まだまだ感想は残っている

2013年6月12日
レポート

 すべて見終わってだいぶ経つのですが、シュタゲアニメ版の感想雑記と参りたいと思います。
 基本的には原作に忠実に作られていたので、主に原作との差異への雑感がほとんどです。

 以下、ネタバレがかなり強烈なので格納します。


<ここからしばらくネタバレ防止用空白>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 区切り無しに書くと雑多になりすぎそうなので、箇条書きにします。対比のために原作の章立てに合わせて区切ります。

【プロローグ~CHAPTER2)】
 見てる最中は「飛ばしすぎじゃね!?」と思ってたのですが、終盤を丁寧に拾っていってたことを考えると、今となっては「良い意味で大胆にオミットしてたのかなーと」いう認識になっています。

 ただ、CHAPTER1の助手の講義のシーンを大幅カットしてしまったせいで、原作未プレーの人にはオカリンと助手のライバル関係が唐突に見えてしまった恐れもありそう。あそこで徹底的にやり込められたから、それ以降オカリンは助手を何かにつけて目の敵にするわけだし、論破された言葉だけを抜き出すと助手がただの嫌な奴に見えてしまう……それがいきなり再登場してメインヒロイン街道に進んでいくのでは、こいつ何なの?って思われても仕方ない気はします。

 まぁ原作を先にプレーしてる身である以上は、どうしても「アニメから入った人の認識」については仮説の範囲を超えられないので、結局は何を言っても邪推に過ぎないのですが……w
 

【CHAPTER3~5】
 それなりに原作からの割愛はあるものの、タイムリープマシンが登場するあたりまでは必要なところはだいたい押さえてたかなとは思います。ジョン・タイターとのやり取りをだいぶ駆け足でやってたのは残念ですが、アニメ向きでない部分はあったので仕方ないのかな……後で鈴羽が正体を明かした時のインパクトが少し弱くなってしまった感はあります。

 CHAPTER5の最後、まゆりが初めて射殺されるシーンは少し違和感があった部分も。原作では萌郁がかなり躊躇して正気を失いかけた状態になってから撃っているわけですが、アニメでは(少し逡巡してるとは言え)わりとあっさりとまゆりを撃っているので、萌郁が「追い詰められている」感じがあまり出ていないんですよね……こうなると後に終盤でのオカリンの葛藤も説得力が薄くなってしまいます。

 そういえば新御茶ノ水駅での事故に至る描写が微妙に書き換えられたのは、テレビアニメであるゆえに自主規制事項が増えたんですかね?
 原作では綯が明確にまゆりを押していた気がするんですが。「子供がホームで線路に向かって人間を突き飛ばす」という描写がアウトだったんだろうか……
 あれだと因果の収束になってるのか怪しい気もするんですよね。たぶんあの世界線での収束は「まゆりが『殺される』」だと思うので、新御茶ノ水駅でも(故意ではなかったとは言え)「綯に殺される」という結果がもたらされたと思うのです。(結果が「殺される」から「(自然死も含めて)死ぬ」に変わるのはDメールを打ち消して別の世界線になった後ですし。)
 なので、「転んだ綯がぶつかった勢いでホームから転落する」という「不幸な事故が重なった死」を「同一の結果」とみなして良いのか……もっともそういう風に作られてたということは、解釈上問題なかったということなのでしょうが、ちょっとしっくり来ない気はしました。
 
 あと、やっつけでゲルまゆを見せるなら敢えて出す必要も無かったような……あれはそこに至るまでの不安を煽る流れやオカリンの悲痛な悲鳴など、他の演出とセットで強烈なインパクトを持っていた気がしますし。(あと「まゆりがいつの間にかどこかへ消えている」の後に本当に消えてしまう唯一の例という要素でもありますので)
 

【CHAPTER6~8】
 それぞれのヒロインにスポットを当てたあたりは、それぞれ印象はバラバラ。

 CHAPTER6は良い感じにまとまっていたと思います。そんなに派手に削られた部分もありませんでしたし。ただ、タイムマシンの型番「FG」に関することなどいくつかの考察をまゆりの功績から外したことは許せん……あんなホワホワだけど実は頭は悪くないんだよーってアピールしている数少ないチャンスなのに(´д`)
 あと、もう1~2秒で良いから、打ち消しのDメール送信を躊躇って欲しかったかなぁと。わりと悩まずに送っちゃった感じでしたよねアニメ版。2周目以降のノリだと思うんだあの速度はw

