『半人前の「半分」』(東方Project SS)

2012年8月8日
拙作(東方Project)

 
8月8日が「白玉の日」らしいので、今年もそれに合わせて白玉楼のお話を。
ちなみに『桜の罪』とは話が繋がっています。
記念日物なのに既存作の続き物とか何考えてんだと自分でも思わないでもないですが(;´Д`)

かなり好き勝手書いてますが例によって殆ど妄想設定ですので、真に受けると酷い目に遭います。
ご注意ください。
※白玉の日は本当ですよ!!


東方Project SS
半人前の「半分」

 ある2つの種族の合いの子というのは、往々にして特異な性質を有している。人間と妖怪の合いの子であれば、人の姿を持ちながら妖怪に近い寿命を得ている。また、人間と神の性質を併せ持つ現人神は、信仰を得ずとも最低限の奇跡を起こすことは出来、その存在が完全に失われることは無い。
 そんな「合いの子」の中でも際立って特殊な存在であるのが、冥界のお屋敷に住まう庭師、魂魄妖夢だ。人間と幽霊のハーフである彼女の傍らには、巨大な人魂が常に浮遊している。これは従者や使い魔といった類のものではなく、彼女の「幽霊」の部分である。それは紛れもなく妖夢の「半身」であり、妖夢の存在の一部だとも言えよう。

 それを証明する妖夢最大の奥義の一つが、「幽明求聞持聡明の法」。

 ごく短時間ではあるが、妖夢はこの半身を自らの人間の部分と瓜二つの分身へと変化させることが出来る。師に比べればまだまだ半人前とは言え、その剣術の腕は並みの使い手を悠に上回る。分身した妖夢によって繰り出される怒涛の挟撃から逃れるのは容易ではない。ゆえに、この術は妖夢の奥の手の一つとなっていた。

 もっとも、日常生活でこのような奥義が役立つ状況など、そう多くは無いのだが——

「だいたい片付いたかな……ちょっと間を空けるとこれだものねぇ。」
 妖夢が剣を鞘に収めるのに少し遅れて、傍らに立つ妖夢そっくりの分身も同じ動きで剣を収める。庭の広さは二百由旬とも謳われる冥界の楼閣、白玉楼。庭師である妖夢の仕事は、言うまでもなく庭の手入れである。この広大すぎる庭を手入れするのは気が遠くなる作業のようにも思えるが、幸いにして妖夢の持つ剣は、二百由旬を一閃できる業物だ。彼女の剣術もあいまって、こまめに手入れをしている限りは、作業が一瞬で片付くことも珍しくない。
 それでも雑事に追われて手入れが滞ってしまうと、一筋縄では片付かなくなってしまう。そこで妖夢が対策として取り入れたのが、本来は実戦で使うはずの分身の術だった。頭数が倍になれば作業効率は単純計算で二倍。所要時間もぴったり半分とはいかないが、かなり短縮されるのは確かだった。これが良い練習になっているのか、分身を作り出していられる時間も徐々に長くなってきている。
……だいぶ疲れるけど、ね。」
 変化の法は「その存在があるべき姿」を歪めるため、多大な精神力を要求される。その状態で広大な庭全てを補うほどの大技を繰り出しているのだ、疲労が溜まるのは自明の理である。
「さっさと戻しちゃおう。」
 妖夢が集中を解くと、それまで人型をとっていた片方の妖夢の姿が掻き消えていき、入れ替わるように巨大な人魂が同じ場所に現れる。

 これがいつも通りの妖夢の姿。まだあどけなさの残る白髪おかっぱの少女と、周囲に浮かぶ人魂。

 しかし彼女に近しい者がこの場に立ち会っていたならば、二者の様子が奇妙であることにすぐ気付いたであろう。

 通常ならば地にしっかりと足をついている人間の方の妖夢は、意識があるのか無いのかはっきりしないような無表情で浮遊状態を保っている。人魂の方は人魂の方で、普段からは考えられないほど活発に人間体の周囲を飛び回っていた。

