『姉馬鹿同盟』(東方Project SS)

2012年1月1日
拙作(東方Project)

さとりとレミリア、二人の「姉」の出会いを描いたお話。
2008年の冬コミで頒布した同人誌に載せた漫画作品を文章物として作り直したものです。
焼き直しというには殆ど別物になってますが(汗)。


東方Project SS
姉馬鹿同盟

-1-

 幻想郷の最深部の一つとも言えるのが、封じられた地底世界に存在する「旧都」と呼ばれる集落である。遥か昔に地上を去った鬼たちを中心として、その能力を忌み嫌われて地上を追われた妖怪たちが、ここに集まっている。太陽の光の届かぬ薄暗い土地ではあるが、住人たちは皆それぞれに自由気ままな暮らしを送っていた。
 そんな妖怪の新天地とも言える旧都の外れに、どちらかというと粗野な地底の雰囲気に全くそぐわない、美しい御殿が鎮座している。豪奢なステンドグラスの窓を多く持つこの西洋建築こそが、地底を治める妖怪が居を構える「地霊殿」である。かつては地獄の一部だった旧都付近には、旧火焔地獄へ繋がる穴が開いていた。地霊殿はそれに蓋をするように建てられている。
 地上からの珍客がこの御殿を訪ねてきたのは、つい最近のこと。何やら御殿の主人やらペットやらと一悶着あったようだが、最終的には双方納得して丸く収まる結果になったらしい。詳しい事情を知る者は少ないが、あの一件以降、地上との往来が活発になっているのは事実である。

 そんな多少の環境の変化はあれど、概ね地底世界は穏やかな状況を維持していた。ただし、ごく一部の者を除いて、だが——

 地霊殿の一室、御殿の主である妖怪の部屋。一人の少女が椅子に腰掛け、突然の報告に耳を傾けていた。否、正確には「目を向けていた」と言うべきなのかもしれない。
……ふむ、こいしが地上に……ですか。」
 ゆっくりと立ち上がる動きに合わせて、少女の薄紫色の癖っ毛が揺れた。その瞳は片方が閉じられており、開いている側も極力細められている。その代わりであるかのように、少女の左胸に提げられた「もう一つの目」が大きく見開かれていた。彼女の「第三の目」——相手の思考を看破する恐ろしき瞳。

 少女の名は古明地さとり。この地霊殿の主である。「他者の思考を読み取る」という能力を疎まれて地上を追われた彼女は、現在はこの御殿で多くのペットたちと共に生活している。言葉を持たぬ動物たちに取って、思考を直接読み取れるさとりは決して疎むべき存在では無いのである。

 さとりと「会話」しているのは一匹の黒猫。その尻尾が二股に分かれていることから、ただの猫では無いことが窺い知れる。
(ええ……おくうのあやふやな証言なんで、アテにならないところもありますけどね。)
 火焔猫燐、通称お燐——さとりのペットの中では、最も彼女に近しい存在の一つと言えるだろう。
「少し……心配ですね。」
(でも、こいし様ほどの力があれば特に危険も無いんじゃ……
 単純な戦闘能力だけを見るならば、こいしは姉であるさとりを大きく上回っている。第三の目を閉じているため、本来の種族特有の能力は失っているが、それでも地上の有象無象に遅れを取るほどではない。さらに彼女は、その本来の力を捨てることで「新たな能力」を身につけているのだ。さとりが心配しているのは、こいし自身の力が及ばぬことではなかった。
「悪い虫……
(へ?)
「紅白のとか黒いのとかいるでしょう。可愛い妹がああいう手合いに誑し込まれるのを黙って見ていろと?」
 先日地霊殿に押し掛けてきた巫女と魔法使いは、どうも妖怪に好かれる体質らしい。人づてに聞いた話ではあるが、地上に住む妖怪の中には、彼女たちの虜になっている者も少なくないと言う。
(そういえばおくうも神社に入り浸ってますしねぇ。)
「他人事みたいに言いますけど、あなたも相当お邪魔してるでしょうに。」
(うぐ……
 妖怪が神社に通い詰めるというのもおかしい話に聞こえるが、元を辿れば神様だって妖怪みたいなものなのだから、さほど不思議は無いとも言えよう。
「とにかく、私はこいしを探しに行ってきます。」
(え、探しにって……
 普段の物静かな雰囲気とは対照的に、さとりは早足に部屋を出ていこうとする。
(どこに行ったかもわからないのに、どうやって探すんですか?)
……聞き込みですよ。私の『目』に嘘は通じませんから。」
(いやでもこいし様って姿見えないじゃないですか。聞き込みって言っても。)
……たまたまこいしが休憩しているところを目撃している人がいるかもしれませんし……
(それを探す方がこいし様自身を探すよりきつくないです?)
……そうとも言えなくも無いことも無いような気がしないでも無くも無いとも言えませんけど……
(肯定してるじゃないですか。)
 間髪入れずにお燐がツッコんできた。きちんと数えていたらしい。
……もしかしてさとり様……
「な、何です?」
(こいし様だけ地上に遊びに行ってずるいとか思ってます……?)
……行ってきます!」
(ちょ、さとり様?)

---・---

 答えを返すこともなく、さとりは逃げるように去って行ってしまった。どうやら図星だったらしい。あとに残されたお燐は手持ち無沙汰に立ち尽くしていたが、すぐに人の姿に化けて苦笑を浮かべる。
「正直に言ってくれたって良かったのになぁ。」
 恐らくはこの御殿の主人として、軽率な理由で留守にするのは良くないと思ったのだろう。
「むしろご主人なんだから、ちょっとぐらいワガママ言ったっていいと思うんだけどねぇ……。」
 世間には思う存分やりたい放題やっているお嬢様だっていくらでもいるだろうに。そう考えると、この地霊殿のお嬢様は真面目すぎる節がある。そんな彼女から見れば、自分たちペットは頼りなくも見えるのだろうが、たまにだったら留守を守るぐらいは出来るのだ。
「ま、久々の地上でゆったりと羽を伸ばして来られればいいさね。」
 きっと彼女が追放された頃よりも、ずっと素敵な世界になっているはずだから。

