『庭師の望み』(東方Project SS)

2013年8月8日
拙作(東方Project)

 
 毎年恒例、「白玉の日」である8月8日に合わせての白玉楼組こと幽々子と妖夢のSS投下です。3年目ともなると一人祭りでも寂しくありません。(震え声)
 今年中に7作は書くぞと年始に意気込んでた気がしますが、まだ3作目ですね。まぁ頑張れば何とかなるでしょう……ならないかもしれないけど orz

 ちなみに今回のゆゆみょんは急展開風味です。本当に急展開なのかどうかは微妙なところなので「風味」。

 例によって勝手な解釈による妄想設定満載です。真に受けると恥ずかしい目に遭うので気を付けましょう。
 ※昨年も同じことを書きましたが、「白玉の日」は本当ですよ。


東方Project SS
庭師の望み

-1-

 庭師の仕事は、庭の手入れをすること。もちろんそればかりでも無いが、重要な仕事の一つであるのは言うまでもない。ただ、その「庭」があまりに広大である場合、独力で全ての仕事をこなすのはなかなか難しい。最も単純な対策は、人手を増やすこと。ある程度、信頼のおける仲間や部下が必要となるが、分担すれば一人あたりの作業負荷は減る。だが、この「庭」の場合はその対策を用いることが出来ない。何故なら、ここで仕事が出来る庭師が他にいないからだ。

 死者が滞まる地、冥界。
 その一角に建てられたお屋敷、白玉楼。

 半人半霊の庭師、魂魄妖夢の仕事場は、二百由旬の広さを持つとも謳われるこの白玉楼の庭である。

 特殊な環境で仕事をする者は、大抵の場合、それに応じた特殊な仕事道具や技術を有している。妖夢もまた例外では無く、彼女のもう一つの顔である、剣客としての技が大いに生かされていた。

 広大な庭に幾度となく走る疾風、それは全て妖夢によって繰り出される剣閃である。彼女の持つ楼観剣は、持ち主の身の丈を優に上回る長大な刃を持ち、その一閃は周囲の空間をまとめて切り裂く切れ味を誇る。そこに魂魄の家に伝わる奥義が上乗せされることで、広大な庭を一振りで薙ぎ払うことも可能なのだ。
 そんな切れ味では樹木そのものを切り倒してしまいそうなものだが、幸いなことにここは冥界、植物もまた実体を有さぬ幽霊ばかりである。霊的な力で干渉して「剪定された」という意味を与えられるに過ぎず、剣撃によって幹が傷つくことも無いが、逆に普通の刃物では枝を切ることすらままならない。

 つまり、妖夢以外のいかなる庭師にも、白玉楼の庭を手入れすることは出来ないのである。

……うーん、何か変だなぁ。」
 作業を終えて得物を鞘に納めた妖夢は、怪訝そうな表情で首を捻った。それは、日々の仕事として庭の手入れを行っている彼女だからこそ、気付くことが出来た違和感。
「手応えがおかしかった気がする……何に引っ掛かったのかな?」
 独り言が止まらなくなる程度には、奇妙な感覚だったのだ。草木であっても成仏したり転生したりはするし、逆に生者の世界——顕界でその生を終えるものも当然存在する。ゆえに、庭全体における植物の数は日々変化しており、手応えが微妙に変わるのは珍しいことでも無い。しかしそれを念頭に置くことで、余計に現在の違和感が大きくなる。

 手応えの変化が大きすぎたのだ。
 通常ではありえないほどに、「何か」が増えているとしか考えられないのである。

「見に行ってみるか……。」
 白玉楼の庭に何らかの異変があれば、解決を試み、主に報告するのが妖夢の役目だ。剪定を行っていた時に、大方の方向と距離は推測できていた。その身を宙に翻らせ、妖夢は庭の上空を急ぎ進む。

 その光景は、程なくして妖夢の視界に飛び込んできた。

 冥界に来て間もない者や、本来冥界に住まぬ者にとっては、全く不自然ではない光景だろう。
 幻の植物が生えているわけでもなく、異形と化した存在が出現しているわけでも無い。