 程なくして人魂の方が先にその場から移動を始め、後に続くように人間側がふよふよと追随していく。向かう先はもちろん、白玉楼のお屋敷。仕事が終わったことを主に報告せねばならぬのは当然だが、それ以上に——

 この「異常事態」を独力で解決できる知恵など、妖夢は有していなかったのだ。
 
 

-・-

 
 冥界にとどまる死者たちを管理する、冥界の主とも呼べる存在が、白玉楼に住まう亡霊嬢、西行寺幽々子である。飄々とした人柄で、その掴み所のない言動には知人、友人、果ては従者までもが始終困惑させられている。しかしその道化ぶりの裏には膨大な知識と鋭い洞察力を秘めており、大きな異変の真相をいち早く察していることも少なくない。もっとも、本人がそれをひけらかすことは皆無なので、誰も気付きはしないのだが。
 そんな曲者とも呼べる気質の白玉楼の主は、屋敷の縁側で優雅に茶を啜っていた。かつて客人へ振る舞って見事に遠慮された毒草のお茶なのだが、亡霊である彼女が飲む分には、独特の風味を持つただの珍味である。
 その傍らには、幽々子の従者である妖夢と、その半霊。普段とは控える位置の前後が逆で、半霊がかしづくように床へ密着しており、平時は従者らしく正座で控えている人間体は半霊の背後にふよふよと浮遊している。その様を横目に見る幽々子の表情は苦笑混じり。
「ふふっ……妖夢ったら、何でそんなに面白いことが出来るの……?」
 幽々子は愉快さを堪えきれないといった様子で、茶を盆の上に置いて口元を袂で覆う。
『お恥ずかしい限りです……私にも何が何だかさっぱりでして……。』
 妖夢の声はすれど、人間体の方の口は一切動いていない。その声を発しているのは、そう——
「冥界広しと言えど、これは妖夢にしか出来ない失敗よねぇ……『逆さまに戻っちゃう』なんて。」
——人魂の方だったのだ。正確には声ではなく意思を直接発している。こんなことが出来るなどとは妖夢自身も知らなかったのだが、無理もない、正常な状態ならば妖夢の「総意」は人間体の口から声として発すれば良いことなのだから。

 先ほどの「幽明求聞持聡明の法」を解除した直後、妖夢は自らの存在の構造が「逆さま」になっていることに気付いた。正確には「同調がちぐはぐになってしまった」とでも言うべきか。
 見た目としては人間と幽霊にそれぞれ分かれている妖夢だが、本人としては両方合わせて魂魄妖夢という個体なのである。しかし現在、人魂の方に妖夢の主観が投影されてしまい、人間体の方は空っぽに等しい状態になっている。更に厄介なことに、再び同じ術を行使することも出来なくなってしまっていた。まるで人間の部分と幽霊の部分が分かたれてしまったかのようだった。