-2-

 お燐の見積もりは半分は正しかった。こいしを探そうと思っているのは、決して偽りでは無い。彼女を放置しておけば、無用なトラブルを招き寄せること請け合いなのだ。だから、出来るだけ遭遇者が少ない段階で連れ戻すのが理想である。少なくともさとりの記憶にある限り、幻想郷は非常に狭い。初めこそ雲を掴むような話になるかもしれないが、絞り始めれば早いはずだ。
 しかし実際のところ、これは数ある目的のうちの一つに過ぎない。他にはお燐が言っていた通り、現在の地上をこの目で見てみたかったというのもある。いつまた新たな追放者が出るかもわからないので、その予備情報が欲しかった。また、先日やってきた地上の人間の強さを見た限り、現在の地上であれば受け入れられる者——例えばあの小さな鬼のように——もいるかもしれない。地底のスペースも無限ではないので、地上の賢者と相談をする価値はあるだろう。
「見た目にはあまり変わっていませんね……
 勢いだけで地上まで足を伸ばしたさとりではあったが、お燐が言っていた通り、アテなどは特に無かった。せめておくう以外に目撃者がいてくれれば、その足取りも辿りやすかったのだろうが、そうそう尻尾を掴める相手でもない。むしろ、おくうの記憶が少しでも残っていてくれたのは、幸運だったとすら言えよう。
「しかしまぁ、太陽というのはこんなにも煩わしいものでしたかね。」
 当然だが、地底には太陽の光は届かない。霊的な光はいろいろと存在しているので光源には困らないのだが、やはりその出力は段違い。地上に生きる者であれば、無意識に太陽の光から視線を逸らせるのであろう。しかし、永い時間を地底で過ごしてきたさとりは、ちょっとした視線の移動で太陽を視界に入れてしまうのだ。そのたびに目を眩まされるのだから、非効率この上ない。

——おまけに……

 地上への入り口を出て適当に歩いてみたところ、すぐに森の小道に行き当たった。その道を歩き始めたあたりから、何かを感じていた。どうやら何者かに後を付けられているらしい。心を覗き見る能力のあるさとりだが、決して勘が鋭い方ではない。しかし、この相手はあまりにも尾行が下手すぎる。足音を立てぬように動いているわけでもなく、物陰に隠れているつもりで半身が見えていたり、挙句には二度ほど何かに躓いたらしく、小さな悲鳴までもが聞こえていた。
……用があるのなら、出てきてはどうですか。」
 気分を害するというほどでもないが、いつ不意打ちされてもおかしくない状態というのも精神衛生上よろしくない。さとりは背後の追跡者へ振り向くことなく、やや語気を強めて言い放つ。
「え……っ? なんで……!?」
 当の本人は尾行に成功していると思っていたようで、自らに向けて放たれた言葉に驚愕の声を上げる。そこで黙っていれば、しばらくは白を切ることも出来ただろうに、あまり頭の回転が良くないのだろうか。
「指摘するのが億劫なほどに、あなたの追跡は手落ちだらけです。」
「はうぅ……
 さとりが振り向くと、観念したらしき追跡者が木陰から現れる。背丈がさとりより頭一つほど高い、明るい緑色の長髪を後頭部で縛った少女。青色の地味なワンピースの背中からは、蝶の如き数枚の透けた羽根が生えている。どうやら地上の妖精のようだ。
「ごめんなさい……見慣れない人が歩いてたものだから……
 素直に謝罪するあたりは殊勝である。地底の妖精は落ち着きの無い者ばかりだが、この個体はどうやら他の妖精とは少し違うらしい。元々が「自然の力の具現化」という曖昧な存在であるため、その精神性が身体的な特徴にも現れるのかもしれない。
「ふむ、まぁ気持ちはわからないでもありませんが。」
 面と向き合えば、あとは話が早い。さとりの能力は自動的に発動するものであり、自身が望もうと望むまいと、さとりに相手の心中を認識させてしまうのだ。
(この辺りは私たち妖精のテリトリーだから、そう簡単に人間は入れないはずなのに……
「人間ではありませんからね。そもそもに地上に住む者でもありませんが。」
「えっ!?」
 口に出していない疑問に対する返答に、妖精の少女は素っ頓狂な声を上げる。彼女はさとりの能力のことなど知らないのだ、当然の反応である。
「驚かせてすいませんね。この第三の目は、あなたが考えていることを私に見せてしまうのです。」
 左胸の前に浮かぶ赤色の球体を撫でながら、さとりは口元を緩めて見せた。多少の自嘲を込めて。
「えーと……?」
「つまり、あなたが頭の中で思っていることは全部わかるってことです。」
「ああ、なるほど。それで返事してくれたんですね。」
 ここまで好意的な反応も珍しいが、どうやら彼女にとってはさほど悪印象を抱く要素ではなかったようだ。
(ていうことは、言葉に出さなくてもお話が出来るのかしら?)
「そうですね、もっとも私の心の声を届けることは出来ませんから、こちらはしゃべる必要がありますが。」
「なんか面白いですね……手っ取り早くて助かります。」
 そういえば地底に押しかけてきたあの二人もそんなことを言っていた。いつの間にやら、地上の住人は随分と前向きになったものである。
「さて、本題なのですが……ああ、回答が面倒なら考えるだけでも結構ですから。」
「あ、はい。わかりました。」
(すっかり忘れてたわ。)
 ここはスルーで。
「妹を探しているのです。少し放浪癖があるものでして……私と似たような服装を着ているはずなのですが。」
(妹さんを探してわざわざこんなところまで……すごく良い人なのかしら……?)
「いえ、妹はちょっと厄介な力を持ってるので、地上の住人に迷惑をかける前に連れ戻そうと思いましてね。」(厄介な力……お札や針で妖怪退治するとか光の帯や星屑の魔法で蹂躙するとかそんな感じかしら……。)
「ああ、あいつらほどではないです。」
 これは即答。さすがにあんな傍迷惑な連中と一緒にされるのはいただけない。
「あら、それはごめんなさい。そうですね、たぶん会ってはいないと思います……見慣れない人が通れば気付くはずだし。」
「なるほど、確かに。」
 少し通りがかっただけのさとりにこれだけ過敏に反応したのだ。もしもこいしが何らかの間違いで姿を現したのをこの娘が見たとすれば、何も知らないということは有り得なさそうだ。
「あ、でも……
「何かご存知で?」
「いえ……
 通常であれば、このような煮え切らない回答には焦らされるものだが、幸いにもさとりには第三の目がある。逡巡する心の内も読み取ることができるのだ。
(あのお屋敷のメイドさんなら……あの人って幻想郷中を飛び回ってるみたいだし……何か知ってるかも……
「ふむ、行ってみる価値はありそうですね。」
 彼女の心の中に浮かんでいる光景は、四方を水場に囲まれた小島。そしてその真ん中にそびえる、真っ赤な外装の洋館だった。
「湖のど真ん中にあるのですか?」
「ええ……ある日突然、お屋敷ごと現れたって噂です。」
「豪快な人がいたものですねぇ……いや、人ではありえませんか。」
「行くなら気をつけてくださいね……強い妖怪がたくさん住んでるお屋敷らしいですから。」
 伝聞形で述べるということは、彼女自身は中に入ったことはないようだ。否、下手をすると近付いたことすらないのかもしれない。少し気弱そうだし、妖怪と渡り合えるほど強いようにも見えない。
「ええ、注意するとしましょう。それではごきげんよう……
 遠くには既に湖が見えていた。先を急ぎたいので飛び立とうとするさとりだったが——
「あ、あの……!!」
——その背中に、妖精の少女の声が投げかけられた。さとりは足を止めて、次の言葉を待つ。
「私にも妹みたいな友達がいて……あの、まったく同じってわけじゃないけど、ちょっと気持ちがわかるっていうか、えっと、その……
 何を言うべきか、心の中でも迷っているようだ。思考を読んでも、意図が汲み取りきれない。
……妹さん、見つかるといいですね!」
「ええ……ありがとう。」
 おぼろげな思考だったが、そこには明らかな善意が感じられた。つまり、親近感を覚えてくれたのだろう。こんな自分に親身になってくれるとは、地上の住人も本当に様変わりしたものである。