「さ、桜……!?」

 庭の一角を占拠するように、無数の桜が咲き誇っていた。見た目にはただそれだけ。

 白玉楼の庭にも桜——正確には死んだ桜の魂だが——は多く存在している。それらは開花の季節が訪れれば花を咲かせ、見る者の目を楽しませる。

 しかし冥界で暮らす妖夢にとっては、眼前の光景はあまりにも不可解だった。「咲き誇る桜」が存在していること自体が、あり得ない現象なのだ。
 

 何故ならば、今年の桜はとっくに見頃を過ぎて、花など完全に散ってしまっていたのだから。
 

-2-

 妖夢が仕える亡霊の令嬢、西行寺幽々子は、白玉楼の主であるだけでなく、冥界全体の管理者でもある。住民である幽霊たちの出入りを把握する力は有しているはずで、まして大量の桜の霊ともなれば知らぬはずもない。
「桜……ですって?」
 だが、妖夢からの報告を受けた幽々子は、大袈裟な反応こそ見せなかったものの、言葉にはある程度の驚愕の念が込められているようだった。少なくとも、その事態を把握している素振りは無い。
「はい。確かに桜でした。まるで初めからそこにあったかのように……
「なるほど、それは妙な話ね……

 妖夢が押っ取り刀で白玉楼に戻ってきた折、幽々子は来客との茶飲み話に花を咲かせていた。水を差すことを懸念した妖夢ではあったが、これが重大事であれば、報告の遅れが新たな異変の引き金にならないとも限らない。非礼を詫びながら報告に踏み切り、事の次第を語り終わって今に至る。

「ねぇ紫、何か心当たりは無いかしら?」
 来客の名は八雲紫。この白玉楼へ足しげく通っている幽々子の旧友で、妖怪の賢者とも呼ばれる、幻想郷で最も博識な人物の一人だ。「あらゆる『境界』を操る」という神にも等しい力を持ち、顕界と冥界の境目も彼女の力によって生み出されたものだった。
 紫は飄々とした佇まいを常とし、いつも薄ら笑いを浮かべているような人物である。だが何故か現在の紫の表情は、妖夢がこれまでに見たことも無いほどに固い。何かを考え込んでいる、もしくは、不快感を覚えている——少なくとも、明るい感情を有しているようにはとても見えなかった。
「いえ……ピンと来ないわね。」
 どことなく歯切れも悪い。はぐらかすと言った風でも無かった。当の質問者である幽々子は、そんな紫の態度を気にも留めず、おもむろに縁側へとその身を躍らせた。すぐにでも飛び立たんばかりの勢いである。
「とりあえず、見に行ってみましょうか。」
……私は留守番でも良いかしら?」
 好奇心が抑えきれないと言った感じに張り切る幽々子とは対照的に、紫はあくまで冷静だ。
「なら妖夢に相手をさせましょうか。退屈するかもしれないけど我慢してね?」
 接客の代理を命じるにしては、あまりな言い分である。
「承知の上よ。」
 答える紫も、また手厳しかった。

 かくして、白玉楼の主は来客を残して庭へと飛び去り、後には妖夢と紫だけが残された。幽々子の言うこともあながち誤ってはいないのだ。妖夢にとって紫は主の友人であり、気さくに世間話が出来るほど対等な相手でも無い。こうやって相対すると、何を話せば良いのかも思い付かない。
「あ、えーと、お茶新しく入れて来ましょうか?」
 場の空気の淀みに耐えきれず、逃げ出すように立ち上がろうとする妖夢だったが——
「大丈夫よ。それより、少しだけ大人しくしててくれるかしら。」
「は、はあ……
 いまいち的を射ない要求に、妖夢は気の抜けた答えを返してしまう。無言のまま腰を上げた紫が、妖夢の傍らへと歩み寄って来る。
「あ、あの、紫様?」
 妖夢の呼びかけに答えることもなく、紫は妖夢の背後に浮遊している人魂——妖夢の半霊部分に手を添えている。その表情は険しく、迂闊に声をかけられる雰囲気では無かった。少しの間をおいて、今度は妖夢の背後へと歩みを進める紫。そのまま部屋を出ていきでもするのかと思った妖夢だったが——
……え、あ、は? えっ!?」
 突然の紫の行動に、反射的に間抜けな声が漏れてしまった。何を思ったのか、紫が背後から妖夢を抱きすくめてきたのだ。しなだれかかるように体重を預けてきた紫は肩越しに腕を回し、しっかりと妖夢の体を懐に収めてしまう。
「ゆ、ゆか、ゆかりさま、なにを?! わた、わたしにはゆゆこさまが……じゃなくて、えっと!?」
 混乱を隠しきれない妖夢は、ぐちゃぐちゃになる思考をそのまま垂れ流してしまう。なぜ紫がこんな行動に出たのか、理解の範疇を超えている。