 CHAPTER7はちょっと削りすぎたかなーと。まぁ1話で収めるには雷ネットAB大会の一連の流れはカットせざるを得なかったのでしょうけど、フェイリスの一番の見せ場がカットされてしまったわけで。また、フェイリスとして振る舞うシーンが大幅にカットされてる影響で、その後の留未穂として振る舞うシーンの印象も薄くなってしまったような……あの世界線で思う存分暴れる「フェイリス・ニャンニャン」を見ているから、最後の秋葉留未穂に戻ったフェイリスのギャップが強烈に効くんですよね。あれだけあっさりラストへ至ってしまうと、「もうフェイリスを選べばいいんじゃないか?」とはならないし、Dメールの打ち消しに逡巡することに説得力が生まれない。もっとも、なっては困るから敢えて大幅カットしたのだろうか……w

 逆にCHAPTER8は改変が効を奏したように感じました。特にルカ子との特訓を「タイムリープしてから」では無く「その日のうちに駆け付けて」実行したアニメ版オカリンまじかっこいい。だからこそ別れる直前のルカ子の悲壮感が増すというのは皮肉な話ですが、でもまぁそういうエピソードだから仕方ない……w
 

【CHAPTER9】
 ここは不満が多すぎるので独立項目化。原作では最も衝撃を受けた章だったってのもあって、改変を許容しづらい。

 とりあえず悪いこと言う前に良かった点。萌郁をぶん殴るシーンはスカっとしたw
 原作だと特に一枚絵は無かったので、どのぐらい盛大に叩いたのかわからなかったわけですが、あれだけ盛大に殴りつけたのならα世界線のまゆりも少しは浮かばれるだろう……

 でもそれ以降はいただけなかった。特に2話目。

 まずミスターブラウンの自らの過去についての独白。あれ必要だったのか?
 原作ではブラウン氏は特に言い訳することも無く、汚れ仕事をしていることを淡々と認めていたはず。渋いアウトローのおっさんっぷりが好きだったのに、アニメ版のあれは何か言い訳がましく聞こえて好きじゃなかった。あと、原作では口にしていた橋田鈴に対する「申し訳ない」って言葉も特に発せられなかったですよね確か。これもなぁ。何かブラウン氏が原作よりも嫌な奴に描かれすぎてる気がする。
 そしてブラウン氏が普通に萌郁を射殺する流れになったのが何よりいただけない。というか、あそこで撃ってしまったら原作でのブラウン氏の心情に対する推察が全部なかったことになってしまう。あの「M4を心のどこかで気遣っていたのではないのか」というオカリンの推察が物悲しさを増させるし、それによって「SERNの支配」がどれだけ悲惨な事態を招くのかを表す例にもなり、ひいてはα世界線を逃れた後に知らされる真実のインパクトにつながるわけで。

 で、(原作の感想であんなこと書いたから不満に思ってるのは既におわかりいただけてるでしょうが)何で綯が一切絡んでこないのか、と。
 これは個人的な好みの範囲に留まらない話で、あれだと萌郁の最期が綺麗すぎると思うんですよ。原作における「萌郁はFBに殺されなかったが、結局は綯に殺された」という結末には、「別の世界線で何度もまゆりを殺してきた萌郁が、まゆりと全く同じ『世界線の収束に殺される』という最期を迎える」という皮肉が効いているわけで、最後の最後に「世界線の収束からは逃れられない」という事項に関してダメ押しをしてるんですよね。なので、無難にFBに殺されて終わりじゃダメだと思ったんですが。
 あと、「綯もまたα世界線でのSERNの被害者である」って要素がまるまる消えちゃうんですよね、これだと。話がややこしくなるから言及を避けたのかもしれませんが、やはりCHAPTER10に向けて「SERNの支配する未来は打ち消されなければならない」という認識を強める要素は重ねるにこしたことは無かったと思うのです。だからこそ、「β世界線に至ると紅莉栖を失う」ということとの葛藤に説得力が生まれるわけで、単なる「まゆり or 紅莉栖」というだけの二択に近づいてしまっている感があって、それだと話が軽すぎはしないかと思ってしまいました。