 今度こそさとりは少女に手を振って見せ、湖の上空へその身を舞わせた。その道すがら思い出したのは、先ほどの妖精が頭に浮かべていた幼い風貌の少女。それは恐らく、彼女が言っていた「妹のような友達」なのだろう。第三の目が見せたそれは、いかにも勝ち気そうな、それでいて短絡的な面を隠し切れない、根拠の感じられない自信満々の笑みを浮かべていた。

「なるほど……あれはこいしよりも手がかかりそうですね。」

 彼女の方がよっぽど「姉」として格が上なのかもしれない——妙な敬意を覚えてしまうさとりであった。

-3-

 空の青を照り返す湖面を侵食するかのように、その館は圧倒的な威圧感を放っていた。壁面が真紅に塗られた西洋建築で、地霊殿ほどの大きさは無いものの、古めかしさでは良い勝負だ。
「ずいぶんと大仰なお屋敷ですが……どんな御仁がお住まいなのやら。」
 さとりが地底へ去った頃の幻想郷ではとても考えられない、とてつもない大物なのだろう。それも恐らくは、この国の妖怪ではない。地上の賢者が仕掛けたという特殊な結界の力で幻想郷に移住してきたのか、或いは——「引きこまれた」のか。
「まぁ、とりあえずそのメイドとやらへの取り次ぎをお願いしてみますか。」
 申し訳程度の塀を飛び越えて侵入することも考えたが、肝心の相手の顔がわからないのでは、隠密行動をするだけ無駄である。そもそもに人目に付かぬように行動するのが得意なわけでもない。妹が例外中の例外なのである。
「門構えも立派なことで……おや、あれは……?」
 やはり赤く染められた門の前に、薄緑色の装束に身を包んだ長身の女性が立っている。正確には背中から門にもたれかかり、うつむいたまま微動だにしない。息はしているようだが、近付くさとりに気付く様子もない。もしやと思って歩みを進めていくうちに、目深に被った帽子の影に隠れた目元が見えてくる。
……お休み中ですか……。」
 配置的に考えて、通りすがりの異邦人でない限り、この女性が屋敷の門番であることは間違いない。門番がここまで豪快に居眠りをしているというのは、無用心を通り越してむしろ剛毅であるとすら言えよう。もちろんこの間抜けな門番がではない、この屋敷の主が、である。
「しかし、素通りしたところで結果は同じですね……好機とは言い難い。」
 闇雲に屋敷の中を動き回るよりは、この門番(推定)を起こして取り次いでもらった方が良いのは自明の理。
……あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
……ふぇへい……?」
 眠りは浅かったようで、軽く声をかけたらすぐに目を覚ました。
「こちらの屋敷の門番さんですか?」
……ふぁい、もんばんさんでござんする……
 しかし盛大な寝ぼけ方である。まだ意識がはっきりしていないらしく、心の中を覗いてすら上手く思考が捉えられないが、門番であることには確証が持てた。その風貌からして、大陸から渡って来た妖怪だろうか。
「門番だというなら、ちょっとお聞きしたいことが……
……んうぇっ!? お客……侵入者……賊ッ!?」
 ここに来てようやく事態を把握したらしい。しかし思考は定まってきたものの、今度は焦っているらしく、その内容はとりとめもなくなっている。
(やばい、どうしよう、咲夜さんにバレたらまた折檻確定だよ!! ていうかいつから寝てた!? それ以前にこの子誰!? お嬢様の友達!? こんな穏便に来るようなやついたっけ!? ああもうどうしたもんなのよー!!)
 特定の人物を示す言葉が二つほど見えたが、とりあえずは落ち着かせるのが優先だろう。こんな精神状態では、取次ぎを頼むことすら難しい。
「えーとですね、私、妹を探しに……
「い、いもうとッ!?」
 こちらが全ての言葉を告げ終わるのを待たずして、門番がオーバーアクションと共に驚愕の声を上げた。ご丁寧に、自らがどの単語に反応したかを口にしてくれている。もちろん、その異常な反応を見逃すさとりではない。第三の目を凝らして、門番の心の中を凝視する。
(妹ってやっぱあれだよね、地下に閉じ込めてるあの子だよね……やばい、あれだけはバラしちゃまずい、本気で咲夜さんに殺されかねない……パチュリー様の魔法で何とか封じ込めてるけど、迂闊に刺激したらきっと逃げ出しちゃう……そんなことになったら……隠さないと、隠し通さないと……

 思考を読んでいるうち、全身の血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。逆に頭に何かが集まっていく感覚にも同時に襲われ、体が微妙に震えているのが自覚できた。ペットたちのように本能のままに雄叫びを上げ、動くままに暴れたい衝動が湧き上がってくる。が、それを行ったら自分が取るべきもっとも正しい動きが出来なくなる気がしたから、済んでのところで理性を保った。