 そんな狼狽する妖夢をよそに、紫は妖夢の耳元で囁くように告げる。

……あなたの力が、必要なの。」
「え……?」

 平時は妖夢を未熟者だとせせら笑う紫の口から、信じられない言葉が発せられた。その真意を測ろうとする猶予も与えられず、紫の話は続く。
「これから起こるであろう問題は、あなたにしか解決できない。そうでなくては、あの子の不本意な結果に終わるか……或いは、最悪の結末を迎える。」
 それは警告や予測と言うよりも、まるで確定している未来を告げる予言のようだった。その声色はあまりにも悲壮。紫は戯れにさまざまな感情を偽って見せることがあるが、今のこれが演技だとはとても思えなかった。
……あとは、『あなた自身』が教えてくれるわ。」
 さらに不可解なことを述べる紫。混乱は困惑へ変わり、妖夢の思考は混沌へ引き込まれていく。わけがわからない——正直にそう主張した方が良いのではと妖夢が迷ったその直前、紫は自らの望みをはっきりと口にした。

「お願い妖夢……あの子を助けて……

 言葉にならぬ驚愕の声と共に妖夢が振り向くと、そこに紫の姿はもう無かった。お得意の空間を捻じ曲げる術で退散してしまったようだ。あの全知全能とすら思える紫が、未熟な若輩者である妖夢に助けを求める——本当に現実に起きたことなのか、確証が持てないほどの衝撃だった。
「いったい、どういう意味なの……?」
 問いかけても答える者は無し。直前まで来客がいた幽々子の私室が、妙に閑散として感じられた。

 結局、紫が再び姿を現すことは無かった。幽々子が白玉楼に戻ってきたのは、夕飯の支度が終わったと給仕の幽霊が報告してきた頃合いだった。
 

-3-

「あれはね、桜では無いのよ。」
 幽々子が喜々としてそう語り出したのは、夕飯を終えた後のことだった。食事中はいつも通りの様子だったので、特に珍しいものでも無かったのかと予測していた妖夢だったが、それはあっさりと覆されてしまった。
「どう見ても桜でしたよ?」
「見た目は、ね。」
 普通は外見が桜なら中身も桜だと思うものだろうが、ここは冥界である。顕界での「当たり前」は通用しない。妖夢は黙って幽々子の言葉が続くのを待つ。
「これはさっき紫から聞いたことなのだけれど……
 どうやら姿を消した紫は、謎の桜を見に行った幽々子の後を追っていたらしい。そこで話題に上がったのだろう。
「外の世界ではね、今年は桜が殆ど咲かなかったらしいのよ。」

 紫が幽々子に語った話によると、「殆ど」というのは数の問題では無く、開花期間が短かったということらしい。異常気象と悪天候が折り重なり、数日にして桜の見頃が過ぎてしまったというのだ。

「それとあの桜たちに何の関係があるんですか?」
「あるも何も、それそのものよ。」

 本来存在したはずの見頃を迎えられなかった桜、それはすなわち「生まれる前に死んだ花」となる。そして人々の興味が移ろいやすい外の世界では、そんな哀れな花の霊すら、程なくして忘れられてしまったのだ。そうしてこの冥界に流れてきた「訪れなかった開花」そのものが、花咲く桜の姿を取って白玉楼の庭に現れたのである。

「つまりね、あれは春度の結晶とも呼べる代物なの。季節外れの春が、この庭にやってきている。」

 春度——それはかつて、幽々子の命を受けた妖夢が顕界でかき集めた、春そのものの力の結晶。それが失われることで冬が過ぎ去ることも無くなり、その年の幻想郷は長い冬に悩まされることとなった。