 もっとも、綯に関しては(前述のCHAPTER6の話でも触れましたが)テレビアニメゆえに何か自主規制項目に触れただけなのかもしれません……ゲームのアニメ化はこういうのがあるからなかなか難しい。そう考えると、出来得る限りのシナリオ構成はしたのかもしれません……不満があるのは正直なところではありますが、脚本スタッフさんへの悪口というわけではありませんので悪しからず。
 

【CHAPTER10~エピローグ】
 CHAPTER10から先は問題なく構成されていたかなーと思います。トゥルーEDに向かうゆえに必然的にメルト側になるわけですが、スターダスト側でのまゆりに関するエピソードもきちんと補完されていて、大事なところはきちんと押さえていたと思います。オカリンがタイムリープを繰り返すくだりはカットされてましたが、それは逆にCHAPTER6の方にアニメ版の改変で盛り込まれていたので、きちんと辻褄が合った形でしたね。

 CHAPTER11に入る演出もバッチリ原作を再現していて、違和感なく見ることが出来ました。紅莉栖が中鉢をかばうシーンは細かい流れが変わっていたけど、誤差の範疇でしょうかね。

 ただね、ここでどうしても一つだけ言いたいんです。

 最初のタイムスリップから帰ってきたオカリンが絶望してダメになってるところ。
 あそこで原作だとまゆりがオカリンを気遣っているうちに、それまで一度として上げたことないような強い語気で叱咤の叫び声を上げるじゃないですか。

 「オカリン!」って。

 何故あれを無言に変えた!?

 大事なのは引っぱたいたってところじゃないだろ!?
 あのふんわり優しいまゆりが激高したってところだろ!!

 別の世界線でルカ子に(不可抗力とは言え)超絶的な無礼を働いたオカリンに対してすらも、怒ってるようにはとても見えない物腰でお説教しただけだったまゆりが、激しい感情を露わにして叱咤するわけじゃないですか。で、それって絶望の底にハマりこんだオカリンの目を覚まさせるためのショック療法であって、言ってしまえば「温厚で優しいお姉ちゃんorお母さんが心を鬼にして叱咤した」的なエピソードであり、ある意味で終盤におけるまゆりの最大の見せ場でもあったわけですよ。
 それを些細とは言え改変してしまったのだけはどうしてもいただけなかった……花澤さんの名演も当然未収録なわけで。あの「オカリン!」はすごかったと思うんですよ。簡単にやってるように聴こえるけど、「まゆりの叱咤の叫び」ってそれなりの技量があるから表現出来るものなんじゃないでしょうか。

 自分が花澤さんを強く認識するようになった要因が、この手の「そのキャラ本来の性質を逸脱した感情の吐露」の演技に感銘を受けたことにあるので、それをカットされちゃったのは寂しかったですねぇ……

 とは言え、そこからの流れはよく再現されてたと思います。最後にオカリンが過去の自分を見届けるところは良い改変だった……というのが個人的な見解。タイムトラベル物のクライマックスでのお約束ですしねw

 エピローグの前半がまゆり視点になっているのは、原作プレー者には面白い改変だったのではないでしょうか。まゆりとオカリンの絡みが1つ減っちゃうのは残念だったけど、それぞれのラボメンとオカリンとの会話をオミットするのに上手いやり方を使ったなぁと。

 最後はきちんと完全再現でしたし、終わってみれば非常によくまとめられていたように思えました。ゲームの人気だけでは映画まではいけなかったでしょうし、アニメ版も好評を博していたであろうことは想像に難くありません。もちろん原作をプレーした上で見るにこしたことは無いのでしょうが、単体での鑑賞に堪えられないものでは決して無いと思います。

 
 元を辿ると、劇場版を見る前に「ゲーム原作とアニメ版の差を念のため確認しようかなー」程度の意識だったのですが、結果としてはこの順序を選択したのは大正解でした。細かいエピソードが変わっていますし、原作からカットされた要素も結構ありましたし。

 でも何よりアニメ版を見て良かったのは、

 「ラボの屋上」の存在を知ることが出来たこと

 古くからのファンの方々はとっくに周知の事実なんでしょうが、原作には出てこないんですよね(;´д`)
 なので、原作プレー後即座に劇場版を見に行ってたら、「あれ、ここどこよ?」って事態になっていたのは間違いない……今回ばかりは無駄な警戒心が効を奏したようですw

 そんなわけで残るは劇場版の感想のみ。
 だいぶ長くなったので、そちらはまた後日投下しようと思います。