「えーと、何のことか」
「わかりました、力づくでもここを通させていただきます。」
「うぇええええっ!?」
 自分の思考が読まれていることに相手は気付いていない。ゆえに、シラを切ろうとした矢先に強行突破を宣言され、相当に困惑しているようだった。こいつは敵だ、手の内を明かす必要もあるまい。
「邪魔をするなら容赦はしません。」
「くっ……やるっていうならこっちだって……!!」
(どこで情報を掴んできたんだよこいつ……口の軽い魔理沙あたりか!?)
 ということはつまり、あの黒いのに誑かされてこの屋敷に幽閉されたのか。その事実を反芻して、再び頭に血が上りそうになるのをぐっと堪える。ここは地上、新しい幻想郷。新しい時代には新しい決闘の方法があるのだ。さとりはスカートのポケットから、一枚の紙切れを取り出す。
「それは……スペルカード!?」
(妖怪なの……?)
 確かにここまで素性を晒しては来なかった。人間だと思われていても無理もないだろう。地上には妖怪と互角に渡り合える人間だっているのだから。
「まずはこれから受けてもらいましょうか……想起『テリブルスーヴニール』。」
 宣言と共に、さとりの背後から後光の如き閃光が発せられる。眩しさに顔をしかめる門番だったが、それっきりで何も起きないことに、首を捻って見せた。
「何……こけおどしってわけ……?」
「いいえ。少し急いでいるのでね、弾幕は省略させてもらいました。どうせ今のは布石ですから……
 決闘のルールに反している可能性もあるが、多少は目を瞑ってもらいたいところだ。この奇妙な決闘方法には、まだいささか不慣れな身なのだから。
「布石って……うっ!?」
(目眩が……何よこれっ……!?)
「ちょっとした催眠術です。あなたの心は既に私の術中にある……
 その足元のおぼつかなさを見れば一目瞭然、この門番は面白いほどにこちらの策に嵌ったのだ。効きが悪ければ少し弾幕で翻弄して酔いを回らせる必要があるが、これほどの深度であればすぐに仕掛けられる。
「見せなさい……あなたの心の中にある、最も恐ろしい弾幕を……
「な、なにを……
(恐ろしい……もっとも……おそろしい……っ!?)
 門番の脳裏に浮かんだ光景が、第三の目を通じてさとりの頭の中に流れ込む。間髪入れずにポケットから取り出したカードは白紙——
「さぁ、眠りを覚ます恐怖の記憶で眠るがいい……!!」
——そこに、まるで見えない筆で描かれるかのように、内容が記されていく。程なくして完成したスペルカードを掲げ、さとりは普段閉じられた右目を見開き高らかに宣言する。

「想起『夜霧の幻影殺人鬼』!!」

 虚空から無数に発生した銀製のナイフが舞い上がり、まるで統制の取れた集団の如く、さとりの頭上へ円陣を敷くように宙に配置されていく。それぞれのナイフは定位置に留まってくるくると回転していたが、一つ、また一つと、その切っ先が門番を指して止まっていく。

 これが命名決闘においてのさとりの能力、トラウマの具現化である。相手が心に浮かべた弾幕を読み取り、それを自らの技として繰り出すのだ。もちろん見た目を模すだけなので、完全に本物と同じ弾幕を展開できるわけではないが、基本的に相手がマイナスイメージを持った弾幕であることに間違いはないので、強力なアドバンテージを奪えることが多い。
「う、うそだ、そんな、これって咲夜さんの……ッ!?」
 事実、この門番にはかなり高い効果を発揮しているようだ。近く訪れるであろう着弾すら想定できないのか、自らの目前に広がる光景に圧倒され、顔面蒼白で立ち尽くしている。
「ひぃぃぃぃ、勘弁してください咲夜さんっ!! もう居眠りはこれっきりにしますから、後生ですからあああっ!!」
 よほどのトラウマなのか、再現したのは弾幕だけなのに、ここに存在しないはずの使用者に謝罪まで始めた。あまりの怯え様に少し可哀想になってきたが、発動してしまった以上、もはやさとり自身にも止める術は無い。

 最後に回転していたナイフが動きを止め、全ての個体が一斉に前進を始める。言うまでもないが、急発進かつ猛スピードで、だ。

「ごめんなさああああああああああああ……

 四方八方から雨あられと降り注ぐ無数のナイフに、門番の悲痛な謝罪の叫びが飲み込まれていった。

-4-

 これらのナイフは、実際にはさとりの力が作り出した幻影である。相手のトラウマに応じて水流となったり大岩となったり人形となったりするが、対象に当たればすべからく光の塊と化し、弾けて消えていく。もっとも、そこには多少の熱量が含まれているようで、卒倒している門番の身体のあちこちが煤けていた。
「やりすぎましたね……これでは内部の情報が何も聞き出せない。」
 完全にノビてしまっているので、多少の刺激では目を覚まさないだろう。止むを得ないので門番を放置し、さとりは巨大な門を軽々と飛び越える。特に魔法的な結界は張られていないようで、すんなりと屋敷の中に入ることが出来た。
「ずいぶんと手入れの行き届いた庭ですこと。」
 周囲を見回すと、薔薇などの美麗な植物が咲き誇る庭園が目に入った。芝も丁寧に手入れがされており、エクステリアを揃えればパーティなども行えそうな雰囲気である。
「入り口までは……まっすぐですね。」
 屋敷の構造によっては、幾度も曲がりくねった道を歩かされることもあるが、ここは特にそんなこともなく、門から屋敷の扉へとまっすぐに道が伸びていた。

 そう、まっすぐに伸びているのだ。

……なっ!?」

 つまり、さとりの視界には、この道が始点から終点まで見えていたはず。

……いつの間に……?」

 ならば何故、直前まで存在しなかった人物が、前方に突然現れたのか。

「まさか霊夢と魔理沙以外に、あの門を強行突破してくる者がいるとは思わなかったわ。」
 身の丈はさとりよりも遥かに大きい、少なくとも見た目は人間の大人の女性。服装は完全にメイドのもの。この屋敷に仕える給仕に違いない。これがあの妖精の少女が言っていた「紅い洋館のメイド」だろうか。
「あなたは……
「私は十六夜咲夜。この屋敷のメイド長よ、侵入者さん。」
 さとりが第三の目でその心を読む前に、自らの名を名乗ってきた。門番が何度か口にしていたのは、この人物のことだったらしい。その右手には、先ほどの門番のトラウマにもその存在が刻まれていた、銀色のナイフを握っている。あの弾幕の性質からして、高い投げナイフの技術を持っていると見える。
「なるほど。まだお若いのに、相当この館の主に信用されているようですね……
 何にしても、手の内を探るのが先決。そう考えて、会話をしながら心を読もうと第三の目を凝らしたさとりだったが——
「え……ど、どこへ!?」
——咲夜の姿はそこにはなかった。何が起きたのかすら理解出来ない。余所見どころか瞬きすらしていないはずなのに、直前までその場所にいた咲夜が忽然と消えたのだ。

 さとりが立てた仮説は、「このメイドの能力は、きっと瞬間移動の類であろう」というものだった。一瞬で空間を跳躍できるのなら、先ほどの突然の出現にも納得が行く。しかし——

——彼女の心に「能力を使用する意志」は表れなかった……!!