 春度を集めて何をするか。最もわかりやすい使い道は、桜の花を咲かせること。
 あの時も幽々子は、それを目的に春度を回収していたのだ。

 そして彼女が咲かせようとしていた桜は、「決して咲くことの無い桜」。

「あれだけの大量の春度があれば、今度こそ間違いなく——」

 それは顕界での存在を許されず、冥界へと「封印された」呪われし桜の巨木。

「西行妖を、満開に出来るはずだわ!!」
 

 まさかまだ諦めていなかったとは、というのが、妖夢にとっては正直なところだった。数年前に春度を集めた折には、かなりの量の春度を回収していたにも関わらず、結局西行妖が満開になることは無かったのだ。あの桜は満開にはならないものだと割り切ってくれたものだと思っていたのだが。
 幽々子は「善は急げ」などと言って、食後に再び出掛けてしまった。お供を申し出たのだが、たかが庭に散歩に出るようなものなのだから、明日の庭仕事に備えてきちんと休むようにと窘められてしまった。幽々子と違って半分が人間である妖夢は、しっかり寝なければ仕事に差し支えが出てくるのは確かだ。まして西行妖が咲くなどという事態になれば、仕事が増えるのは間違いない。
「果報は寝て待て……いや、果報なのかは怪しいけど……。」
 妙な胸騒ぎがしてならなかった。紫が懸念していたのはきっとこの事態なのだ。だとしたら、彼女が言っていた「最悪の結末」とは、そして——
「私自身が教えてくれる……って?」
 教えてもらうも何も、自分自身がわからないことをどう教えてもらうと言うのか。もしかすると紫お得意の隠喩で、妖夢の師であり先代庭師でもある祖父が、お告げに現れでもしてくれるのか。全ては仮定の域を出ない。
……まぁいいか、寝よう。」
 目を閉じて、意識を落とせば、後は朝を迎えるだけ。妖夢はそう信じ込んでいた。

 しかしその夢枕には、隠喩でも何でもなく、紫が告げた通りの人物が現れたのだった。
 

-4-

 見慣れた、というほどでは無いが、初めて見るわけでも無い光景。花を咲かすことの無い、巨大な桜の木——西行妖の根元に、妖夢は立っていた。
 ここまでの記憶は曖昧、否、存在しないという表現がしっくり来る。そんなはずは無いのに、妖夢の頭は「最初からここに立っていた」という認識を持っている。
 しかし、そんなことは些末な事象に過ぎないのだ。妖夢が現在抱いている最大の疑問、それは自らの目の前に立つ人物に集中していた。
……どういうこと……!?」
 その姿を見たことが無いわけではない。しかし、この場にそれを見るための道具——鏡は存在しない。つまり、ここにいる「これ」は、紛れもない「実像」なのだ。

 妖夢の前に立ち、まっすぐに彼女を見つめているのは、他でも無い妖夢自身。ただ、その足は地に付かず、まるで幽霊のように宙に浮遊している。
「もしかして、これって。」
 似たような状況に遭遇したことはあった。妖夢の術によって人の姿へと変えられた半霊が、ちょっとした手違いで元に戻らなくなってしまったのだ。しかしあの時は逆に妖夢が半霊の器へ入ることになってしまった。つまり入れ替わっただけに過ぎなかったのだが——
「私も私のままだよ、ね……
 鏡が無いので頭部は確認できないが、妖夢も人の姿を保っているのは間違いなさそうで、つまり、魂魄妖夢の人間側の姿をした者同士が、向かい合っていることになる。

 もう一人の自分——妖夢は紫の言葉を思い出す。

——「……あとは、『あなた自身』が教えてくれるわ。」

 あの時、紫が言い淀んでいたことを、教えてくれるのだろうか。
「いいえ、あなたはもう『知っている』。」
「え……?」
 妖夢の内心の疑問を見透かしているかのように、もう一人の妖夢は告げる。
「紫様のお力で、私たちの境目は消えた。あなたは思い出すことが出来る……全てを。」
「いったい何を……
 それは問いに対する答えとしては、過程を飛ばし過ぎているようにも思えた。しかし——

——あっ……!?