「で、それなんだけど。」
 幽々子は妖夢の両方の体を交互に指差して首をかしげてみせる。
「元に戻るの?」
『え!?』
 妖夢にとってみれば、もっともその質問を口にして欲しくない相手だった。幽々子なら答えとは言わないまでも、何かしらの重大な解決への糸口を提示してくれるだろうと考えていたからだ。
「あなたと違って全部死人なのよ私。わかるわけないじゃないの。」
 そんな妖夢の甘い見立てを一刀両断。言葉の刃の切れ味だったら楼観剣にも負けない勢いである。
『うぅ……
 しかしそれは完全なる正論、妖夢からの反論の言葉は何一つ発せられなかった。
「でもあまり気にすることもないんじゃない? お茶だって入れられるんだし。」
 この霊体はある程度まで変形出来るので、確かに雑事は出来ないことも無かった。
『いや、ずっとこのままというわけにはいきませんよ……
 だが、さすがに剣は振るえないので、肝心の庭師や剣術指南役としての仕事がまっとうできないのだ。
「まぁそうよねぇ。これじゃ顕界にお遣い行ってもらえないものねぇ。」
『いや、それだけじゃなくて……
「それだけじゃないの?」
 いつも通りのやりとりを繰り広げていると、幽々子の言う通り問題ないのではと思い込まされそうになる妖夢だったが、惑わされてはいけないと強く首を振る。傍目からは人魂が大きく震えたようにしか見えなかったが。
『誰か相談できる人はいないでしょうか……
「あらイヤね妖夢、もうボケちゃったの?」
『へ?』
「うってつけの奴がいるじゃない。境目が有るだの無いだのおかしいだのって話……ねぇ、紫?」
 庭先の誰もいない空間に、自らの親友の名を呼びかける幽々子。直後、虚空をこじあけるように闇が広がり、出来上がった「穴」から長身の女性が姿を現す。
「盗み聞きしてるのバレてた?」
 出歯亀を悪びれもせずに涼しい顔で現れた相手に、やはり幽々子は涼しい顔で答える。
「ううん、いたらラッキーと思って呼んだだけ。」
「そんなとこだろうと思ったわ。」

 ありとあらゆる「境界」を操る能力を持つ大妖怪、八雲紫。離れた空間同士を繋げて瞬間移動をしたり、本来は存在しない空間と現実の空間を繋げて隠れ蓑としたりと、その能力の自在性は枚挙に暇が無い。また、夢と現の境界や光と闇の境界、果てはストレートとカーブの境界など、本来なら概念上の境目でしかない境界すらも意のままに操るため、神に近い能力を持つとすら言われている。
 本来なら妖夢に存在しないはずの「人間と幽霊の境目」も、彼女であれば取り払うことが出来ると、幽々子は推察しているのだろう。ゆえに、紫を呼び寄せたわけである。

「まぁ不思議な話じゃないわ。昔の生物でも変な境目が出来上がって、ありえない進化をしちゃった突然変異って珍しくないし。」
「あら、妖夢も変な進化をするの? ちょっと見てみたいわね。」
『ちょっ、幽々子さまっ!?』
 冗談とも本気とも取れない口調で——十中八九、本気だろうが——幽々子は恐ろしいことを口にする。人魂のままでいるだけでも不都合だらけだというのに、これ以上の変貌など堪ったものではない。
「心配しなくても、気が遠くなるほど世代を経ない限りは変異もしないわよ。そこまで待つっていうなら待ってもいいけど。」
 紫も紫で、助け舟を出すのかと思えば余計なことを付け加える始末。
『いや待たないで下さい。何とかして下さい。』
 難しいことを考える人ほど、ストレートにお願いしないと通用しない。この数年の度重なる異変の中で、妖夢が学習したことの一つである。
「はいはい、じゃあこっちの妖夢を借りていくわね。」
 物も言わず表情も変えず、ただ人魂妖夢の背後に控えているだけだった人型の妖夢が、紫の手招きに応じてその傍らへ移動する。相も変わらず、浮遊したままの状態で。
「そっちでいいの?」
「ええ、用事があるのはこっちだから。」
「なるほどね。」
 含みを持たせたやりとりに疑問を覚えた妖夢だったが、紫が人間体を連れてさっさとスキマの中へ消えていってしまったため、真意を問うことは出来なかった。
『幽々子さま、それってどういう……
「んー……妖夢が半人前だってこと?」
『うぇっ!?』
 回答こそ辛辣ではあったが、幽々子の表情は柔らかい。
「いいのよ、半人前じゃない妖夢なんて何か可愛くないもの。妖夢は半人前だから可愛いのよ。」
 さらに酷いことを言われているが、屈託の無い笑顔で「可愛い」と言われてしまうと、何も言い返せない妖夢である。幽々子に頭を撫でるかの如く手を添えられたせいか、その白玉団子のような純白の霊体に、少しばかりの朱が差していた。
 