 いかなる能力者であろうとも、使用の直前に「意志」が現れるのだ。つまり、空間を跳躍しようとすれば、それを「使おう」と考えるはず。どんなに使い慣れた能力であっても、その意志を消すことは出来ず、行動が実行に移されるまで、その意志は頭の中に残る。それを読み取ることが出来れば、相手の行動に備えることは容易い。
 だが、この状況はどうだ。何の前触れもなく咲夜は姿を消してみせた。まるで最初からそこにいなかったかのように。

「これだけ近くにいて気付かないとは……あなた、戦闘は素人ね?」

 背後から発せられた声に振り向こうとするも、それよりも先に首筋にナイフの刃が当てられる。少しでも振り向けば、喉を切り裂くと言わんばかりの重圧が込められていた。
「あなたたち妖怪がこの程度で死なないのはわかっている。でも『喉を裂かれた』という『意味』には抗えないわよね。」
 人間の場合、喉を深く切られれば命は助からないだろうが、妖怪はそう簡単には絶命しない。基本的に不滅の存在であるゆえ、たとえ粉々になったとしても、何事もなく再生する場合が多い。ただし、与えられた状態が「致命傷」にあたるのなら、それなりのペナルティを身体が負うことにはなる。「致命傷を負った」という「結果」が、身体の自由や意識を奪うこともあるのだ。
「あとは、動きを止めたあなたを神社に運ぶだけ……あとはあのぐうたら巫女が何とかしてくれるでしょ。」
 そんな妖怪を撃退するのに有効な方法が「封印」である。例え身体的に生きていようと、自由な行動を封じられては存在が消えたも同然。あの巫女はかなり力の強い妖怪相手でも、その気になれば封印できるだけの力を持っている。
……わかりました。降参です。」
 さとりは両手を挙げて、戦闘の放棄を表明する。もちろんフリなどではない、この相手には様々な面で勝てそうもないからだ。立ち回りも、戦術も、そして恐らく踏んできた場数も、さとりとは段違いなのだろう。元々戦闘はさほど得意ではない。それこそ背後に回った敵の気配にすら気付かぬほどに。
「随分と潔いわね。」
「あなたは話せばわかる人だと思いましたから。」
「どうして?」
「あなたほどの技と知恵があれば、私を『殺そう』と思えばいつでも『殺せた』はず。しかし寸前でその刃を止めましたからね。必要ない戦いを回避できる人は、聡明な判断力を持った人です。」
 さとりの耳に嘆息の声が届く。ナイフが首から離され、視界内に瞬時に咲夜の姿が現れる。
「どうやら冷静になってくれたようね。こちらも失礼したわ。」
 既にその手に物騒な獲物は握られていなかった。軽く頭を下げる咲夜に、さとりも頭を下げ返す。
「いえ、押し入り強盗のような真似をしたこちらにも非がありました。」
 咲夜の言う通り、冷静さを欠いていたのは間違いない。こいしは精神に様々な厄介事を抱えた問題児だ。捕らえられて然るべき所業を行ったのかもしれない。少なくともこのメイド長と話している限り、この館の住人が無抵抗な少女を一方的に幽閉するとも思えない。
「いいえ、そこまで畏まらなくてもいいわ。きっと何らかの誤解があったのでしょうから。」
(あなたは……心を読む能力を持っているの?)
 第三の目が映し出した咲夜の心中に、さとりは思わず息を飲んだ。あからさまな驚愕を顔に出してしまったが、今さら取り繕いようもない。
「なるほどね、それで納得が行ったわ。おおかたウチの門番が余計なことを考えたせいで、事態がややこしくなってところでしょうね。」
「え?」
 その「ややこしい事態」が可笑しかったのか、咲夜は初めて口元を緩めて見せた。
「この屋敷の地下には確かに『妹』が幽閉されている。でもそれはあなたの妹じゃない、この紅魔館の主——レミリアお嬢様の妹よ。」

 そう、全ては盛大な誤解だったのだ。ここに住んでいる「妹様」は、こいしにも負けぬほどにいろいろと問題を抱えているらしく、基本的に館から出してもらえないらしい。名目上は部屋に監禁ということになっているのだが、ちょっとやそっとの封印では抜け出してしまう強力な力を持っているとか。あの門番は寝ぼけた頭でさとりの「妹」という言葉を聞き、その「妹様」を連れ出しに来た賊と勘違いしたというわけだ。つまり彼女が思い浮かべたのは、こいしの現況ではなく「妹様」の現況だったのだ。

 ちなみに、さとりが門の前に辿り着いたところを、屋敷の主と咲夜に目撃されていたらしい。あの門番は居眠りの常習犯なので、咲夜は「すぐに」門の近くまではやってきていたと言う。門番が目を覚ましたので様子見に回ったが、そこで話だけは聞いていたので、さとりが妹を探しに来たということだけは知っていたのである。

 そしてさとりは、現在は咲夜に案内されて屋敷——紅魔館の内部を歩いていた。外見が赤一色という印象深い洋館だが、内装もまた基本的に赤色が多めで統一されている。見た目に違わず内部はかなり広いようだが、不思議なのが侍従の類が見当たらないこと。
「あなたがメイド長だという話ですけど……他のメイドは?」
「さぁ……昼寝をしてるか、遊んでいるか、つまみ食いをしてるか、そのあたりでしょうね。」
「そうなんですか……?」
 メイドがサボり放題というわりには、屋敷の中はあまりにも整然としている。いったいどのようにこんな快適な状態を維持しているのか。
(私が一人でやってるの。掃除も、料理も、その他もろもろ全部。)
「えっ!?」
 聞こえたのが心中の言葉とはいえ、咲夜は何でもないことのように涼しい顔をしている。これだけの大きさの屋敷では、衛生管理だけでも丸一日かかってしまいそうなものだが。
「いったいどのように……
 その答えを示すかのように、咲夜はまたも一瞬でその立ち位置を変えた。この動きに限らず、彼女の存在には謎が多すぎる。さとりよりも先を歩いているゆえ、第三の目は咲夜を捉えている。よって、その思考は常にさとりの「視界」に入ってきていた。にも関わらず——
——どうしてあなたの思考には、連続性がないのですか?」
 普通、思考というのはある程度は繋がっていくものである。考えが定まらないものであっても、それぞれの飛躍の過程で何かしらの「境目」が見える。しかし咲夜の思考にはそれが無い。メイドらしく窓枠の汚れを気にしていたかと思うと、次の瞬間には花瓶の水の量を心配し、数秒後に突如として額縁の傾きを推し量っている。まるでレコードの針が飛ぶように、唐突な跳び方をするのだ。そういう特殊な思考回路を有しているのかとも考えたが、それぞれの思考の仕方に特殊性は存在しない。
「そう、本来なら存在するはずのものが、まるごと切り取られたかのような……
 自らが口にした言葉にハッとしたかのように、さとりは発声を中断する。

 或る「新たな仮定」がさとりの中に生まれたのだ。もしも「切り取られた思考」は本当は存在していて、さとりがそれを「認識できなかっただけ」なのだとしたら——それを可能とする咲夜の能力とは、つまり——

(そういうこと。私の能力は……

 そこからの光景は、まるで手品のようであった。咲夜の周囲に数本のナイフが瞬時に出現し、さとり目掛けて集約する。立ち尽くすさとりに命中する直前に全てのナイフが進行方向を転換し、今度は咲夜の方へ——気付けば咲夜はそれらのナイフを全て手中に収めていた。