 初めにフラッシュバックしたのは、この西行妖の根元で、幽々子にそっくりな存在と会話をしたこと。それは映像が去来したという次元の話ではなく、はっきりとした記憶として、妖夢の脳裏に刻まれていた。ついさっきまで忘れていたのに、今は「初めから覚えていた」かの如く、あらゆる記憶を鮮明に思い描くことが出来る。

 その中には、妖夢自身が知り得ないはずの出来事も含まれている。紫に白玉楼から連れ出され、この桜の根元での出会いを指摘され、深入りすれば命の保証はできぬと脅された物騒な記憶。それは人と霊の部分が分かたれた際に、半霊のみが体験した記憶だった。

 そして、最も新しい記憶。紫と二人きり、白玉楼に取り残された折のこと。

 あの時、紫は半霊をただ見つめていたわけでは無かった。自らの持つ知識と、妖夢が為すべきことを、半霊の記憶の奥底に刻み込んでいたのだ。ここで人と霊の境目が消えて、妖夢がそれを知ることの出来るように。

 それは非常に単純明快で、そしてこの上なく恐ろしい事実。

 もしも西行妖が満開になれば、西行寺幽々子という存在が消滅する。
 今それを阻止できるのは、魂魄の剣術を受け継ぐ妖夢だけ。

 とある事情から、幽々子にはそのことを知られてはならないのだと言う。だから紫は事前に幽々子を止めることも出来ず、妖夢に伝えることも出来なかったのだ。西行妖が満開になる直前、そのほんの短い時間を狙うしかない。紫の能力ではお膳立てに時間がかかりすぎる。ゆえに、紫は妖夢だけが頼りだと言ったのである。

「大丈夫です。あなたなら……私なら、やれます。」
 そのような大役が務まるのか——妖夢の心に生まれかけた不安を打ち消すように、もう一人の妖夢は微笑んだ。
「私たちはいずれも半人前……あなたは人として半人前で、私は霊として半人前。だけど……
「そうか……
 言われるうちに、人の妖夢も気付く。彼女が、自分が、認識すべき事実を。
「境目が無くなって一つになったのなら……私たちは、私は……

 視界がまばゆい光に包まれ、その中に妖夢自身の笑顔が消えていく。「大丈夫」と、もう一度ささやきながら。
 

 目を開ければそこは西行妖の根元などではなく、よく見慣れた白玉楼の縁側だった。自らの手には既に得物が握られている。

 白楼剣——斬ったものの迷いを断ち、成仏させる刀。

 西行妖は屋敷からでも見えるので、状況はすぐに確認できた。春度が集約しているのは一目瞭然。霊を統率する力を持つ幽々子が、あの桜の形をした霊たちを根元に集めたのだろう。既に西行妖の開花はかなり進んでいるようだった。とうに五分咲きは過ぎ、間もなく八分咲きと言ったところだろうか。満開になるまで、一刻の猶予も無い。

 為すべきことはわかっている。その技を使うのは初めてでも無い。それでも、妖夢の心は緊張で張り詰めていた。チャンスは恐らく一度きり。外せば恐らく幽々子に感付かれ、妨害は出来なくなる。そうなれば西行妖が満開になることは避けられず、幽々子は消滅してしまう。

 緊張で手元を狂わせては元も子も無いので、妖夢は一度大きく息を吐き、神経を研ぎ澄ます。刀の柄に手をかけ、斬るべき対象を頭に浮かべ、なぞるべき剣閃を思い脳裏に描く。それが極めて困難だと理解していると同時に、それを成し遂げられる自信もあった。今の自分は、今までの半人前ではないのだから。

——幽々子さまを消滅させたりなんか……しない!!

 人と幽霊、生まれながらにして半々に分かたれた妖夢のそれぞれの存在が、何らかの力で合一したとしたら。
 半人前の力と半人前の力の合計、すなわち——
 

「断想剣……草木成仏斬!!」
 

 鞘から抜かれた妖夢の白楼剣が、そのままの勢いに虚空を一閃する。二百由旬を薙ぎ払う魂魄の剣術が、西行妖の根元へと叩き込まれる。目視こそ出来なかったが、妖夢は確かに手応えを感じていた。試みは成功したのだ。
 西行妖は八分咲きでその開花を止め、後は花を散らすのを待つのみの身となっている。その様はまるで、顕界から巫女と仲間たちが春を奪い返しに来た時のようだった。
「さて、あとは……
 鞘に刀を収めた妖夢は、迷うことなく白玉楼から飛び立つ。直前に振るった刀を縁側に残して。
 