 

-・-

 
 紫が妖夢を連れてきたのは、冥界にそびえる巨大桜「西行妖」の根元だった。話題を考えれば、もっとも適した場所であるのは間違いない。
「さぁ、ここには私とあなたの二人だけ……口を開いても大丈夫だと思うけど?」
 それまで無言を貫いてきた人間体の妖夢に対し、当たり前のように言葉を発することを求める紫。
……でしたら、遠慮なく。」
 定まらなかった視線も紫をまっすぐと見据え、その瞳には光が戻っている。その佇まいは紛れもなく妖夢そのものだった。違いがあるとすれば、相変わらず宙に浮いていることぐらいだ。
「律儀なことね。人の体を得てもなお霊体の役割を演じようとするなんて……同じ妖夢でこうも違うものかしら。」
「演じているという感覚はありません。私は普段通りにしていただけです。」
 発せられる声も妖夢そのもの。こちらの妖夢も妖夢なのだから当たり前の話ではあるが。
「なるほどね、口を聞けと言われたから従ったまでと。」
「はい。あなたの指示に逆らう理由はありませんし。」
「それに、聞きたいこともあったから?」
 紫が愉快そうに口元を歪めながら発した問いには、妖夢は目を閉じただけで何も答えなかった。それを肯定と受け取った紫は、さらに言葉を繋げる。
「先に質問していいわよ。」
「そうですか、では教えてください……
 真っ先に浮かんだのは率直な疑問。それはきっと、ここにいないもう一人の妖夢も抱いている。しかし、あちらの自分はきっと、疑問をぶつけるべき相手が誰なのかまでは思い至らないはずだ。
……私に、何をしたんですか?」
 それは、この現状を生み出したのが紫であると、初めから結論付けているかの如き問いだった。
「ああ、簡単な話。妖夢に人間と幽霊の境界を引いただけよ。あの変化術が解ける瞬間にね。」
 それに対して一切の言い逃れをすることもなく、紫は自らの所業を語り始める。
「どうなるかの確信はなかったけど、大方予想通りだったわね。妖夢は『人間の妖夢』と『幽霊の妖夢』に分かたれ、本来は共有されている自我が分裂されるに至った。神性を得た妖怪とか式神を下ろした獣と逆の現象ね。」
 それは妖夢にとってもほぼ予測に等しい回答だった。魂魄妖夢という存在の中では主従の「従」にあたる自分、つまり「幽霊側の妖夢」がこれだけはっきりと表出し、「主」にあたる「人間側の妖夢」を客観的に観察している——そんなことは平常ではありえない。それこそ、二者が分かたれでもしない限りは。そのような離れ業が出来る存在など、この幻想郷では限られていた。
 元から「主」であるあちらの妖夢にしてみれば、主観の位置取りが変わった程度の認識しか無いのだろう。まさかこれほど大きな変化が自らの存在に起きているなどとは気付いていないはずだ。
「あ、誤解しないでほしいんだけど、あなたとあっちの妖夢の器がひっくり返っちゃったのは、私が悪いんじゃないからね。あっちの妖夢の術が未熟だったせいで、本来戻るべき器の割り振りがあやふやになっただけよ。」
「無意識に分別しているものを急に意識的に選択しろと言われても、そう簡単に出来るものではありませんよ……あまり責めないであげてください。」
 自分の擁護をするというのも変な話だが、自己弁護とも少し違うような不思議な感覚だった。
「まぁ不意打ち的にやっちゃったのは謝るわ。」
 弁の立つ紫がおとなしく非を認めたところを見ると、よほどの事情があったと推測された。それは当たらずとも遠からずで——
「どうしても聞きたいことがあったのよ……あなたに、ね。」
 対象はこちら側の妖夢、つまり「魂魄妖夢の幽霊部分を抽出した存在」だということか。
「私に答えられることでしたら……
「あなたじゃなきゃ答えられないわ。」
 紫の声色が変わっていた。それまでの真面目さの欠片も感じられないような気楽な口調ではない。殺気に近い気迫すら感じられるのは、妖夢の気のせいばかりとも言えない雰囲気だった。