 彼女の能力はナイフを一瞬で虚空に発生させ、やはり一瞬でその方向を転換させ、掴む瞬間すら見せずに回収する。すなわち、その切り取られた「一瞬」を独占する能力——

「時間停止……だったんですね。」

 思考が途切れているのも当たり前だったのだ。つまり咲夜は廊下を歩いていて気になる点を見つけるたび、その能力で時間を止めて仕事をしていたのである。行く先々でそうやって常に仕事を片付けているから、この大きな屋敷の仕事を全て一人で片付けることも可能となるわけだ。
「これでおあいこってところかしらね。一方的に手の内を見せてもらうだけっていうのも、何だか居心地が悪かったから。」
(長い付き合いになるかもしれないし、ね。)
……どういうことですか?」
 不思議なことを心に浮かべる咲夜。何を言わんとしているのか心の内に目を凝らすが、言葉面以上の思考は特に読み取れない。
「ちょっとした勘。根拠は特にないわ……さぁ、着いたわよ。」
 咲夜が足を止めたのは、他の部屋よりも華美な装飾が施された扉の前。蝙蝠を模したノッカーが備え付けられており、咲夜はそれを手に取り軽く音を鳴らす。
「お嬢様、お客様をお連れいたしました。」
 これまでのフランクな口調とは打って変わり、凛としたその声にはメイド長の風格が備わっていた。

 そう、さとりが屋敷の中を案内されていたのは、このためである。

 紅魔館の主であるレミリア・スカーレットの希望——それは突如現れた珍客を「迎えるに値するか見定め、是と判断したなら自分の元へ連れてくること」だった。つまり咲夜の、ひいてはこの館の主人のお眼鏡にかなったということなのだろう。

 先ほど咲夜は、主のことを「お嬢様」と呼んだ。
 これだけの優秀な侍従が忠誠を誓うような相手である、恐らくは気品と威厳に満ちた淑女なのであろう。

「ごくろうさま、入っていいわよ。」

——え……っ?

 しかし扉の中から返ってきた声は、とてもそのような人物が発したものとは思えなかった。ありていに言えば、童女の声に近い。強くてまっすぐな良い声ではあるのだが、少なくとも品位の高さは感じられない。
「失礼いたします。さぁ、どうぞこちらへ……
 ここからはゲストを案内するメイドの顔なのだろう、さとりに対する言葉遣いも完全に切り替わっていた。ドアを引いた手とは逆の手の指先をそろえ、それを流れるように室内へ差し向ける。促されるままに入室したさとりの視界に現れたのが、この館の主——

「ようこそ紅魔館へ……なるほど、あなたが霊夢の言っていた地底の親玉なのね。」

——それは見た目にはさとりよりも幼い、年端も行かぬ少女の姿をしていた。

-5-

 考えてもみれば、ありえない話ではなかった。地底の御殿を管理するさとりだって、傍から見れば人間の少女のような姿をしているのだ。同じような存在がいたって不思議はない。ただ、さとりにはこのような優秀な従者は付いていない。お燐などはよく頑張っている方だが、残念ながら咲夜と比べると月とスッポン、いや、スッポンに失礼と言っても過言ではない大差がある。もちろん、ペットたちにこの完璧なメイドのような仕事ぶりを求めているわけではない。何しろ、自分だってそんな立派な主人ではないのだから。
 そう考えると、この少女は見かけとは違い、これだけの従者を仕えさせるだけの、度量ある存在だということなのだろうか。
「何よ、人の顔を見たまま固まっちゃって……。」
(こっち見て固まってどうしちゃったのかしら……。)
 相手が発した声と、心中の言葉が重なってさとりの耳に届く。確かに彼女の言うとおりだ。お目通りを許されておいて、無言でいるのはいささか礼を失している。
「失礼しました。私は古明地さとり、あなたの仰られたとおり、地霊殿の管理者です。」
「ふぅん、地霊殿っていうのね。凝った名前だこと。」
(地霊殿ねぇ……ネーミングに工夫が見られるわね。)
 またも二つの声がほとんど時間差なく発せられる。特筆すべきは、その内容がほぼ同一であること。今までに多くの人妖の心を覗き見てきたさとりだが、このような例はほとんど見られなかった。地底にいつからか住まう鬼たちぐらいなものである。
「名乗るのが遅れたわね。私はレミリア・スカーレット。この紅魔館の主……夜を統べる王よ。」
 夜の王とは大きく出たものである。「女王」ではなく「王」と言うあたりに、支配者を名乗ることへの強い執着が見て取れた。心中の意志もやはり大きくは変わらない。
……レミリアさん。不躾を承知で、一つお聞きしたいのですが。」
「何?」
 唐突な質問にも、まったく気分を害している様子はない。この辺が大物の大物たる所以なのか。
「あなたは、思考の制御が出来るのですか?」
「は? 何よそれ?」
「あなたの言葉と思考には何一つズレがありません。人であろうと妖であろうと、言葉を発する際には多少の齟齬が生じるはずなのに……
「そうなの? 私は別にそんな意識は無いのだけど。」
 またもその言葉に偽りは無い。だとしたら、さらなる疑問点が発生する。
「だったら、あなたは嘘をつくことは無いと?」
「そんなことないわ。間抜けな巫女を煙に巻く時とかなら、いくらでも嘘はつけるわよ。」
 その「嘘をつく」という言葉が嘘じゃない。あまりにも大きな矛盾。
「信じられません……普通は真実が脳裏に浮かぶもの……どれだけ思考を制御したところで、嘘をついているという事実は隠蔽できないはず。」
「そう? 人間みたいに脳なんて単純で科学的な思考中枢は必要ないんだもの。嘘をつこうと思ってる時は、嘘だけを思い浮かべるものではなくて?」
……そ、そんなものですかね……
 あまりにもレミリアが当たり前のように断言するから、あやうく鵜呑みにしそうになった。そこに待ったをかけたのが咲夜の横槍である。
「お嬢様、ご自分で言っている意味わかってますか?」
「よくわからないわね、正直。」
「え……?」
 レミリアの表情からは、面白がっている様子しか見て取れない。心中の声も相変わらずで。
「ど、どういうことですか……?」
「つまり、お嬢様は何もわかっていないということです。適当に話を合わせているだけ。」
「バレたか。まったく、咲夜は勘が鋭すぎるわ。」
 つまらなそうに溜息を吐くレミリア。しかしその行動とは裏腹に、どこか楽しげに口元を歪めていた。
……つまり貴女は、ここまで私に何も隠し事をしてなかったわけですか?」
「初対面の相手に隠し事が必要なのは、相手を恐れる必要がある奴だけよ。私、怖いものなんか何もないから。」
(嫌いなものや弱点は沢山あるけど、ね?)
 初めて聴こえた、レミリアが口に出さなかった心の声。その一言が、彼女の正体を物語っていた。恐れるものは何もないはずなのに、弱点だらけの夜の王。それは人心を掌握する術に長け、相手を魅了する力を持つと言う。
「そうですか……
 それが狙って発せられた言葉であるかはわからない。しかし、その事実はさとりの心に強く刻まれていた。