 向かう先は、直前に渾身の奥義を放った地点——西行妖の根元だった。
 

-5-

 見た目には満開の西行妖、その根元で茫然と立ち尽くす人影——否、状況を正しく理解しているという意味では、茫然という言葉は不適切か。感情の無い瞳で、花を散らす妖怪桜を見上げているのは、冥界の管理者、西行寺幽々子だった。
……また失敗したわけね。」
 その表情同様に、発せられた言葉に大きな抑揚は無く、これといった感情は込められていない。目の前で起きた事実を、ありのままに受け止めているのだ。

 前回と比べれば、全てが順調なはずだった。十分すぎるほどの春度を用意し、顕界からの邪魔者も無し、紫にも邪魔をせぬように釘を刺しておいた。しかし、それでも西行妖が満開を迎えることは無かったのだ。幽々子が予想もしなかった、思わぬ妨害によって。

「まさか、あなたに邪魔されるとは思わなかったわ……いろいろな意味で。」
 自らの背後に現れた気配には気付いていたが、幽々子は敢えて何の反応も示していなかった。その気配の主もまた、幽々子が注意を向けるのを黙して待っているようだった。幽々子が振り向けば、そこにはよく知る少女の姿。
「ねぇ……妖夢。」
 寝間着である白い襦袢を身に着けた妖夢は、まるで死装束をまとった幽霊のようであった。幽々子の呼びかけに答えることも無く、その場に立ち尽くしている。
「白楼剣の力で『咲くことへの未練』を断ち、春度の放出を打ち止めにするとはね……あなたにしては冴えた策だったじゃない。」
 光栄の意を表すために、軽く頭を下げる妖夢。さながら一人前の従者のような佇まいである。
……答えなさい、どうしてこんなことをしたの。」
 その質問を口にすると同時に、幽々子の視線が鋭くなる。それまで浮かべていた呆けたような微笑は消え、光の消えた冷たい瞳が妖夢を見据えていた。
「詳しくはお話できません。ですが……
 妖夢は主の糾弾から目を逸らすこと無く、簡潔に答えを告げる。
「西行妖が満開になれば、私にとって取り返しの付かない事態が発生します。ゆえに、幽々子さまが本懐を遂げられるのを邪魔しました。」
 それはわかりやすい主張だった。自分にとって都合が悪いから、主の計画を頓挫させた——その言葉が示す意図は明快である。
「利己的な事情だったって言うの?」
「はい。」
 妖夢の視線はあくまでまっすぐ幽々子を見据えている。強い意志の表れだった。
……その答えが何を表してるか、わかっているわね?」
「承知しています。」
 幽々子が真実を知らず、妖夢が詳説を拒む以上、状況がそのまま事実となる。すなわち——

 魂魄妖夢は、西行寺幽々子への反逆行為を働いた。

「いかなる罰も、お受けします。」
 恭しく幽々子の前にひざまずき、頭を垂れる妖夢。首を差し出すことも厭わない、そんなことを言わんばかりの振る舞いだった。
……顔を上げて。」
 幽々子は妖夢の顎に軽く指を添え、ごく近い距離でその表情を覗き込む。凛々しい表情。意志の固い瞳。平時の頼りない妖夢からは想像もつかぬような、一人前の従者の顔だった。
「だったら、私の望みを潰えさせた罪……あなた自身をもって贖ってもらうわ。」

 妖夢の反応を待たずして、幽々子は妖夢の口を塞いだ。彼女自身の唇で。

 生者は死に瀕した者を救うため、口移しで空気を送ることがあるという。
 いま幽々子が行っているのは、その真逆の儀式だ。

 繋がった口腔から、流れ込む力。妖夢にはそれが何なのかわかっていた。彼女自身が生まれながらにして、自らの存在の半分に有している概念。
 幽々子が自在に操る力——「死」という事象そのもの。重ねられた唇を通して、幽々子の死が妖夢の体に送られている。

 だがそれは、妖夢にとって決しておぞましい感覚では無い。
 幽々子の存在を直に感じられるのだ。幽々子に最も近しい力によって。

 心地良い脱力感が襲ってきているが、妖夢は意識を手放そうとはしない。少しでも長く、この最期の幸福に浸っていたかったから。
 まどろみのような死のぬくもりに、妖夢は夢見心地に思った。