「妖夢、あなた……ここで『彼女』と話したわね?」

 その問いは、それだけで全ての疑問が解消されるものだった。なぜ紫がこのような悪戯をしたのか、なぜ連れて来られた場所がここだったのか、そして——なぜ選ばれたのがあちらの自分ではなかったのか。
……あの方は、幽々子さまなのですか?」
 質問に質問で返すのは失礼に当たるかとも思った妖夢だったが、それが回答を含有するだろうとも思ったので、あえて心に浮かんだ疑問を口にした。

 かつて、妖夢はここで一人の女性に出会った。
 正確には、夢に現れた。

 それは幽々子と全く同じ姿をした、しかしその振る舞いや雰囲気は全く異なる、幽々子であって幽々子ではないような——そんな印象を受ける人物だった。ちょうど、今の自分が妖夢であって平時の妖夢とは違う存在であるように。

 本来の妖夢は、そのことを忘れかけていた。半分とは言え人間である以上、夢に見た内容を忘れてしまうのは自然なことである。
 しかし今ここにいる妖夢は、幽霊の側面が抽出された存在——夢の中という実体の無い世界では、こちらの方が強く表出されていたのだ。ゆえにあの時のやり取りを克明に思い出せるし、あの幽々子にそっくりな女性の姿も鮮明に思い描くことが出来た。

 妖夢の発した質問に対して、紫は少しの間を置いてから口を開く。答え方を間違えたくない、そんな思いが篭っているかのようだった。
「冥界の管理者である西行寺幽々子なのかと問われれば……答えは『否』ね。」
 あまりにも含みのある回答。それで納得できるのならば、初めからこのようなストレートな質問はしない。それが紫にもわかっていたのか、今度は間をおかずして付け加える。
「でも、あれが幽々子と同一の存在なのかと問われたなら……条件付きで『是』とも言えるわ。」
 同じく曖昧な回答。しかし今度は妖夢にとって不満な内容では無かった。幽々子であって幽々子でない存在——それは妖夢にとって、最も都合の良い答えだったのだ。あの女性はどう見ても幽々子であるはずなのに、それを認めるのが恐ろしくなるほどに、絶望的な虚無感のようなものを感じていたからだ。
「わかりました、それで十分です。」
「あら、物分かりが良いわね。」
「では、これ以上踏み込んで尋ねたら、どうなさるおつもりですか?」
 紫は少しも表情を崩すことも無く、事も無げに答える。
「あなたの存在ごと、『彼女』に出会った記憶を消すだけよ。」
 何とも物騒な物言いだったが、対する妖夢も狼狽や驚愕は一切見せない。
「そうでしょうね。今の紫様からは殺気しか感じませんから。」
 しばし訪れた沈黙、それは腹の中を探る睨み合いでもあった。お互いに表情は穏やかだが、一触即発で刃を交えかねない緊張感。もちろんそんな事態になれば、神に等しい力を持つ紫に妖夢の半身が敵うはずもない。きっと難無く存在を消されてしまうだろう。
……らしくないわね、我ながら。」
 無表情から一転して、紫の顔に普段どおりの薄ら笑いが戻る。と同時に、二者の間で張り詰めた空気が消え失せた。妖夢もまた、無意識に刀の柄に添えていた手を引き下げたからだ。
「私はね……
 紫の微笑に、嘲りの色が混ざっていく。視線は逸らされ、妖夢の方を向いていない。自嘲なのだろう。
……もう二度と、あの子を失いたくないのよ……。」
 その「二度と」という言葉を、妖夢は聞き逃さなかった。それはつまり「一度目があった」ということを意味する。亡霊である現在の幽々子が死ぬことはありえない。つまり紫は、生前の幽々子を知っている。

