳥、鳳凰。それが忌まわしい力によって生み出された、小さな鳥たちを焼き尽くしたのだ。
……ああ、危なかった……まさかあんな裏技があるなんてね。」
 光が収まったその中心に立っていたのは、不意の攻撃に晒されて無惨な死を遂げたはずの千馗だった。あれだけの傷が、一つとして残っていない。
「保険をかけておいて正解だったよ。」
 地面に向かって空いた手をかざすと、地中から二枚の札が現れ、まるで意思を持っているかのように千馗の手に飛び込んで来た。それぞれ表面に描かれている図柄、片方は梅の木に赤色の短冊が添えられた光景。そしてもう一つは——薄紫の花を守るように舞う鳳凰の姿。
「これで君は弾切れだね……今度は、僕の番だ。」
 不意打ちを受けて取り落とした望遠鏡を拾い上げ、再び地面に突き立てる千馗。
『だ、だが守レナイわケじャねぇ、こレは抜けナイだろウが!! ソノ望遠鏡でモこノ枝は折れネェぞ!!』
 恐らくは虚勢では無いのだろう。先程の鳥たちを薙ぎ払った際に、その威力の概算ぐらいは出来ているに違いない。汚い言葉使いからは想像しにくいが、この隠人は状況分析に関しては冷静だ。だからこそ、千馗が攻勢に移る前に全力で殺しにかかってきたのだ。

 しかしそれは、彼が正確に把握できている要素に限っての話である。

「ああ、わかっているよ。望遠鏡じゃ、その枝は抜けられない。」
 千馗は懐から一枚の花札を取り出す。その札に描かれているのは、ススキの覆い茂る丘。そして上空に描かれた満月。何の因果か、天体観測には持って来いの風景である。
『あァ……何を……
「いいことを教えてあげるよ。」
 望遠鏡の側面に、花札を貼り付けるように接触させる千馗。次の瞬間、札と望遠鏡が閃光を放ち始めた。
「君が人の身から隠人へと変じたのと同様に、道具もまた、札の力を受けてその存在を書き換えられることがある。」
 すぐに光は拡散し、後に現れたのは——
『なん…………ソレはァァァッ!?』

 それは望遠鏡と同じ筒型の物体。だがその質量は大幅に増し、細部は何もかもが変化していた。レンズが嵌め込まれていたはずの筒の内側は空洞と化しており、衝撃を緩衝するための細かい細工が随所に見られる。底面中央部には引き金のような仕掛けが施され、最後部には肩に乗せられるためであろう台座が備え付けられている。

 その武器の名は石火矢。
 かつて南蛮から渡来し、その圧倒的火力で数多の戦の絶望的局面を切り開いた火砲である。

「まぁ見た目ほど重くはないんだけどね、ほら……
 まるで傘でも取り上げるかのように、それを片手で軽々と持ち上げ、肩に乗せる千馗。引き金に指を沿え、その銃身——否、砲身を柳の枝に向ける。
『ま……マテ……
「見た目以外の情報は殆ど書き換えられてないんだよ……でも。」
 千馗は軽く引き金を引いただけ。それが「本来」持っていたであろう反動も発生しない。

 だが、外見以外に与えられた情報がもう一つ。
 「石火矢」というものが持つ破壊力である。

『グァゥアアアァァァァァァァッ!?』
 それが腕と感覚を共有でもしていたのか、枝の塊が熱と爆発によって引き裂かれた途端、隠人の本体からおぞましい悲鳴が発せられた。
「威力は折り紙付きなんだ。」
 続けて千馗は引き金を引く。本物の石火矢は発射に手間がかかるのかもしれないが、これはあくまで石火矢の外見と破壊力を与えられた仮初めの物体に過ぎない。何の作業も必要とせず、次の弾が発射できるのだ。
『ガギィヤァァァァァァァァァ!!』
 爆散するもう一つの塊。鉄壁のはずだった二重の枝垂れ柳の壁は、数秒と持たずに焼き尽くされ、久方ぶりに千馗は隠人の本体と対面することとなる。
「さて、これで終わりだね。」
 この石火矢は二発しか弾が込められないものだったのか、三発に一度、発射までに間を置かねばならない。もちろん相手に反撃の余地はないので、今の状況では大した問題でもないのだが。
…………ユルシテくれ……たノム……
 許しを乞う声に耳を貸すことも無く、千馗は充填が完了した石火矢を構える。照準は言うまでもなく、柳の隠人の本体であろう、人間の形をした部位。
「許されるかどうかは、神様に聞いてみると良いよ。」
 隠人が隠人のまま許されることは無い。人を喰らう存在である限り、人として許すことは出来ないのだ。
「どちらにしろ僕は、君を倒さないといけないんだ。」
『や……ヤメ……
 目を逸らすことなく、手元を一切狂わせることもなく、何の表情すら浮かべずに——
『ヤめろ……ヤメロオオオオオォォォォォォォォォッ!!!!』
——千馗はその指を軽く引いた。

 隠人の断末魔が爆風と爆音に飲み込まれ、大広間に根を張っていた巨大な柳は塵へと還っていく。この一帯を脅かしていた隠人たちの元凶が、滅ぼされた瞬間であった。

 隠人と化していたこの男も、結果的にはカミフダの犠牲者だったとも言える。もっともその言動の端々から見るに、元々何らかの問題を抱える人物だった可能性は高いが。
 巨体を失って人の身だけとなった本体から、白によって呪言花札の模造品が抜き出されはしたものの、命を繋ぐ保障は全くない。カミフダに乗っ取られた者の体は情報をかなり書き換えられているため、姿が元に戻ったところで、もはや手遅れなことも少なくないのだ。
 その命運はまさに千馗が口にした通り、神のみぞ知る、である。

 今回の伊佐地への連絡は任務達成の報告。白をよこしてくれたことの礼も添え、洞を後にした千馗は家路を急ぐ。白は洞を出てすぐに鴉羽神社へ飛び去って行ったが、彼女なりに気を利かせてくれたつもりなのだろうか。

 部屋のドアの前で一呼吸。もしも仕損じていたら、という不安はないでもない。余計な情けをかけたから、未だに結界が残ってしまっているのでは。そうしたらこの扉の向こうには、期待している光景など無いのでは。

 ぐるぐると思考が渦巻く中で、千馗は恐る恐るドアノブを回し、そろりそろりと引いていく。その向こう側の光景は——

「お帰んなさい、坊。」

 目よりも先に耳が捉えたその存在。毎日のように聞いていた優しい声。春を迎えてからまだ半年も経っていないというのに、ひどく懐かしかった。遅れて飛び込んで来たのは、奇妙な形の煙管を手にした、相も変わらず飄々とした立ち居振る舞い。

 急にこみ上げて来た感情に声が詰まりそうになったが、千馗は久しぶりに発する「その言葉」を何とか口にすることが出来た。

「ただいま……鍵さん!」