——幽々子さま……これでは罰になっていませんよ……
 

-6-

 そんな快楽を伴う「罰」が、唐突に終わりを告げた。突如として幽々子が唇を放したのだ。その動作の勢いが強すぎたため、妖夢は弾き飛ばされる形になってしまう。
「あいたた……どうしたんですか幽々子さま?」
 尻もちをついた姿勢のまま、幽々子の様子をうかがう妖夢。誇張抜きで、中断は一瞬にして行われたのだ。酒をギリギリまで盃に注ごうとして、溢れそうになったところで慌てて止めたかのような、そんな感覚。
……うん、ぴったりね。私、結構才能あるのかしら?」
「へ?」
 質問の答えに全くなっていない返答、すっかりいつも通りの幽々子だ。そして妖夢も妖夢で元通り、間の抜けた声が自然と口から漏れてしまっていた。
「あなたね、自分じゃ気付いてなかったみたいだけど。」
「何がです?」
 幽々子は愉快そうに笑い、扇で口元を覆う。よほど愉快で仕方ないのか、説明を付け加えようとして一度吹き出してしまっていた。
「さっきまで完全な生者……人間になっちゃってたみたいよ。半霊も浮かんでなかったし。」
「え、ええぇぇっ!?」
 あまりに突拍子もない指摘に驚愕の叫びを上げた妖夢だったが、言われてみれば心当たりも有った。感覚が妙に研ぎ澄まされていたし、いつもよりも思考が上手くまとめられた。何より、精神の集中が非常に容易だったのだ。それは自分という存在が認識しやすい形になっていたということなのだろう。
「だから、元に戻しちゃった。」
……もしかして。」
 先ほどの「罰」、死を送り込んだ理由とは、つまり——
「そう。半分だけ死人にしてみたのよ。そしたら予想通り、元のあなたに戻ったってわけ。」
「メチャクチャですね……
 まさに言葉通りの半殺し。上手く行かなかったらどうするつもりだったのだろうとは考えるだけ無駄である。常に行き当たりばったり、それでいて大抵は成功する、それが西行寺幽々子という人なのだ。
「だってぇ、あの妖夢って何か変だったんだもの。冴えてるし、かっこいいし、優秀そうだし……あんなの私の大好きな妖夢じゃないわ。だから、罰として無かったことにしたの。」
 裏を返すとかなりひどいことを言われているのだが、すんなりと「大好き」などと言われてしまえば、抗議を忘れて赤面して俯くのも不可抗力だ。
「それに……
 幽々子の呆けたような薄ら笑いが、慈愛を感じさせる優しい微笑に変わる。
……あのままでは、あなたの寿命が人間並みに縮んでいたでしょうから。」

 まさに合縁奇縁か。幽々子を即時の消滅から救うために、妖夢は半霊と一つになった。だがそれは逆に妖夢の寿命を縮める結果をもたらし、結局は幽々子に救われた形になる。

「ねぇ妖夢。」
 不思議な事象の流れに思いを馳せる妖夢を、幽々子の声が現実へと引き戻す。
「何でしょう?」
「とりあえず、西行妖は諦めるわ。」
 それは願ったり叶ったりだった。半霊と存在を統合するという荒業を再び使える保証が無い以上、何かのきっかけで再挑戦などされたら手詰まりだろう。内心ほっとする妖夢に不意打ちするように、幽々子は一言付け加える。
「あなたが死ぬまではね。」
 それは決して悪い気のしない条件だった。妖夢のために西行妖を諦める——そうとも取れるからだ。自惚れが過ぎるとはわかっていつつも、妖夢はそう思い込むことにした。
「だから……

 幽々子が妖艶な笑みと共にゆらりとした動きを見せる。直後に何が起きるのか、もうとっくにわかってる。でも今は、それに対して身構える必要性などさらさら無いのだ。

 瞬時にして背後に回られ、抱きすくめられる形になった妖夢は、その身を幽々子に預ける。

……今際の際まで、私の傍にいてね?」

 もちろんです、とか、当たり前です、とか、浮かんだ言葉は他にもあったけど。
 自然と口をついて出た言葉は、全く違うものだった。

「はい……それが、私の望みですから。」