 レミリアは、さとりを恐れていない。

 誰もが恐れる第三の目。それは言葉を持たぬ動物以外を寄せ付けぬ装置であり、さとりの存在自体を定義付けるものでもあった。これを有している限り、さとりは全てのものに忌み嫌われ、恐れられる。それが当たり前だと思っていたのだが——
……ふふふ。」
「何よ、いきなりニヤついて気持ち悪いわね。」
 口では悪口を言っていて、心の中でも同じことを考えているのに、レミリアの表情は柔らかい。なるほど、これが彼女の「度量」なのかもしれない。全てに退屈した夜の王は、全てを楽しむことを覚えてしまったのだろう。彼女にとっては、この忌々しい第三の目すら「珍しいもの」に過ぎないのだ。

「いえ……

 根拠はない。でも何故か確信はあった。

「あなたとなら、仲良く出来そうだと思いまして……ね。」

 咲夜の手早いセッティングにより、即席のお茶会が始まった。てっきりこれも時間を止めて準備するものかと思ったが、レミリア曰く「こういうのは徐々に準備が進んでいくのも含めて楽しむものなの。」ということで、一瞬で終了させるのは禁止らしい。もっとも咲夜の心の声によると、部屋の外に出てからは時間を止めているそうで、かなりの時間短縮はされているようだ。レミリアとしては「準備が進んでいく」という光景が見られれば満足なので、自分の視界に入らない場所でのことには気にも留めないようだった。

「こうやって来客とパジャマパーティってのも悪くないわね。」
 夜型の生活が標準のレミリアにしてみれば、太陽がまだ高い位置にある現在時刻は感覚としては「夜更かし」に近いらしい。そもそもに彼女に睡眠が必要なのかは怪しいところだが。
「いきなり押しかけた身だというのに……すいませんね、いろいろとおもてなしいただいて。」
「気にすることはないわ。私がもてなしたいと思っただけなんだから。」
 門番を叩きのめして不法侵入してきた相手に随分と寛容な話だが、考えてみればレミリア自身が相当の強さを持つ存在である。彼女の話によれば、この屋敷には強い力を持つ者が多く住んでいるという。例えば既にその力を見せ付けられたメイド長だったり、百年以上の時を生きる魔女だったり、その使い魔だったりと、何故門番などおいているか不思議なほどである。
「弱い奴の相手なんかしたくないわ、面倒くさいし。露払いよ、露払い。」
 退屈しがちだというのに面倒くさがりとは、咲夜も苦労させられていそうである。さとりは苦笑しながら紅茶に口を付ける。
「しかし、地底の妖怪って面白そうな奴が多いわねぇ。」
 レミリアは地底に興味を持ったらしく、茶飲み話にいろいろと聞いてきた。地上では異質の存在である「鬼」のような変わり種が、他にもいるのではないかと気になっていたらしい。
「うるさいのがいなければ、見物に行ってみたいものなのだけど。」
「まぁ、地上の賢者とそういう取り決めを交わしているので……。」
 もっとも、お燐やおくうなどはすっかり地上に来るのに慣れてしまっているようなので、相互不可侵の約束も怪しくなり始めてしまったが。
「特に興味深いのは……あんたの妹ね。」
「こいし……ですか?」
 思わぬご指名に、さとりは疑問符を頭上に浮かべた。もっと豪快だったり派手だったり、興味を惹かれやすい妖怪はいくらでもいると思うのだが。レミリアは相変わらず心中の声も殆ど同じことを言っているので、何を考えているのかいまいちわからない。
「だって、あんたその子を探しに地上に来たんでしょ?」
「ええ。」
「誰にも認識されることなく移動できる……とても見つかるとは思えない相手を。」
……そうです。」
 何が言いたいのか少しわかってきた。レミリアは楽しそうに顔をにやつかせている。
「お優しいこと。」
(ほっとけないのね。)
 珍しく思考がズレていた。どちらかに統一していてくれた方が良かったのだが。
……まぁ、弁解の余地はありません。」
 顔が紅潮していくのが自分でもわかった。あまり人前で話したくはないのだ、自分のこのような愚かしさを。
「あの子は、自らに課せられた『嫌われ者』の宿命を拒絶し、その『目』を閉ざしました。それを逃避と罵ることは簡単です。しかしそれは今までの『当たり前』を捨てること。私だったら、恐ろしくてそんな選択はできません……。」
 第三の目を閉ざしたこいしは、他者の心の中を見ることが出来なくなった。それまで当たり前に見えていたものが見えなくなる、それは世界そのものが変わってしまうことを意味する。
「こいしがああなってしまったのは、私の気が回らなかったせいもあります。その罪滅ぼしというわけじゃありませんけど……まぁ、所詮は自己満足です。」
「ふぅん、随分と自虐的ね。」
「そうですかね?」
 さとり自身としては、客観的事実を述べているに過ぎなかった。本当に助けなければならない時に手を差し伸べられず、今になっていくら世話を焼いたところで、あの時の過ちが帳消しになるわけではない。
「あまり肩肘張ることないんじゃないかしら。」
「え……?」
 レミリアの口から発せられたのは意外な言葉だった。彼女は考えが事前に思考に現れないから、毎度呆気に取られてしまう。
「あんたが何を気にしてるか知らないけど、妹にいろいろ世話焼いちゃうのは性分みたいなもんじゃない。」
(私らみたいなのにしてみれば特に、ね。)
 口に出して言うのが照れくさいのか、一度言葉を切って、心の中で付け加えるレミリア。すぐにまた口を開き、話を続ける。
「ウチにも手のかかる問題児が一人いるけど、何だかんだで放っておけないもの。まぁ、ウチの場合はせいぜい喧嘩相手になってやるぐらいだけど。」
 苦笑するレミリアの頭に浮かんでいたのは、彼女よりもさらに幼い金髪の少女。姉妹というわりには外見はさほど似ていない感じもするが、その不遜な態度だけはそっくりだ。記憶からの読み取りゆえ断片的にしかわからないが、その暴れ方は破壊という概念そのものとすら言える凄まじいもの。それをいなしていくレミリアや同居人たちも相当の手馴れだと言えよう。
「ああ、見えた? すごいでしょ、もう手の施しようがないのよ。」
「ええ……でも、気持ちをぶつけてもらえるっていうのは羨ましいですね。」
「そんなものかしら?」
 どこの姉妹も、このぐらいは当たり前なのかもしれない。しかし、さとりとこいしの場合はそうもいかない。
「こいしは表層意識を閉ざしてしまったせいで、この『目』で見ても何もわからないんです。元々何を考えているのかわかりにくい子でしたが、余計にその気持ちが理解できなくなって……
「心が読めない……ねぇ。」
 レミリアはテーブルに両肘をついて、組んだ指を立てたり折ったりしてみせる。
「いいんじゃないの?」
 思わぬ肯定の言葉に、さとりは目を見開いて硬直してしまった。それが投げやりな回答でないことは、レミリアの心中が同じことを言っている時点で明白だ。
「私だって妹の気持ちなんかわからないもの。でも自分が正しいと思うこと……妹にしてあげたいと思うことをしてるわけだし……違う?」
 そしてまた一拍おいて、レミリアは心の中でだけ、言葉を付け加える。どことなく照れくさそうに俯きながら。