 しかしそこまでだ。紫の言葉を信じるなら、そこから先を妖夢が知ることは許されない。
 そして、妖夢自身もそんな秘密は知りたいとは思わなかった。

 理由は言うまでもなく——

「紫様。」
「なぁに?」
「この先、もしも私があの人の正体を知ってしまったら……
 意を決するという風でも、思い詰めたという風でもなく、ごく当たり前のように妖夢はその言葉を繋いだ。
……『私』を消してくださるんですよね?」
「ええ。」
 このことに関しては、紫に容赦の慈悲も一切存在しないのだろう。だからこそ頼もしい。
「それを聞いて安心できました。」
「ずいぶんと潔いじゃない。人間の寿命なんて雀の涙ぐらいしか無いわよ?」
 その認識は、あまりにも妖夢を見くびっているのではないか。

「確かに『私』を失えば、魂魄妖夢は只の人の身と化し、その生涯を瞬く間に終えるでしょう。しかしそれでも構わないのです。最期まで幽々子さまのお側にお仕えすること……それが、魂魄妖夢の望みなのですから。」

 あちらの自分を差し置いてこのようなことを断言して良いかは悩みどころだったが、こちらの自分の方が無意識に近いのだ、きっと間違ったことは言っていない。どちらにしろ半分人間である以上、妖夢の方が幽々子よりも先に滅びるのは自明の理。それが多少早まるだけのこと。何より、幽々子が自分を残して消滅するなど、耐えられるはずもないのだから。

 妖夢の独白を黙して聞いていた紫は、しばしの間を置いて再び微笑を浮かべる。それは冷たい嘲笑などではなく、彼女らしくもない、人間らしい温かみのある笑顔だった。
「ふふ……あなたみたいなしっかりした子が、あの妖夢の一部だなんてね。」
 感想としては的を射ていた。魂魄妖夢といえば「半人半霊の半人前」なのだから。
……まぁ、普段は甘ったれてるとでも言いますか……。」
 自分でもはっきりとはわからないが、きっと普段は抑圧されてるのだろう。もちろん、決して「演じている」のでは無く、「無意識にそうあろうとしている」だけのこと。剣術や戦闘では揺るぎない実力を持っていようとも、幽々子の関わる場面では必ず何かが抜け落ちるのだ。

 つまり——

「幽々子さまが……可愛いと言ってくださるので、つい。」
 
 

-・-

 
 あまり長時間にわたって切り離していては悪影響が残るかもしれないので、紫はさほど時間を置かずに妖夢を元に戻した。紫によって分かたれた「人間の妖夢」と「幽霊の妖夢」、二者がそれぞれ出会った出来事の記憶は表層と深層に割り振られ、結果的には「人間」の方の記憶が表層に多く残っていた。つまり現在の元に戻った妖夢にしてみれば、体の形が人魂に変わっただけの、いつも通りの日常を送ったに過ぎなかったわけだ。

 本当の目的は伏せたまま、自らの悪戯であったことだけは幽々子と妖夢に白状した。もっとも、幽々子は初めからわかっていたようだが。結果的には元に戻った妖夢だけが、煙に巻かれたようなすっきりしない状態になってしまった。

 紫はそこへ更に混乱を招くような一言を与える。
 それはしっかり者の「幽霊の妖夢」が、元に戻る直前に残した言葉——

「そのままのあなたで、大丈夫ですよ。」

——本来の自分へ向けたメッセージであった。

 妖夢は首を捻るばかりだったが、その様子にむしろ紫は安心させられた。
 妖夢はきちんと「半人前」に戻れたのだ、と。
 
 
 それが自らの無意識下の望みなのだとは、今の状態の妖夢自身には知りようもなかったが。