(妹が可愛くて仕方ないんでしょう? 大事にしたいから、世話を焼きたくなる。)

 それはここに来て初めてレミリアが見せた、余裕や尊大さを一切感じさせない、生の感情を曝け出した可愛らしい表情だった。自然とさとりの表情も緩む。
……そうですね。結局はそういうことです。」
 可愛い妹のためだったら、いくらでも道化になれるし、失敗も重ねられる。まさにレミリアが言っていた通り、姉の性分なのだ。

「ふふ……揃いも揃って姉馬鹿よね。」
「まぁ悪くないんじゃないですか? 妹のために馬鹿になるのも。」

 まるで乾杯でもするかのように、笑みを交わして紅茶のおかわりを口につける。

 そこからは延々と、姉馬鹿談義に花が咲いたのは言うまでもない。

-6-

 恐縮とは思いつつも紅魔館に長居をしてしまったさとりだったが、日が暮れる頃にはおいとまして地底へ戻ってきた。地上は夜になるとガラリと風景が変わってしまうので、地底へ戻る入り口を見失ってしまう可能性があったからだ。それにあまり長時間にわたって地上に滞在し続けると、地上の賢者に警告されてしまう可能性もあった。神出鬼没な彼女のことだ、きっとさとりが地上にいることはお見通しだったに違いない。

「まぁ気が向いたらまたいらっしゃい。暇つぶしにはちょうど良いから。」

 レミリアは口ではそう言いながらも、心の中では再訪を願っていた。打ち解けてきて、少しだが本音が垣間見えるようになったのは嬉しかった。しかし表層の思考をここまで制御できるというのは、さすがというべきか。魅了に長けた種族は、自分の精神もある程度コントロール出来るのかもしれない。

 いずれにしろ、さとりにとっては魅力的な誘いではあった。もっとも、ペットたちに大きな顔を出来なくなってしまうので、あまり堂々とは遊びに行けない気もするが。

「ただいま戻りました。」
(ああっ、さとり様!!)
 地霊殿に戻ったさとりを慌しく出迎えたのは、猫の姿をとったままのお燐だった。
「すいませんね、長く家を開けてしまって。」
(いや、それは全然構いやしないんですけど……
 本人はそれとなく言っているのだろうが、厚意ある言葉が今は嬉しく感じる。つい甘えてしまいそうになるが、とりあえず今は先に聞きたいことがある。
「何を慌てているのですか?」
(さっき、こいし様が帰っていらっしゃって。)
「こいしが……では、入れ違いですか。」
(はい。)
 大方そんなところだろうとは思った。さとりが地霊殿にいたとしたって、こいしは帰ってきても長居していた試しがない。気が付けば見当たらなくなっている。
「いつものことだと思いますが、何かあったのですか?」
(実は……さとり様の予感が当たっちゃったみたいで。)
 予感、と言われてもすぐにはピンと来ない。そういえば出掛けに何か言ったような記憶がないでもないのだが——

——「悪い虫……

「ああ……もしかして。」
(はい、その「もしかして」ですわ。)
 半分は本気、半分は言い訳でさとりが言った「心配」。それが的中したというのか。
(こいし様はどうやら地上の神社に行っていたようなんです。)
「あの紅白のですか?」
(いや、もう一つ神社があるらしいんですよ。おくうの奴に変な仕込みをした神様がいる神社らしくて。)
 おくうが妙な力を与えられたのは、神様の仕業だったのか。それ自体が初耳である。
(こいし様はおくうがド忘れする前にその神様の話を聞いたらしくて、興味本位に尋ねていったらしいんですよ、その神社を。)
 なるほど、おくうの記憶の抜けていく順番が噛み合っている。まず神様のことを忘れ、次にこいしに話をした内容を忘れ——ついにはこいしが出かけた先を忘れ、という流れである。いま聞けば恐らく、こいしと会ったこと自体を忘れているのだろう。
「そこで……出会ったと。」
(ええ、そう仰ってました。いつもは無軌道がウリのこいし様が、一つの出来事をあれだけ集中してしゃべるなんて、珍しいこともあったもんだ。)
 お燐が聞いた話によると、どうやら山頂にある神社へ向かったこいしは、あの紅白と黒いのに鉢合わせ、ドンパチを一戦やらかしたらしい。彼女らのことについては、押しかけられたその日にこいしにも話していたので、手の内もだいぶわかってはいたはずなのだが、さとり同様に命名決闘で敗北したのだそうだ。
(まったく……弾幕の応酬とは言え、あのこいし様まで負かしちゃうなんてどうかしてますよ。)
「まぁ、一日の長はあったのでしょう。」
 まさか負けるとは思っていなかったこいしは、すっかり地上を「面白いことが起きる場所」と認識してしまったようで、行動範囲を広げると宣言していたらしい。
(誑かされたかっていうと怪しいところですが、少なくともあいつらのせいで、こいし様の地上行きは増えるでしょうねぇ……
「確かにね……。」
 また頭の痛む悩みが増えた——はずだったのだが、不思議と嫌な気分はしなかった。自分が何を企んでいるのか、もちろん自分のことだからよくわかっている。

 地上を再訪する良い言い訳が出来た。
 その一点に尽きる。

 そんな心境が何となく伝わってしまったのか、お燐がいつの間にか人の姿になって、口元を緩めてこちらを見ていた。
「さとり様、随分と楽しそうですねぇ。」
……そんなことありませんよ……?」
 もちろんそれをすんなりと認めてしまっては、主としての威厳も何もあったものではない。表情は困った風を取り繕おうとするが、どうしても口元が緩んでしまう。

 こいしは確かに誑かされなかったかもしれないが、さて、全てが変わらずに終わったのだろうか。答えはもちろん、否。

 茶会でのレミリアとの応酬が、さとりの脳裏に蘇る。

「ところでレミリアさん、何故こいしを『興味深い』と言ったのです?」

 その答えは、きっとしばらくは頭から離れないだろう。
 レミリアは蠱惑的な笑みを浮かべながら言ったのだ。

「あんたにそこまで世話を焼かせる果報者よ? 羨ましいじゃないの。」

 小さな夜の王の勝ち気な微笑。
 それに何故か、胸が高鳴ったのだ。

——地上で誑かされてきたのは、私の方かもしれませんね……

END